花のワルツ
暫く、オレたちはこのヴィーシニャという花が散る様子を眺めていたのだが……。
「結構、音楽が聴こえるもんだね」
栞が言うように、先ほどからようやく、あの舞踏会も正常に戻ったのか、ここまで音楽が聴こえてきた。
通常、この世界の王城と言うのは防音されている箇所が多いのだが、これは、わざと外に漏れるようにしているのだろう。
貴族の華やかさを見せつけるために。
「使われていたのが、金管楽器ばかりでしたからね。結構、遠くまで音は聞こえますよ」
真央さんが、音が聞こえる方を見ながらそう答えた。
確かに、ラッパは軍隊の突撃にも使われていたらしいからな。
音が聞こえなければ意味がない。
記憶違いでなければ、自衛隊は今でも号令として使っていたんじゃないか?
「ただ、この選曲でここまで力強く聞こえてくるのはどうかと思いますが……。強弱標語の見方も知らないのではないでしょうか?」
強弱標語?
楽譜の記号だったか。
長く伸ばした不等号みたいなものが書かれていた記憶がある。
聴こえてくるのは、なんだ?
薬のCMに使われていることしか記憶にない。
「フレデリック・フランソワ・ショパン作『24の前奏曲第7番イ長調』ですね。ピアノしか聴いたことがないので、新鮮です」
時々、心底、栞を尊敬したくなる。
いや、もう一度言って欲しい。
数字が入っていたことは分かった。
後はなんとか長調?
良い薬に感謝する曲ではなく?
「確かにこの曲はピアノのイメージが強すぎて、吹奏楽アレンジは珍しいですね」
真央さんは頷きながら言う。
「シオリ嬢は、ソフトボール部だったのに、クラシックにも造詣が深いのですね」
栞の婚約者候補の男も感心しているようだ。
そうだな。
少し、意外だ。
真央さんならば分かる。
吹奏楽部だったらしいから。
だが、栞はソフトボール部だ。
「造詣が深いというほどではないですよ。曲とその名前、作曲者名ぐらいしか覚えていません。その曲が何故作られたかとか、時代背景はさっぱり分かりませんし、童謡も作曲者は覚えられても、作詞者は何故か覚えられなかったんですよね」
「作詞者が?」
「例えば、『赤とんぼ』の作曲者名は山田耕筰さんですが、作詞家さんの方が分からないのです。他にも『荒城の月』は滝廉太郎さんの作曲ですが、やはり、作詞家さんは頭に残っていなくて……」
そこまで覚えたなら、作詞家の方も覚えてあげた方が良いのではないだろうか?
特に「荒城の月」なんて、四番の歌詞まで覚えていたような女なのに……。
「『赤とんぼ』の作詞者は、三木露風氏ですね。『荒城の月』は、土井晩翠氏が作詞したものだと記憶しています」
出たな、雑学事典。
「よく覚えていますね」
「音楽好きな友人が多かったためでしょうね」
いやいや、騙されるな、栞。
音楽好きな友人が多かったのは事実っぽいが、普通の少年少女世代は、流行りの曲ならともかく、童謡の作詞者の名前まで覚えねえよ。
これは千歳さんが保育士だったからか?
なんだかんだ言って、兄貴もしっかり、人間界にいた時から、あの母娘のことを調べていたんじゃねえか!!
そんなことを思っている間に曲が変わった。
この前奏は、「花のワルツ」? ……だったか?
栞を見ると、少し、小刻みに身体、いや、足がステップを踏むタイミングで動いている。
この曲も練習したもんな。
「アーキスフィーロ様」
オレは栞の婚約者候補の男に声をかける。
「シオリ様が踊りたがっているように見えます。よろしければ、お相手をお願いできませんか?」
小声でそっと申し出た。
もしかしたら、差し出口かもしれない。
だが、あの様子を見たら……、なあ?
「ありがとう」
婚約者候補の男も栞を見て、オレと同じ印象を受けたのか。
オレに向かって小声で礼を言う。
「シオリ嬢。曲の途中からですが、踊りませんか?」
そう言いながら、男は手を差し出した。
「ここで……ですか?」
「はい、こんな場所で申し訳ありませんが」
足場としては悪くない。
地面ではあるが、回りが木々に囲まれている割に、意外と平らで、開けた場所でもある。
栞なら踊ることができるだろう。
「はい、喜んで」
栞が笑ってその手を取った。
これで良い。
栞が笑いながら、踊っている。
だから、これで良いのだ。
だが、何故、兄貴に持っていた花びらを渡す?
いや、兄貴の方が近い場所にいたから当然だって分かっているけど!!
