Hopes and Dreams
「アーキスフィーロ、君と話すのは本当に久しぶりだね」
見る者によっては柔和、穏やかと呼ばれる部類に属する笑みを浮かべながら、ジュニファス王子殿下はそう言った。
「そうですね」
特に感情の籠らない声でそれに応じる。
俺は今、青玉の間を離れ、王城の一室でこの王子殿下と向き合っていた。
王子殿下の背後には、二人の従者が立っている。
どちらも、俺が知らない顔だから、人間界から戻ってきた後に、王子殿下に付けられたのだろう。
その二人は分かりやすく警戒の色を持っているが、王子殿下は全く気にしていない。
昔のようにニコニコと笑うだけだ。
まあ、この国で、俺に対して何の警戒心も持たないのは、この王子ぐらいだろう。
セヴェロは常に警戒しているし、元婚約者に至っては、この国に戻ってきてからは片手で納まる程度にしか会っていなかった。
その内の一回は、本日、カウントされたばかりだから、実際はほとんど顔を突き合わせていないことになる。
それだけ、警戒心を持っていたのだと思う。
ああ、でも、シオリ嬢は始めから違ったか。
その時は、何も知らないからだと思っていたが、実は、魔力を暴走させた俺を止めることができるほどの自信があったからだと知った。
いや、彼女は魔力がなくても、俺に近付いたかもしれない。
それぐらいの希望は持ちたかった。
「具合が悪く、部屋から全く出てこないとロットベルク卿からは聞いていたけど、思ったより元気そうだね。安心したよ」
表向きはそうなっていたらしい。
確かに再三にわたる王族たちからの登城要請を無視し続けていたのだ。
それなりの事情がなければ許されないだろう。
だが、この王子殿下だって知っているはずだ。
人間界から戻った後、俺の魔力の暴走が前よりもずっと激しく、頻繁に起こるようになったことを。
そして、そのために起きた出来事も。
何より、そんな理由で部屋に閉じ込められていた割に、王族たちから魔獣退治の依頼はしっかり届くのだ。
その時点で、本気で俺が体調を崩しているとは思っていなかったと思う。
尤も、依頼の中にジュニファス王子殿下からのものはなかったが、もともと、この方は魔獣退治をされない。
そういった分かりやすい点数稼ぎをしない人だったことを思い出す。
「少しだけ、改善の兆しが見えました。そのために、一度だけ登城しようと思ったまでです」
改善の兆しというか、立場を確立するためというのが正しいだろう。
シオリ嬢を護ると決めた以上、俺は、自分の足場を作らなければならない。
今後も登城するつもりはないが、万一、シオリ嬢が強引に城へ呼び出された時、社交デビューもしていなければ、共に来ることもできなくなってしまう。
シオリ嬢は庶民だ。
王族の命令次第では、当主が勝手に引き渡してしまう可能性は否定できない。
トルクスタン王子殿下に守られている間は良いが、あの方は他国の人間なのだ。
四六時中、シオリ嬢を護ることはできないだろうし、何より、この国にずっといるわけでもない。
それならば、婚約者候補となった俺が彼女を護る力を得る必要があった。
尤も、シオリ嬢は、セントポーリア王子殿下の手から三年以上、逃げ続けていると聞いている。
その気になれば、彼女はこの国からも逃亡することもできるのだろう。
だが、それでは、シオリ嬢があまりにも哀れだ。
何の罪もないのに、定住の地が与えられないなんて……。
彼女は善人であり、王族たちに対する礼儀も知っている。
だから、罪を犯して逃げているなど思わない。
人間である以上、過ちを犯さないとは言えないが、それでも、悪いことをした後、逃げるようなタイプにはとても、見えないのだ。
寧ろ、罪を償うためには、周囲を巻き込まないように、自分から進んで首を差し出すような印象すらある。
恐らく、あの手配書はこの世界から彼女の逃げ場を失くすためのものなのだろう。
王族から追われている人間を匿うなど、余程の善人か、同じぐらいの権力者以外ありえないはずなのだから。
