他人の魔獣退治
―――― 意外に状況判断が早いな
最初に思ったのはそんなことだった。
―――― アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルク
それが、栞の婚約者候補の名であり、今、月明りの下で魔獣を退治している男の名でもあった。
栞の前ではそんな印象はなかったが、魔獣を前にすると、その眼光が変わる。
表情が抜け落ち、目の前の敵を無言のまま次々に屠っていくその姿は、どこか昔の自分と重なった。
いや、オレは魔獣と戦ったことは、この国に来てからであるが。
だが、この男は違う。
明らかにオレよりも魔獣相手に戦い慣れていた。
魔獣の動きを見切った上で、自分の攻撃だけを叩き込む。
その見た目や、栞に対する言動に反して、かなり、派手な戦い方を好むらしい。
先ほどから、派手派手しく魔獣たちの血が飛び散っていた。
まあ、それは体内魔気を試された時に、なんとなく気付いてはいたが。
水属性魔法に耐性があるような魔獣でも、ゴリ押しできるほどの魔力。
そして、魔力だけでなく、魔法力もそれなりにあるらしい。
そうでなければ、魔獣の群れになど飛び込まないか。
魔法力が尽きれば嬲り殺しの目に遭う。
そんな危険は冒せない。
そして、意外にも回避能力もあるようだ。
なんとなく、どっしり構えて、向かってくる魔獣に大きな魔法をぶちかますイメージがあったが、魔獣の攻撃を躱して、至近距離で魔法を叩き込んでいた。
従者である精霊族の方は、補助に徹しているようだ。
見た目にも攻撃タイプではないことからもそれが分かる。
時折、こちらを見る辺り、見ていることには気付いているのだろう。
尤も、オレの本体はそこにいないが。
兄貴から、栞の婚約者候補が夜、何故か、魔獣退治に出ると聞かされたので、こうして出向くことになった。
万一の時には、さり気なく入れるように。
尤も、その心配は杞憂だったらしい。
その強力な魔力に振り回されているイメージが強かったが、こうして戦いぶりを見ると、十分、使いこなせている。
退く時も見事だ。
深追いも避けている。
あれだけ快勝すれば、多少、傲慢になって、無謀な行動に出てもおかしくはないのに、その気配もない。
惜しむべくは、一人で戦うことに慣れ過ぎている動きだという点だろう。
補助が近くにいるが、それに対する気遣いはない。
あの精霊族でなければ、たまに巻き込まれても不思議ではないような魔法の使い方だった。
その辺は、水尾さんに似ている気がする。
彼女も、恐らくはずっと独りで魔獣と向き合って来た人だ。
まあ、その辺りに関しては、オレもあまり他人のことは言えない。
栞がいなければ、自分に護るべき対象がいなければ、同じような戦い方になっていたことだろう。
兄貴?
共闘することがほとんどなかったから、その存在を意識して動いたことはあまりなかったな。
どちらかといえば、模擬戦闘の相手でもある。
つまりは、倒すべき対象でしかない。
それを気遣う必要などないだろう。
それ以外で気になるのは、倒した魔獣の損壊具合だな。
素材の方には全く興味がないようで、派手にいろいろなモノをぶちまけていた。
そして、回収する様子もない。
本当に魔獣を退治するだけのようだ。
ただ、魔獣退治が目的であるために、その証となる身体の一部だけは回収している姿は見える。
だが、勿体ねえ。
素材も処理の仕方によっては、かなり良い金額になるのに。
下手すると、魔獣退治の報酬よりも高い素材だってあるのだ。
別にオレ自身、金に困っているわけではないが、それでも、資源を無駄にするのはいただけない。
どうせ、オレは貧乏性の庶民だよ。
魔獣も食材を始めとして素材にしか見えない男だよ。
そう考えると、この魔獣狩りをしている男は正しく貴族令息なのだろう。
必要以上の無駄なことはやらない。
目的が魔獣退治なのだから、それ以上のことはしないのだ。
だがな~。
その今、舞い散っている魔鳥の羽は、どこかの精霊族たちの物と違い、柔らかくて触り心地も良く、羽毛布団などの材料になる。
栞の布団にも使われているほど、良い品だ。
こっそり回収できないものか……。
『アーク』
精霊族が男の愛称と思われるものを呼ぶ。
『その羽は、高級素材になるが、回収しないのかい?』
さらには、主人相手とは思えない気安い口調だった。
今は家から離れているからか?
