adagio
白く綺麗な花が夜空に向かって一斉に咲き誇り、遠くからは耳に心地よいクラシック音楽が聴こえてくる。
「優雅だ……」
わたしは思わず呟いた。
「聞こえてくる音楽がもっと上手ければ、本当に優雅なんだけどね」
真央先輩は手厳しい。
なんでも、演奏者たちが指揮者に合わせられていないために、まとまりがないように聞こえるらしい。
指揮者の方が演奏に合わせて指揮棒を振っていることに疑問を持たないと、いつまで経っても上手くならないそうだ。
演奏には合っているのだから、見た目や聞いた感じでは、極端に音が外れているわけではないけれど、微妙に不自然な音になるらしい。
わたしは、指揮者の方が演奏に合わせようとしていたなんて分からなかった。
しかも、楽譜を読める人たちばかりではなく、勘や音を覚えて吹いている人もいたそうな。
よく分かるな~、そんなことまで、と、そう感心するしかない。
「私は、菓子が美味ければ何でも良い」
水尾先輩が、目の前にあるお菓子を摘まみながらそう言った。
いつの間にか始まったお茶会。
いや、今は夜だから、これも夜会にはなるのだろう。
セッティングは勿論、わたしの護衛……、違う、トルクスタン王子の従者である九十九がやってくれた。
いや、裾の長さがくるぶしまであるドレス姿で、ずっと立ちっぱなしで待っているのは辛いのだ。
しかも、何曲も円舞曲を踊った後である。
いくら体力に自信があっても、疲れが出るというものだろう。
それに、花を見ながら、お喋りするだけというのも結構、難しいのだ。
勿論、会話がないわけではない。
単純に、この双子の王女殿下たちのお腹の事情というやつである。
わたしはそこまでお腹がすいていたわけではないのだが、二人は、かなり空腹だったようだ。
王族とはいっても、国がなくなった今、久しぶりの華やかで気疲れする場に出た。
それも、久しく着飾ることもなかった。
結果……、腹ぺこお姫さまが二人も誕生してしまったわけだ。
そして、それを放っておけないのが、我らがオカン……、違った、トルクスタン王子の従者である。
テーブルと椅子、さらにはお茶とお菓子のセットを準備してくれたのだった。
いや、その前に、九十九は、退屈そうにしていた水尾先輩と真央先輩を、気晴らしにと円舞曲に誘ったのだけど、二人して断ったのだ。
水尾先輩は「さっき、既に九十九を踊っているし、そこまで円舞曲が好きなわけではないから良い」と。
そして、真央先輩は、「私にとって音楽は踊るものじゃなくて、聞くものなんだよ」と。
だからと言って、わたしがもう一度九十九と踊るのは駄目だろう。
いつ、アーキスフィーロさまが戻ってくるか分からないのだ。
いくら「愛することができない」と言った相手でも、婚約者候補となった女が、舞踏会会場から離れ、誰も見ていないようなところで、こっそりと他の殿方と踊っている図を見せるのはあまり良くない行為だろう。
その気はなくても、浮気を疑われかねない。
まあ、アーキスフィーロさまは別にわたしのことを好きなわけではないから、問題にはならないかもしれないけれど、単に気持ちの話である。
その結果、二人の空腹を満たすために、即席ではあるが、優雅なお茶会が開かれるのは、自然な流れでもあった。
そして、美味しいお菓子を前にすると、食べながらだというのに、会話が弾むのも不思議である。
いろいろと心が満たされるからだろうね。
「こんな時間に揚げ菓子……。背徳の味だよな~」
「カロリーを気にしたら駄目なヤツだよね~。こっちの砂糖をまぶしているっぽいのも美味しいけど、蜂蜜みたいな味がするこれも捨てがたい」
この時間に揚げ菓子。
しかもドレス姿なのに。
二人とも痩せているけれど、今回のようなドレスの下には、流石に補整下着を身に着けているはずだ。
あんなに食べて、苦しくないのだろうか?
因みにわたしには無理であった。
それを承知しているわたしの護衛……違う、トルクスタン王子の従者である九十九は、ラングドシャ風の焼き菓子を準備してくれている。
甘さ控えめで、今、飲んでいるすっきりしたお茶によく合う味だった。
彼はどれだけお菓子の調理法を持っているのだろうか?
