Hallelujah
トルクスタン王子殿下より通信珠で呼び出された。
第五王子殿下が、俺と話をしたいらしい。
これまでにも、何度も呼ばれていたのだが、俺はそれを無視し続けていた。
今回もできれば、あの殿下に会うことなく、シオリ嬢とともにこのまま帰りたかったが、トルクスタン王子殿下に「一応、話しておけ」と、言われてしまえば仕方ない。
かなり、気が進まない。
そのために足取りも重くなる。
それに気付いていながらも、トルクスタン王子殿下の従者は黙って付いてきてくれている。
できた人だ。
整った顔立ちだと思うが、不思議と印象に残らない。
それにどこかで会ったことがある気もするが、思い出せない。
だが、シオリ嬢がとても、信頼していることは分かる。
もう一人、シオリ嬢のために残ってくれた従者も。
この舞踏会にトルクスタン王子殿下とともに現れたということは、カルセオラリアの貴族なのだろう。
確かに何とも言えない品がある。
一緒にいた侍女たちにも気品があった。
だが、侍女としての能力は恐らく、シオリ嬢の側にいる二人の方が高いだろう。
その動きが全く違うことが、素人目にも分かるほどだ。
シオリ嬢の侍女たちも、この場に連れて来ることができなかったことが残念だと思った。
シオリ嬢の晴れやかな姿を見れば、あの二人も喜んだことだろう。
今日のシオリ嬢は本当に綺麗だった。
いつもは桜のような可憐さだと思っていたが、白いボールガウンを身に纏った姿は、ヴィーシニャのように華やかだと思う。
国王陛下によって、髪や化粧を崩されてしまったが、それぐらいで、彼女の魅力は変わらないことがよく分かった。
そして、歌う時の堂々たる姿。
人前に出ることが苦手な俺からすれば、尊敬に値する。
彼女から「男声高音」か「男声低音」かを問われた時は、何気なく返答したが、そのまま、了承も得ずに俺を含めた周囲を巻き込む手法も実に鮮やかだった。
幸いにして、一番目立つ場所はシオリ嬢自身が務めたために、前に出る必要はなかったが、その分、間近で彼女が歌う姿を見ることができた。
指揮者と違って、正面から見ることはできなかったのが残念だとは思う。
だが、指揮者はある意味、かなり目立つ位置にいた。
俺には絶対向いていない。
だから、後方の目立たぬ場所でひっそりと歌おうと思ったが、気が付けば、つられてしまったのだ。
シオリ嬢の歌声に。
あの小柄な身体からは想像もできないほど声量があり、のびやかな歌声であった。
中学生の頃、何度も聞いたし歌った「Hallelujah」。
それがシオリ嬢によって華やかに色付く。
もともと、「Hallelujah」は女声高音が強い歌だ。
思いっきり、腹から声を出さねば、負けてしまうことは目に見えていた。
彼女から選ばれた以上、半端なことができないのも理由の一つであったが、気付けば、中学の時のように歌っていた。
周囲の目を気にする暇などなかった。
ただ、シオリ嬢だけを見つめていたのだ。
そして、それは俺だけではない。
同じように歌っていた二人も、演奏者も、指揮者も、王女によって貶められようとしていた彼女に物見高い目を向けていた観衆も、壇上にいた王族たちすら、彼女に魅入った。
時間にすれば、僅か十二分刻の話。
だが、間違いなく、そこにいた全ての者が彼女に集中した。
勿論、好意的な意味ばかりではないだろう。
それでも、あの時間は、彼女のための舞台だった。
あの歌を知っている者たちも驚いたことだろう。
まさか、遠く離れたこの地であの歌を聴くことになるとは思ってもいなかったはずだ。
その上、彼女の歌声に誘われて、同じように歌ってしまった者たちもいた。
その者たちも信じられなかっただろう。
楽団の音楽を聴くのではなく、木管楽器の音しかない伴奏だけで、自分たちが歌うことになるなんて。
この国は音楽が盛んだが、それに反して、歌はそこまででもない。
楽団が演奏する曲は、人間界のクラシック音楽や映画音楽がほとんどで、ポップスと呼ばれるような曲はないのだ。
それは恐らく、この世界に楽器や楽譜を齎した人間たちの趣味なのだろう。
あるいは、受け入れる側の趣味かもしれない。