「必要ない。この魔鳥なら、嘴を持ち帰れば退治した証となる」
『勿体ない』
「俺はこの国の貴族たちを喜ばせるつもりはない」
ん?
どういうことだ?
『まあ、この国で買い取られた素材のほとんどは、貴族の贅沢品へと消えていくからね。その気持ちは分からなくもないかな』
ああ、なるほど。
素材を回収しないのは、それが巡り巡って他の貴族の物になると分かっているからか。
だが、このことから、栞の婚約者候補の男は貴族が嫌いだってこともよく分かった。
それだけの境遇だったと言うことだろう。
もしかして、従僕があの精霊族一人だけなのも、貴族が嫌いだからか?
『それにしても、アークの貴族嫌いと女嫌いは筋金入りだね。それでよくシオリ様を受け入れる気になったもんだよ』
しかし、女嫌いとは思っていなかった。
少なくとも、栞に対する態度からはそれを匂わせていない。
「彼女は普通の女性とは違う。そして、貴族でもない」
『まあ、貴族以上の魔力を持っているっぽいけどね。相当、高貴な方の御落胤かな』
まあ、王族だからな。
そして、正式に婚姻を結んでいない男女間でできた娘だ。
だから、「落胤」で、間違ってはいない。
「余計な詮索をするな」
『余計? 主人の妻になる人間だよ? 調べておくのが普通じゃないか?』
「妻……」
そこで何故か、男は戸惑った。
いや、婚約者候補っていうことは、問題がなければ婚約者となりいずれは配偶者となる相手だろう。
そこで、何故、そんなに困惑するのか?
その辺りはオレも納得している。
いずれ、栞が誰かのものになるなら、相手は害がない人間の方が良い。
その不遇とも言える境遇から、前途洋々とは言い難いが、これまでの栞も大差はないのだ。
当人にその自覚はないけれど。
だから、無自覚のまま、相手の男を引っ張り上げる可能性が高いと思っているし、何より、オレも兄貴も栞のために動く。
それは栞が婚姻しても変わらない。
そこに胸の痛みがないとは言わないが、それでも、彼女が泣くよりもずっと良い。
『いや、シオリ様を妻にするんだよな?』
「彼女は……、それを望むだろうか?」
『はあっ!?』
なんとも頼りないことを言っている。
この自己肯定感の低さはなんとかならないものだろうか?
それなりに強い魔力を持っていて、それなりに地位もあって、それでも、こんなに自信がないのは何故だ?
「俺は、呪われているのに」
呪い?
ああ、例の魔眼か?
魔力の暴走なんか珍しくもないが、目だけで相手を惑わせるのは確かに普通ではない。
だが、自分が完全に無効化しているためか、栞は全く気にしていない気がする。
実際、その魔眼に惑わされた人間を見たことがないためだろう。
尤も、魔眼は先祖返りの一種だ。
先祖に精霊族がいれば、そんなこともある。
確かに珍しくはあるが、精霊族の能力は、銀を使った装飾品でどうにかなるものだ。
兄貴は、銀の伊達眼鏡で容易に防げるだろうと言っていた。
それでも駄目なら、大神官に相談するという手もオレたちは使える。
どこかの、祖神に変化してしまうような人外とは、全く違うのだ。
あの女は、大神官であっても、その予想を超えてしまうのだから。
『シオリ様は全く気にしてないだろ?』
ほんとにな。
あの女の度量はおかしい。
「俺が気にするのだ」
『いや、お前の考えなど、知ったこっちゃねえけど』
従僕は、辛辣だった。
それでも、魔獣を狩る手は止まっていない。
余裕があるということだ。
あ……。
今の魔獣、魔石を吐きやがった。
余程、魔力を食ってたな。
魔力食いの中には、体内で魔力を固めて結晶化させる魔獣がいる。
人造魔石である魔力珠みたいなものだ。
獣化魔石と言うが、かなり稀少価値があるものだった。
だが、それも男は無視する。
それが、少し気に食わなかった。
獣化魔石を吐いたってことは、あの魔獣に食われた魔力がいたってことだ。
素材をそこまで重視していなかった水尾さんも、あれだけは丁寧に回収していた。
それすらも、軽く見ていることは、命を軽んじているようなものだと、少しだけ自分の胸がざわついたのだ。
栞は、他者の命こそ大事にする。
自分の身は軽んじているのに。
だから、その差異が、許せなかった。
そんなこと。
他人のオレが決めることではないのにな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




