敵は謁見にあり
「この国では誰も立ち入らないという『契約の間』で、お仕事をさせていただくことは可能でしょうか?」
これは一種の賭けだった。
それに国王陛下が乗ってくれるかは分からないが、これまでの話を聞いてきた限り、譲歩してくれる気がしている。
「ほうっ!!」
「シオリ嬢!!」
わたしの言葉に、国王陛下は分かりやすく喜び、アーキスフィーロさまは驚きの余り、その黒い瞳を丸くした。
相談もなく、勝手なことを言ってしまったのは悪いとは思っている。
だけど、どこかでいろいろ呑み込んで我慢しなければならない。
それに、国の頂点からの命令をこれ以上突っぱねても良いことはないのだ。
それならば、こちらが交渉の主導権を握った上で、悪くない落としどころを模索するしかない。
「アーキスフィーロさま。働かざる者、食うべからず……です」
これは、ずっとわたしの母が言ってきたこと。
ずっと誰かにおんぶにだっこは許されない。
「ロットベルク家の御仕事は当主さまたちにお返ししましょう」
そもそも、それがおかしいのだ。
あれが、次期当主教育だというならば納得できなくなくはないが、当主さまにその意思はないようだし、兄の仕事までやるというのは絶対おかしい。
勿論、当主の手伝いは貴族子息の役目ではあるが、その全部を担うなら、ヴィバルダスさまは当主争いから下りて、アーキスフィーロさまに全てを委ねるべきだろう。
当人は絶対に嫌がるだろうが、この様子だと、この国王陛下はそれらもご存じのご様子。
口出ししてこないのは、他家のことだからだろうか?
それとも、アーキスフィーロさまをロットベルク家の当主に据えるのは、この国にとって不都合なのかが分からない。
いや、多分、後者だろう。
当主として家に籠ってしまうようになれば、王城にはそれなりの理由がなければ呼びつけることができなくなる。
定期的に呼ぶなら、精々、舞踏会に出て来るように招待状を送り続けるぐらいしかできないだろう。
今は一応、幼少期より第五王子殿下の側近として召喚することができるが、それがなくなれば、当人自身が城仕えの文官や武官を希望しない限り、貴族子息であるアーキスフィーロさまがこの城に来る理由などほとんどないのだ。
「アーキスフィーロさまは、第五王子の側近であるならば、どこかで主君のための仕事をする必要があります」
その第五王子殿下をどれぐらい、今のアーキスフィーロさまが思っているかは分からない。
でも、人間界での会話を思い起こす限りでは大事にしていたように見えた。
わたしは、そこに賭けたい。
「シオリ嬢、答えよ。何故、『契約の間』なのだ?」
「アーキスフィーロさまの魔眼防止と、万一、魔力が暴走をしても、外に漏れないから……ですね。アーキスフィーロさまのお部屋と一緒です」
どうせ来なければいけないなら、アーキスフィーロさまの安全確保はさせておきたい。
それに大気魔気の調整を強制的に閉じ込めてまでさせるのはどうかと思うが、誰かがしなければならない事実が消えるわけでもないのだ。
じゃあ、どっちも同時進行すれば良いんじゃないかな?
