動物の謝肉祭
「まだ滞在してそんなに経っていないけれど、私も生態系が変わっているって話は結構、城下で耳にしているんだよ」
真央先輩はそう切り出した。
水尾先輩は、九十九と一緒に魔獣退治をしているという話は聞いていた。
その間、真央先輩はトルクスタン王子の付き添いとして、城下をあちこちしていたらしい。
だからこそ、今回の話に繋がっているのだろう。
それぞれが持っている情報の共有をしたいのだと思う。
真央先輩は、水尾先輩とトルクスタン王子、雄也さんと情報共有をしているみたいだけれど、九十九と直接話す機会は少ないのだ。
尤も、雄也さんを通じてある程度は届いているだろうけど、それは生の声ではない。
九十九が意図的に情報を伝えていなかったり、不要なものとして無意識に除外している可能性はある。
だが、情報の価値は人それぞれだ。
真央先輩はそう考えているのだと思う。
まあ、あの兄弟の情報共有率を考えると、それって、結構、杞憂だろうとは思っている。
この兄弟は、本当に事細かに共有しているのだ。
そして、書くのも、読むのも、理解するのも、覚えるのも恐ろしく早い。
これは単純に長年の成果だけでなく、とある国の血筋というのもあるだろう。
書いたり読んだりする速度は訓練とかでなんとかなるにしても、理解と記憶は頭脳の問題だから。
その上で、真央先輩に届いていない情報があるというのなら、それは、雄也さんの判断だと思う。
基本、秘密主義だ。
裏切らないと分かっている弟相手でも、状況次第では情報を伏せる。
それでも、真央先輩と密談するようになっただけ、かなりの変化だとは思っているけどね。
さて、そんな九十九たちの魔獣退治だが、わたしが聞いている限りの話では、城下に依頼があったもので、放っておくと問題になりそうなものばかりを選んでいるらしい。
その判断は魔獣の強さ、被害の程度、そして、依頼者の立場と言った情報から判断しているそうな。
勿論、紙上の情報だけでは判断しにくい部分はある。
できる限り、特定の依頼者のみの我欲を満たすだけのものにならないようにしているということだが、本当にそうできているかは分からないとも九十九本人は言っているらしい。
尤も、お金には困っていない人である。
だから、報奨金が高い依頼よりも、長期間、誰も手を付けず、塩漬けになっているような依頼を中心に選んでいるようだとは、雄也さんから聞いていたので、当人が気にしているようなことにはなりにくいと思っている。
ただこの辺りの話は全部、雄也さんからの言葉で、九十九自身の口からは、ほとんど聞いていない。
なんとなく、聞かれたくないのだろうなと思っている。
その理由も、わたしが魔獣退治に興味を持たないようにしているのか、心配させたくないのか、命を奪う行為を話したくないのかも分からない。
話を聞く限りでは、ゲームっぽいと思ってしまうが、これは現実だ。
魔獣という生物を殺す事実には変わりない。
だから、わたしも深入りはしないようにしている。
それが過保護な護衛たちの望みであり、願いでもあるなら、わたしはこの手を汚さない方が良いのだろう。
わたし自身は彼らが思うような、お綺麗な人間だとは思っていないのだけどね。
皆が悲鳴を上げるような虫だって躊躇なく殺せる。
自分の身を護るためなら、精霊族すら害せるような肉体と魔力を持っている。
訪れなかった未来の話では、わたしはこの世界に来なければ、人間界で魔力を暴走させ、大量に人を殺すことになったらしい。
そんなわたしが、綺麗な人間であるはずがないだろう。
まあ、だからといって、通常状態のわたしが自分の手で何かを殺すことになっても、迷いに迷うだろうと思っているのも事実なのだけど。
そして、水尾先輩もストレス解消の意味が強いため、九十九が選ぶものに反対することはないらしい。
手応えがある方が良いらしいけれど、それは水尾先輩が一種の戦闘狂だからだろう。
まあ、そんな話はさておいて。
「城下では、さっき言ったように『昔と比べて魔獣が強くなった』、『これまで通じていた魔法の効果がなくなった』という話も聞いたけれど、『これまで見たこともない魔獣が増えた』、『魔獣の性質が変わった』というのもあったんだよ」
「それが生態系の変化ってやつか?」
「まあ、分かりやすく魔獣を例に出すならね。さっき言った『サルの魔獣』はこのウォルダンテ大陸独自の魔獣だけど、人間の女性を攫うようになったのはここ二、三十年の話らしいよ」
……ちょっと待って?