こんな些細なことにも、オレは嫉妬するようになってしまったらしい。。
そんな立場にいないのに。
くるくる、くるくると舞い落ちるヴィーシニャの花弁のように、白いボールガウンを身に纏った栞もくるくると回る。
ボールガウンの裾を握って、回るタイミングに合わせて、軽く跳ね上げる。
ふわりと花が舞うように、ボールガウンも広がった。
「踊る夜会服」と呼ばれているだけあって、円舞曲映えをする。
個人的な感想を言わせていただければ、あの男の技量では、栞の動きを生かしきれていないと思えた。
いや、自分自身も何度も踊ったし、兄貴と踊っている姿も見ているから余計にそう見えるのかもしれない。
栞の社交ダンスは、兄貴直伝だ。
もともと、体幹は鍛えているし、しかも、応用できる器用さも持ち合わせている。
だから、思ってしまう。
勿体ない……と。
だが、それはオレの考えであって、この国ではこの男ぐらいが丁度良いのだろう。
実際、他のヤツらが踊っている姿も見たが、兄貴ほどの技術を持ったヤツはいなかった。
恐らく、しっかり練習を重ねているはずの王族たちによるファーストダンスすら、動きが少なく、どこか物足りなさを覚えたほどだった。
だから、仕方がないのか。
だけど、栞がいつものように踊ると、多少、目立ってしまうかもしれない。
それを思えば、男側に合わせて、無難に躍らせた方が良いだろう。
変に目立ってしまうと碌なことがないからな。
まさか、それが手遅れだったとは、この時のオレも、恐らく、兄貴も思わなかっただろう。
栞が髪と化粧が変わっていた理由も、第二王女から変な絡み方をされたのも、その辺りが要因だったと知ったのは、オレたちが侍女に戻り、ロットベルク家で報告を受けた時だった。
栞と婚約者候補の男が向き合って、一礼する。
気が付けば、踊り終わっていたらしい。
途中から始まったために、踊れた時間は少なかったが、二人は満足そうに笑い合っている。
だが、その時だった。
「通信珠が……」
男が呟いた。
どうやら、どこからか、連絡が入ったらしい。
ジャケットの内側から、白い珠を取り出す。
「失礼。少し、外します」
そう言って、少し離れた所で通信を開始する。
栞は、黙ってその様子を見つめていた。
相手は分からない。
だが、男は「はい」を繰り返すのみ。
だから、その通信内容も分からない。
三拍子の、やはり、CMで聞き覚えがあるどこか寂し気な音楽だけが聞こえてきた。
「シオリ嬢。私は、先ほどの場所に戻らねばならなくなりました」
「それは、わたくしも、ですか?」
栞は既に化粧を落としている。
簡単な化粧なら当人でもできるが、時間もかかるし、何より、舞踏会用のしっかりした化粧は無理だろう。
オレや兄貴ならばできるが、流石にこの男の前でするわけにはいかない。
「いえ、貴女はこのままここにいてください。今、この場にはトルクスタン王子殿下の侍女たちも、従者もいますから、その方が良いでしょう」
本来は、オレたちこそ、トルクスタン王子の側にいるべきなんだろうが、そこは仕方ないな。
トルクスタン王子はあれでも王族だ。
王族も多くいるあの場所なら、寧ろ、危険が少ないし、万一、阿呆なことをしでかそうとしても、あの王子殿下の護りの魔法は、水尾さんですら、簡単には破れない。
それに、陰からずっと護っている人間がいる。
その気配を感じる者はまず手を出さないだろうし、感じないものは手を出しても返り討たれるだろう。
魔法ではなく物理攻撃特化型だ。
それも武器は魔法具。
暗器も使う。
まず、初見で敵に回したくない。
道理であの王子は身軽なわけだよ。
「申し訳ありませんが、シオリ嬢をよろしくお願いいたします。私は、トルクスタン王子に呼ばれましたので、そちらに向かいます」
そう言って、オレたちにも頭を下げる。
「シオリ嬢は、通信珠をお持ちですか?」
「はい」
「それでは、何かありましたら、それで私を呼んでください」
「承知しました」
さらに栞にそう伝えた。
わざわざ連絡手段を確認すると言うことは、何か、起きる可能性があるのか?
表情からは読めない。
見事に隠されている。
そして、先ほどの通信相手、呼び出した相手はトルクスタン王子だったらしい。
「アーキスフィーロ様、私にお供させてください」
兄貴がそう申し出た。
「いえ、貴方はシオリ嬢に……」
「私はトルクスタン王子殿下の従者兼護衛です。貴方一人で行かせてはお叱りを受けます」
そんな尤もらしい理由を付けて、同行しようとする。
兄貴も何かを察したらしい。
「助かります。ありがとう」
男も一人よりは安心できるのだろう。
兄貴に頭を下げる。
この辺り、貴族らしくない。
表情を変えず、心情を読ませない辺りはかなり貴族らしいのに。
尤も、この男も、栞の前では表情を緩ませている。
同級生の気安さか?
少なくとも、異性として見ている視線ではない。
表情を崩すものの、そこに熱を感じないのだ。
栞のこの男に対する警戒心の薄さも、その辺りにあるのだろう。
「お前は女性たちに付いてろ」
「分かりました」
兄貴から指示を出されるまでもないが、いちいち口に出すのは、オレたちの上下関係を男に見せかけているだけだろう。
指示を出されなければ判断できない男のフリをしろということらしい。
だから、オレは敬語で応じる。
「万一の時は、王族でも迷うな」
「はい!」
ちょっとアホっぽく答えてみた。
その様子を見て兄貴が苦笑する。
兄貴の言葉から、王族たちが来る可能性があるから警戒しろと言うことは分かった。
王族相手にも迷わないのは当然だ。
護るべき相手も王族なのだから。
だが、王族が来るのは面倒だな。
主に後始末の意味で。
まあ、方向性がはっきりしている方が動きやすい。
何かあった時は、トルクスタン王子にその責任を押し付けても良いってことにしておこう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