実際、彼女を匿っていたのは、中心国の王族であるトルクスタン王子殿下だった。
だが、あの方も、カルセオラリアが盤石ではなくなった今、庇うことが難しくなったのだろう。
だから、一時的に俺に預けようとしているのだ。
俺もそこまで鈍くはない。
あの舞踏会会場で、誰よりもシオリ嬢の価値を知っていたのは、間違いなく、あの王子殿下だろう。
セントポーリア王子殿下の狙いは、彼女の魔力だと思っている。
強すぎる魔力について付きまとう煩わしいものは自分にも覚えがあるものだった。
だから、なんとしても護りたいと思ってしまうのは自然な流れだと思う。
トルクスタン王子殿下が過保護だと言いたくなるほどに。
「一度だけと言うことは、もう、来ないつもりなのかい?」
「はい」
一度、デビュタントボールで王族たちから言葉を受け、さらに円舞曲まで踊ったのだ。
貴族の息子として最低限の義務は果たした。
「もう僕を助けてくれない、と?」
縋るような声と視線。
だが、それすらも予想通りだ。
「王子殿下におかれましては、私などよりも有能な方々がお側にいることでしょう。王族たちに災厄しか呼び込まない私など、寧ろ、貴方の翳りになるかと存じます」
実際、魔力が強いだけで評判の悪い俺に拘る必要などないのだ。
だから、始めから準備していた言葉を口にしただけ。
それなのに、王子殿下は酷く傷付いた顔をした。
そんな顔をするぐらいなら、始めから俺に関わらなければ良いのに。
「君はずっと僕の側にいてくれると思っていた。確かに君は魔力が暴走しやすい。だけど、それは魔力の強さ故だ。僕は羨ましく思ったことはあるけれど、それを疎ましく思ったことはない」
そうだろう。
この国で唯一人、この王子殿下だけが俺を受け入れてくれた。
それでも、無理なものは無理なのだ。
理想だけでは何も動かせない。
口にする以上、そこには責任が生じる。
「マリアンヌもだ。君たち二人がずっと僕の側にいてくれたらそれだけで良かったのに」
理想を語る王子殿下にはまだ現実が見えていないらしい。
その夢はもう叶うことがないと。
一度、壊れてしまったものは、もう二度と元に戻ることはないと。
―――― 胸が騒めく
ぐるぐると視界が回り始めた。
この症状には覚えがある。
よりによって、こんな時に、そう思うことさえ、自分の中の魔力の渦に呑み込まれ始めた。
「アーキスフィーロ?」
―――― どうして、そっとしておいてくれないのか?
自分の魔力が激流となって、体内を巡り始める。
まだ周囲には漏れていないだろう。
だが、もう止められる気はしなかった。
「アーキスフィーロ? どうした?」
―――― 俺はただ静かにいたいだけなのに
そろそろ変調が外に現れる。
俺の意識ごと外に押し流すようように、体内魔気がその姿を分かりやすい形へと変えていく。
「まずい!! 魔力の暴走だ!! 衛兵を!!」
誰かが騒いでいる。
ばたばたと慌てて部屋を出て行くような音。
煩い。
静かにしてくれ。
俺は多くを望むつもりなどない。
ただ放っておいてくれるだけで良かったのだ。
それなのに、何故、皆その邪魔をする?
魔力の強さなど要らない。
こんなものがあっても誰も救われない。
他人を傷つけるだけのもの。
これがあるから、俺はずっと誰にも近付けない。
『駄目ですよ、アーキスフィーロさま』
回っていた視界が不意に温もりとともに、黒く染まり、聞き覚えのある声が自分の意識に割り込んでくる。
この場にいるはずがない、清廉で……、だけど、凛とした強さを持つ声。
「シ……?」
だが、その声の主が誰であるかを確認する間もなく……。
「導眠魔法」
別人による低い声によって、自分の意識が強制的に奪われたらしい。
だから、俺はこの後のことを覚えていない。
だが、この日を境に、周囲でいろいろな思惑が動き出すことになる。
それを俺が知るのは、もう少しだけ先の話である。
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