人間の女性を攫うって何!?
なんで限定されてるの!?
「あ~、あの変態魔獣って、昔からそうだったわけじゃないのか」
しかも変態魔獣!?
その「カーカム」ってどんな魔獣!?
何より、変態ってどの意味の変態!?
「うん。今は、『サルの魔獣』も、相手を選ぶようだけど、このまま生態系が乱れ続けたら、女性ならどんな女性でも良くなるんじゃないかって話もあるらしいよ」
「そ、それは餌という意味での話ですか?」
思わずそんなことを聞いていた。
「ああ、高田は知らないのか。精霊族もそうだけど、魔獣の中には人間と異種交配……、異種婚姻をする種族もいる。精霊族は交渉の余地があるのもいるけれど、魔獣は力社会だからね。気に入った人間に対して、力尽くで強引に関係を持とうとする、とは聞いているよ」
言葉はかなり濁されているが、要は、魔獣は人間の女性をそういった意味で襲うこともあるということだ。
不意に、「音を聞く島」を思い出す。
―――― 女の気配がする
真っ暗な中で、身体が動かなくなった自分の耳に届いた音と、絶望感は簡単に拭えない。
今でも耳の奥に残っているほどだ。
だが、それでも、本来の精霊族とは交渉の余地がある……、意思伝達が可能な相手なのである。
それは、自動変換が働いているとはいえ、会話ができることからも明らかだろう。
尤も、考え方が全く違うから、本当の意味で言葉が通じるかというと微妙ではあるが、話はできると思う。
だけど、これまで話を聞いてきた限り、魔獣とはそれができないらしい。
魔獣は知的生命体ではあるのだろうけど、人間とは会話による意思疎通ができないのだ。
そんな魔獣に目を付けられてしまったら、わたしがあの時に感じた以上の絶望に陥るかもしれない。
「水尾先輩は、そんな魔獣と戦って、大丈夫だったんですか?」
水尾先輩が強いことは知っている。
だけど、そんな魔獣相手に怖さはないのだろうか?
「大丈夫って何が?」
「その……、怖かったり……」
「年齢一桁から魔獣退治はやってたからな~。魔獣の性質とかが違っても、やることが変わるわけではないから、今更、怖さはないかな」
水尾先輩は平然と答える。
年齢一桁……って……、人間界に来る前からってことか。
年代としては、小学生?
人間界……日本人の倫理とかに触れる前で良かったのかもしれない。
この世界とあの世界は命に対する考え方が全く違うから。
「それにどんなに知能があっても、魔獣は魔獣でしかない。魔力が弱くても、簡単に相手を罠に嵌めることができる人間の方が、よっぽどか私は怖いよ」
その言葉で、黒髪の御仁を思い出してしまったことは申し訳ない。
だが、水尾先輩も真央先輩も、その弟である九十九を見ていたから、わたしと同じ人物を頭に思い浮かべていたことだろう。
そして、そんな二人の視線を苦笑いで九十九は受け止めている。
自分のことではないと分かっていても、どこか複雑な気分になっているようだ。
「また話は逸れたけど、そんな感じで魔獣の性質や生態系が変わっているってことは理解できた?」
「まあ、なんとなく? そうか~、あの魔獣は昔からそんな性質を持っていたわけじゃないのか……」
水尾先輩は腕を組みながら視線を上に向ける。
それがどんな魔獣かはわたしも想像しかできないが、人間の女性を攫うという時点で、かなりの知能を持っている気がした。
人間の方だって、そんな魔獣がいると分かっているなら、対策、自衛はしているだろう。
それでも、防ぎきれないから、退治の依頼があるのだと思う。
なんとなく、人間界で読んだ少年漫画を思い出す。
日々、悪霊に悩まされている人たちは、その影響があってもどうにもできず、法外な大金を払ってでも、プロの退治屋さんに除霊を頼むしかできなかったという話だ。
そうなると、水尾先輩は、そのプロの退治屋さんということになるのか。
それなら、自信家になるのも頷けるというものだ。
その悪霊退治の漫画の主人公もそんな感じだったし。
だけど、同時に、その相棒ポジションに自分の護衛がいるというのはちょっとだけ複雑な気持ちになるのであった。
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