【第117章― ドタバタの新生活 ―】introduction
この話から117章です。
よろしくお願いいたします。
「あ~、久々に、『Hallelujah』、歌った~!!」
栞が満足そうに笑いながら、伸びをする。
「シオリ様。化粧、落としましょうか?」
真央さんが声を掛ける。
恐らく、兄貴からそうするように指示があったのだろう。
「お願いします」
栞はそのまま、真央さんに顔を向ける。
「うわ~、もちもち~」
小声ですが、しっかり聞こえてます、真央さん。
栞の肌が柔らかくて気持ち良いのは知ってますから、もう少し声を落としてください。
「シオリ様は本当に肌が綺麗で、触り心地が良いですね~」
そして、そんなことを大きな声で言わないでください。
一応、妙齢の男もいるのです。
反応しているのはオレだけっぽいけどな!!
「後は、蒸しタオルで……と」
それも兄貴の指示ですね?
口に出して、確認している辺り、不慣れなことがよく分かる。
だが、オレも兄貴も手を貸せない。
今は従者であって、侍女ではないのだ。
この国で、オレたちが人前で栞の世話をすることはできない。
この場には身内だけではないのだ。
それが分かっているから、真央さんが頑張ってくれている。
この人も、普段、あまり化粧をしない人だからな。
オレの周りの女たちはどうして、必要以上に化粧をしないのか?
素が良いからだな。
必要性を感じないのだろう。
「ありがとうございます、リアさん」
自分の両頬を撫でながら、栞がにっこりと笑った。
本当に嬉しそうに。
なんか、あの顔、久しぶりに見る気がする。
最近、笑ってはいるけれど、何か違っていたんだ。
どこか、無理しているような、そんな奇妙な顔。
まあ、環境が変わったということもある。
そこは仕方ないとは思うが、これまでのように気軽に確認できないから、ちょっともどかしい。
いや、栞にはオレがヴァルナだとバレているのだから、問題はないはずなのだが、やっぱりどこか遠慮してしまうのだ。
女装……、だからな。
やはり、何が悲しくて、惚れた女の前でそんな装いをしなければならないのだという葛藤はある。
「シオリ嬢」
栞の婚約者候補の男が声をかける。
「このまま、行きましょうか?」
「え? このまま?」
栞が自分の恰好を見ながらそう言った。
化粧を落としたとはいえ、白いボールガウンは確かに目立つ。
そして、オレや兄貴は栞の服を持っているが、水尾さんと真央さんが持っていないため、着替えもできない。
栞自身は、自分で着替えを出せない。
こんな時間にどこへ連れて行くつもりかは知らんが、ちょっと難しいのではないだろうか?
「はい。今なら、あの場所に誰もいないことでしょう」
オレたちの存在を忘れてないか?
いや、栞が思った以上に大事にされているようだから、文句も言えないが。
「それなら、案内をお願いします」
栞がそう笑うと、男も笑った。
「お連れの方々もご一緒にどうですか?」
さらに、男はこちらを見て言う。
「お二人の、お邪魔ではありませんか?」
オレや兄貴よりも先に、真央さんが答えた。
「問題ありません。それに、シオリ嬢も、私だけといるよりは、貴方方と一緒の方が安心できることでしょう」
あ~、それは確かに、普通の女ならそうだろうな。
だが、残念ながら相手は栞だ。
案の定、不思議そうな顔をしている。
夜に、男と、人気のない場所で、二人きりになる。
その意味を未だによく分かっていないらしい。
栞の相手が表面上、紳士で良かったと思った。
中は知らん。
実際、栞がいない所で、昔の女に会うような男だ。
その端正な顔の下で何を考えているのかが読めない。
「シオリ嬢はもっと警戒心を持った方が良いでしょう」
それに気付いた男が困った顔でそう栞に告げる。
「アーキスフィーロさまなら、大丈夫でしょう?」
そして、毎回、お前のその絶大な信頼はどこから来るんだ!?