歌というものがあまり発展しなかったのは、その楽団の演奏に負けないほど声量のある歌手がいないことが一因らしい。
さらに、無伴奏の状況において、人前で歌えるほど自分の歌に自信があるような歌手もいなかった。
王族の前で披露できなければ、受け入れられるはずがない。
だから、王族たちからも、歌という娯楽が軽んじられていた面はある。
特にポップスと呼ばれて若者たちに好まれるような歌は、それよりさらに上の世代にとっては、上っ面だけの軽い言葉に聞こえてしまうらしい。
その辺りは感性の違いとなるだろうが、この国の人間たちが、愛や恋、夢や希望、正義や悪、友情、努力、勝利などについて、音楽に乗せて歌いたくなるとも思えない。
それだけに、先ほどのシオリ嬢の歌は、俺たちよりも上の世代にも響いたことだろう。
軽さはなく、一体感のある合唱曲。
それが、あの救世主を讃える歌だ。
この国に明確な国教はないが、それでも、神の存在を疑う者はいない。
神や救世主を歌うあの歌は、確実に、この世界の人間たちに響く。
強いて疑問に思う点があるとすれば、「Christ」という固有名詞が出てくる部分だが、人間界の神の名だと言われたら、上の世代も納得はしてくれるだろう。
この国の音楽のほとんどは、人間界からの輸入品であることは知られている。
それと同じように、あの歌は人間界の歌なのだから。
****
「アーキスフィーロ様。先ほどの歌姫は……?」
青玉の間の扉の一つ、退室する時に利用したところにいた従僕からいきなりそう尋ねられた。
彼は、俺たちが揃って退室したことを知っている。
だからこその問いかけなのだろうが、これが王侯たちからの探りなのか、個人的な問いかけなのかが分からない。
「呼び戻されたのは私だけだ。彼女は、別の場所でゆっくり休んでもらっている」
本当ならば、帰らせたかった。
だが、あの家も、彼女にとっては本当の意味で安心できる場所ではない。
セヴェロや侍女たちはいるが、当主が愚かな行動に出れば、止めることができないため、できるだけ、俺の側にいて欲しい。
あの当主は俺を恐れている。
いるだけで牽制になるのだから、それを利用しない手はなかった。
「そうですか」
それ以上会話を続ける気はないようで、俺が差し出した招待状を形式的に確認する。
俺に付いてきてくれたトルクスタン王子殿下の従者も同じように紙を差し出すと……。
「トルクスタン王子殿下の!?」
驚かれたらしい。
「は~、王城貴族……ですか。貴方は、かなり有能なのですね」
「幸いにして、王子殿下に気に入られました」
どうやら、彼は王城貴族らしい。
謙遜ともとれる言葉だが、真実を口にしているだけだろう。
有能であっても、王族の目を止まらない限り、城に住まうことが許される王城貴族なんて地位は与えられない。
カルセオラリアとローダンセでは貴族の考え方が異なる部分はあるものの、王城貴族についてはそう差異はないはずだ。
王城貴族……、王族に仕える貴族たちの中でも、王城に住まうことが許されている者たちは、血縁を除けば、自身の補佐ができるほど有能であるなど、王族にとって利用価値が高いことが肝要である。
そして、同時に、王族や国にとって叛意がないこと。
王城は王族たちの居所なのだから、当然である。
俺も魔力が暴走しやすい体質でなければ、そうなっていた可能性もあったのかと今更ながら思った。
俺の魔力の暴走は、王族たちすら害することもある。
この時点で、俺は利用価値があっても、王城貴族にはなれない。
貴族の二男。
長男が優れていれば、跡継ぎになることはない存在だ。
自分で身を立てるならば、成人後に一代限りの王城貴族となって、王族たちに仕えることも珍しくないだろう。
だが、そうはならなかった。
ロットベルク家は、未だ跡継ぎも定まらず、俺は今も家にいる。
そして、そのロットベルク家に留まっていなければ、シオリ嬢と再会することもなかったのだなと、ぼんやりした頭のまま思うのだった。
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