人間界なら驚かないけれど、この世界の料理は本当に独自法則すぎるのだ。
いつか、調理法集とか出版できそうだよね?
「思ったより、時間がかかってるな」
ふと水尾先輩が顔を上げて城を見た。
その手にはチョコドーナツ風の揚げ菓子。
甘い中にも少しだけ苦味があって美味しいらしい。
「あ~、なんかトラブルが起きているっぽいからね」
真央先輩は、城の方を見ずにそう言った。
その手には、粉砂糖のようなものがまぶされているシュガードーナツ風の揚げ菓子。
かなりお気に召したようで、先ほどからそれを食べている。
いや、ドーナツって、そんなにひょいぱくって食べていくものだっけ?
しかも、次々に追加されていく点が恐ろしい。
どれだけ作り置きしていたんだ?
「トラブル?」
水尾先輩が真央先輩の言葉に反応する。
「ん~、大きな魔力の乱れがあったから、誰か、魔力を暴走させかけたんじゃないかな? すぐに落ち着いたから、冷静に対処できる人が近くにいたんだろうね」
真央先輩はシュガードーナツ風の揚げ菓子を食べながら水尾先輩の言葉に応じた。
それだけで、何が起きたかをなんとなく理解できた気がする。
アーキスフィーロさまが、また魔力の暴走を起こしかけて……、雄也さんが対処したのだろう。
「いや、さらりと言っているけど、それって結構な事態なんじゃないのか?」
「そう? 私たちの出身国ではそんなこと、日常だったよ? もう忘れたの?」
真央先輩から、逆に問いかけられて、水尾先輩は少し考える。
「言われてみれば、そうだったな。あの国では、頻繁に魔力を暴走する奴らがいて、それらを止める人間たちもいた」
「そ。魔力の暴走なんて、魔力が強い人間たちにとっては、割と珍しくないことなんだよ。それを大袈裟に捉えるこの国がおかしい」
真央先輩は澄ましてそう答えているが、それはそれで特殊なお国事情というやつではないのだろうか?
確かに魔力の強さに振り回されることは誰にでも起こりうることだろうけど、少なくとも、それなりの期間、滞在をしていたストレリチア城やカルセオラリア城ではそんな騒ぎを聞いた覚えはなかった。
「まあ、この国は魔法や、大気魔気、体内魔気に関することはあまり知識がある人が少ないみたいだからね。慌てるのも仕方がないとも思うけど」
「そうなのか?」
「少なくとも、トルクの……、とと、トルクスタン王子殿下の話ではそんな感じだね」
そう言いながら、次の揚げ菓子に手を伸ばす真央先輩。
「情報元がトルクスタン王子殿下って時点で、あてにならなくないか?」
酷いことを言いながらも同じように揚げ菓子に手を伸ばす水尾先輩。
本当に良く食べる二人である。
いや、ドーナツってそんなに何個も食べられるものじゃないよね?
胃袋はどうなっているのか?
そして、何故、そんなに食べても驚きの細さなのだろうか?
「その辺り、外に出歩いているルカの方が詳しいかと思っていたけど、違うの?」
「いや。ほとんど周囲と関わっていないからな~」
水尾先輩はこの国に来てから、九十九と二日に一度の割合でお出かけしていることは知っているし、当人から聞いてもいる。
何でも、城下で依頼が出ている魔獣を退治しているそうな。
二人だから大丈夫だと思うけれど、怪我とかしないか、心配なんだよね。
九十九は治癒魔法が使えるけど、治るからって少しでも痛い思いをして欲しくもないのだ。
「その辺、九十九くんはどう思う? この国の人間って、魔法とかはどう?」
「魔法については分かりませんが、体内魔気の察知……、気配を感じる能力が鈍い人間が多いとは感じています」
「なるほど。識覚が鈍いのか」
識覚は人間界で言う第六感みたいなものらしい。
体内魔気や大気魔気を様々な場所で感じる能力だとか。
魔法があるこの世界特有の感覚機能なのだろう。
「だから、この国の王族は早く死ぬことになるんだろうね」
魔法国家の第二王女殿下は、さらりととんでもないことを口にしたのだった。
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