「シオリ嬢……」
呆れたような婚約者候補の男。
それはそうだ。
栞の自信に根拠はないのだから。
「わたしたちは、婚約者候補でしょう? それなら、何も問題はないのではありませんか?」
叫ぶかと思った。
そして、水尾さん、真央さんだけでなく、兄貴すら目を丸くした。
それだけ、意外な栞の言葉。
「婚約者候補だから、問題です。ご自分を大切になさってください」
相手が真面目なヤツで良かった。
そう思うしかない。
そして、栞はその考えを持った上で、この男と接していることも理解した。
「承知しました。以後、気を付けるようにします」
嘘吐け。
お前は同じことを何度も繰り返す。
オレはそれを知っている。
だけど、それを知るのは、オレだけじゃなくなるのだ。
この男もこれから先、何度もこの女に振り回されるのだ。
それは、きっと大変で、疲れて、それでも、幸せな日々なのだろう。
オレは、この二人の結末を知っている。
だから、大丈夫だ。
そんな風に考えながら、足を進める。
周囲の生温い視線を感じる気がしたが、気のせいだ。
「うわあ~、綺麗~!!」
栞が感嘆の声を上げたので、足を止め、上を見た。
くるくる、くるくると、回りながら落ちてくる……花?
「これは凄い……」
水尾さんが思わず……、と言った様子で言葉を漏らす。
周囲一帯に咲く白い花。
その花が一枚、一枚、捲れては、落ちてくる。
くるくる、くるくると、ワルツを踊るように回りながら。
「ヴィーシニャの花が、ワルツを踊っているみたいだ……」
栞が奇しくも、オレと同じ感想を抱いたらしい。
これが……、桜に似た花?
全然、違うじゃねえか。
この花に、桜のような儚さはない。
こんなに自己主張が強いのに、どこが似ているんだ?
散り際まで、自分を見ろと言わんばかりだった。
どうやら、一度に全てが散るわけではなく、外側の花弁が一枚だけ捲れて落ちるようだ。
その形状から、空気抵抗を受け、くるくると回るのだろう。
散る花の数が多いため、それらが、一斉に回りながら落ちるのは確かに壮観である。
人間界の落下傘に少し似ているが、こんなに回ってしまったら、人間の場合、大変だろう。
「掴まえれるかな」
シオリがそう言いながら、手を伸ばすが、意外と難しいらしく、苦戦している。
見た目より軽いのだろう。
掴まえようと、手を差し出す時の空気の流れすら、落ちる花弁の動きを変えてしまうようだ。
「ああ、確かに難しい」
水尾さんも挑戦しているが、駄目なようだ。
真央さんは始めからやっていない。
あまり、身体を動かすイメージはないからな。
オレもなんとなく手を伸ばす。
確かに空気の揺らぎに反応して、これは逃げている?
ああ、散っているからといって、花から意思がなくなっているわけじゃないようだ。
本当に自己主張が激しいな。
掴まえれるものなら、捕まえてみろってか?
その白い花に、何かが重なる。
手を伸ばしても簡単には捕まらない。
だが、手を伸ばさずにはいられない。
綺麗で幻想的な花の……外側。
ようやく、掴んだと思っても、それは一部でしかないのだ。
変に手を伸ばさず、落ちてくる位置を計算し、両手で水を掬うような形で待つと、意外にもあっさりと、手の中に落ちた。
「凄い!! 掴まえたの?」
そんな風に無邪気に笑いながら言われたから……。
「いりますか?」
そう言って手の上に乗った花弁を差し出す。
「いや、要らない」
……。
「これは自分で掴まえなければ、意味がないのです!!」
そう言いながら、オレと同じように待つことにしたようだが、どうもうまくいかないらしい。
落ちてくる直前で、手の位置を微調整してしまうものだから、花弁がまた逃げるのだ。
もっと計算しろ。
その位置から右に半歩、両手をもう少し突き出しておけ。
そんな余計な口出しをしたくなるが、我慢する。
既に、水尾さんは諦めたようで、栞を眺めている。
「いりますか?」
なんとなく、そう声を掛ける。
「もらっておく。私には無理だ。空間計算、苦手なんだよ」
あれだけ魔法を繰り出す女性はそんなことを言った。
まあ、ボールガウン姿だから、余計に難しいよな。
あんな服でちょこまか動く栞がおかしいのだ。
「取ったああああっ!!」
暫くして、周囲に響く声。
その姿も声も、表情も、本日社交デビューした18歳の女性とは思えない。
可愛いけどさ。
「顔、溶けてるぞ、護衛」
「おっと、失礼しました」
栞を見ていると、簡単に素に戻されてしまう。
それでは駄目なのに。
それでも、久しぶりに見る栞の満面の笑みだ。
少しでも、長く見ていたいと願うぐらいは許して欲しかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