アーキスフィーロさまはお城に行きたくないわけでもないし。契約の間に籠るのが大気魔気の調整するためとなんとなく知った後でも、仕えるべき者に従うって感じだった。
つまり、嫌がってはいない。
人に会うことなく、契約の間で過ごせるならそれで良い気がしたのだ。
お仕事していれば、時間を無駄にしなくて良いからね。
「何? アーキスフィーロの部屋……だと?」
国王陛下が何故か眉を顰める。
「アーキスフィーロさまは地下の『契約の間』と同じ効果のある部屋にてお仕事をされていました。それと同じことが城でもできるならば、それが良いかと思ったのですが、難しいでしょうか?」
問題は書類の持ち出しについて、だ。
誰かが地下の契約の間まで持ってきてくれれば良いけど、機密文書とかもあるだろう。
そうなると、簡単には外に運べない。
第五王子殿下がそんな文書を扱うかは分からないけれど、その辺は王族だからね。
絶対にないとは言い切れない。
「いや、第五王子に任せている仕事などほとんど雑務だ。だから、地下に運ばせることについては何も問題はない」
第五……、だもんね。
王位継承権は均等に分け与えられていても、やはり先に生まれたという優位性はある。
たかが数年と言われるかもしれないけれど、その数年分の知識、経験があるのだ。
この前の舞踏会でファーストダンスを踊ったのは第一王子殿下だった。
第一王子殿下は御年23歳。
恭哉兄ちゃんと一緒の年齢だ。
それだけでずっと大人な感じがする。
いや、二歳年上の雄也さんを見ても、やはり先に生まれたってだけで十分、積み重ねられた経験値が違うことが分かるというものだ。
そして、際立って優秀でなければ、下の子が兄たちを打倒するのは難しい。
下剋上が容易ではないことは、過去の人間界の歴史が証明してくれている。
中国なんて国そのものが下剋上の歴史だし、日本史だって歴史の転換期となる政権交代は下剋上によることが多いことは知っているけど。
「だが、アーキスフィーロはどうだ? お前は、シオリ嬢の提案をどう思う?」
「私は……」
アーキスフィーロさまが迷いを見せる。
そうだよね。
いきなりの話だ。
いや、わたしも国王陛下の登城要請の理由がこんな話だと分かっていたら、事前に打ち合わせをしていたと思う。
てっきり、「契約の間」に行けという話だとも思っていたし。
でも、違った。
本来の仕事の要請だった。
それは雇用主……、いやいや、君主としては当然の話ではある。
勿論、城に登城させることで、契約の間に行かないまでも、そこそこの大気魔気の調整はできるとも思う。
それをどこまでこの国王陛下が意識しているかは分からないけどね。
でも、この様子だと、アーキスフィーロさまが契約の間に行くことで、付近の大気魔気が落ち着くことは気付いていることは間違いない。
「先ほどのシオリ嬢の話に加え、彼女の同行を許可いただければ、前向きに考えたいと思います」
ほへ?
わたしの、同行?
「ほう?」
陛下が楽しそうな顔を見せる。
「ロットベルク家の仕事が片付いたのは、彼女の尽力によるものです。私一人では、今も、終わることはなかったでしょう」
いやいやいや!
わたしではなく、有能な専属侍女たちのおかげですよ?
アーキスフィーロさまは、それも分かっていらっしゃいますよね?
わたしだけの手伝いでは、やっぱりあの書類の全ては片付けられていないと思う。
それなのに、そんな勝手なことを国王陛下にお願いして、アーキスフィーロさまにとって不利にならない?
「シオリ嬢、同行の申し出は許可しよう」
許可されちゃったよ。
いや、あの家で一人、本を読み、絵を描くだけの生活よりはマシだと思うけど、それで良いの?
「それでお前は登城するのか?」
再度、そう確認をした後……。
「ああ、シオリ嬢だけの登城でも、問題ないぞ」
さらにそんなとんでもないことをこのタヌキ……、いや、国王陛下は告げた。
いやいや、大問題ですよ?
アーキスフィーロさまの登城の話が、何故、わたしだけの登城と言うことになる?
「妙齢の……、それも夜会の話題を攫うような娘が、たった一人きりで人気のない地下に籠る……、か。喜ぶ男は多かろうな?」
その言葉に背筋が凍るような気配があった。
これは、わたしに対してじゃない。
わたしを引き合いに出した上で、アーキスフィーロさまに対して脅しをかけている。
もしかして、わたしが出しゃばり過ぎたか?
「陛下……」
ギリッと、この距離では聞こえるはずのない歯ぎしりの音が聞こえた気がした。
この人の好い御仁は、わたしの身を案じてくれている。
ただの契約相手でしかないわたしを。
「なに、シオリ嬢の提案通り、お前がこの城の地下で職務を果たせば良いだけの話だ。それとも、我が身可愛さで、これだけ機転の利いた愛らしい娘を危険に晒すか?」
考えてみよう。
わたし一人でこの城の地下に来て危険はないか?
あるな。
契約の間に罠を仕掛けられたら、それだけでわたしはあっさりと嵌るだろう。
罠回避の技能など持ち合わせていない。
今回のように、護衛たちから引き離されてしまえば、わたしには何もできないのだ。
ああ、まだまだ足りない!!
詰めが甘すぎる!!
「登城の件、承りました」
長い沈黙の後、アーキスフィーロさまは俯きながらそう答えたのだった。
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