予感
なんとなく、嫌な予感がしていたのだ。
栞が兄貴の好みとはかけ離れた化粧と髪型をしていた時から。
そして、それが、正妃殿下と同じ系統ものだとすぐに気付いた瞬間から。
既に、厄介ごとの種が蒔かれていたと。
だが、まさか、第二王女が、栞の婚約者候補の男にあそこまで執拗に絡むとは思っていなかった。
確かに婚約者として名前が上がったらしいが、既に立ち消えて、兄の方に話がいったはずだった。
だが、あの様子では、第二王女は認めていない。
いや、自分の婚約者の不貞を知った上で、自分も……となっているようにも見えた。
ふざけるな。
勿論、すぐに出て行きたかった。
あれだけ、道理を通さない相手から、品のない言葉で一方的に詰られていたのだ。
尤も、半分は通じていない可能性もあるが。
それでも、誰も止めはしない。
栞には頼りになる味方がいなかった。
だが、今のオレは表向き栞の護衛ではない。
トルクスタン王子の従者としては動けても、栞のために動けない。
こんなことなら、兄貴のように、別の場所で情報収集するべきだったか。
その方が精神的に落ち着けたことだろう。
だけど、何もできなくても、あの場所から離れたくなかった。
だが、婚約者候補の男は何を思ったか、あんな場所で栞から離れたのだ。
着飾った栞を、他の男たちがいる場所に置いていくとか、どれだけ自覚がないんだ?
トルクスタン王子がいなければ、栞は囲まれていたんだぞ?
ただでさえたった一人で白いボールガウン姿の女は目立つのだ。
栞が一人で移動しようとする時に、後を付けていく男たちの姿があったから、トルクスタン王子も動いた。
まさか、そのまま踊るとは思わなかったが。
壇上からは、全体がよく見渡せる。
国王があの場所から動かないのはそれが理由だろう。
少しでもいろいろなモノが見たいということが分かる。
栞を気にしつつ、会場にいる間に様々なことが分かるし、見えてくるものがある
王族に対する考え方、栞の婚約者候補の男やその家の立ち位置。
そして、それ以外のことも。
それらを纏めて、できるだけ記憶していく。
やはり、現場の声が一番、率直で理解もしやすい。
何より、舞踏会という日常から離れた場であるためか、少しばかり口も軽くなるようだ。
その間、あの婚約者候補の男が何をしていたかというと、何故か、他の女と会っていたらしい。
それも、聞き耳を立てていた兄貴の話では元婚約者の女だったそうだ。
それだけで、いろいろ腹立たしかった。
そして、だから、栞に対して「愛することはできない」と言ったのか?
まだその女に未練があるとでも?
だが、栞に対する姿を見ていると、それも違う気がしている。
いや、それ以前の話として、他の女にも興味があるように見えないのだ。
若い男特有の浮ついた気配がない。
どこかずっと醒めていて、達観、いや老成の域にある気がしていた。
しかし、オレたちがそんなことをしている間に、栞が第二王女に再度、絡まれるなんて誰も思ってもいなかったことだろう。
執念深過ぎる。
どれだけ、執着していたのか?
トルクスタン王子が足を踏みまくったせいで、その第二王女と一緒に行動する羽目になった水尾さんと真央さんもなんとか止めようとしたようだが、止まらなかったことは分かった。
寧ろ、水尾さんが魔法をぶっ放していなかっただけマシだと思っている。
最近、魔獣狩りでストレス解消をしているせいか?
そして、何故か分からないが、その第二王女は、栞に散々、的外れな絡み方をした上で、余興をしろと言い出しやがった。
普通の貴族の女なら、王族の無茶な要求に怒るか、泣くか、途方に暮れるかのどれかだっただろう。
だが、栞は笑ったのだ。
仕方ないねと言わんばかりに。
いくら何でも、理不尽に慣れ過ぎだろう。
断ることもできたはずだ。
トルクスタン王子だけでなく、あの様子だと、正妃殿下が後ろに付いたようだから。
国王陛下には期待していない。
自分の娘が品の無い言葉で他者を一方的に詰っても、諫めることもなく笑って見ていた。
あの方はどうやら、享楽主義のようだ。
王族には多いが、面白いことにしか興味を持たないらしい。
まあ、そうでなければ、あれだけ子供なんて、作らないか。
「さあ、早くなさい!!」
耳障りな女の甲高い声。
相手が王族でなければ、何をしていたか分からない。
だが、その言葉で栞の覚悟が固まった。
オレの好きな黒い瞳に強い光が宿る。
この場で彼女が選ぶなら歌だろう。
演劇部出身の若宮なら即興劇ぐらいはやりそうだが、栞なら、「聖歌」で培った土台がある歌を選ぶ気がした。
「シオリ様」
だから、オレは声を掛ける。
栞が何を気にしているか、分かったからだ。
「これを……」
何かのために準備していた蛋白石の三連ネックレスだ。
今の栞の装いの邪魔をせず、しかも、全て銀の鎖が首元に行く。
「私からはこれを……」
オレが動いたことにより、兄貴も動き出したが……なんだ、それ!?
なんてやつを隠し持っていた!?
白い法珠なんて、大神官猊下のやつだよな?
さらに、その銀細工。
その細かさから、作ったのは絶対、クレスノダール王子殿下だろ!?
どう見たって、普通の代物ではない。
一体、いつから、準備してやがった!?
「我らが誇る歌姫が、デビュタントボール後とはいえ、着飾らないなんて、ありえませんから」
それは完全に同意するが、何だ?
この負けた感。
「あ~、従者たちがやるなら、主人である俺からも渡そう」
トルクスタン王子も銀でできたブレスレットを渡した。
栞は身に着けるなら、銀性の装飾品を好むと言っていたことを覚えていたらしい。
「何、男たちに貢がれてるのよ!!」
第二王女のヒステリックな声。
だが、栞もオレたちも動じない。
「ここからのシオリ嬢は、ただの娘ではなく、聴衆の前に立つ歌姫だ。この場に花を添えるための余興となれば、多少、着飾らせても問題はあるまい?」
トルクスタン王子は平然と答える。
そして、オレたちは今、トルクスタン王子の従者だ。
だから、トルクスタン王子の意思に従うふりはできる。
だが、栞は何を思ったか……。
「アーキスフィーロさま。中学では男声高音、男声低音どちらでした?」
婚約者候補の男にそう声をかけた。
「え? 男声高音の方が出しやすかったです」
戸惑いながらも男は答えると、栞は満足そうに頷いた後……。
「ルカさま。女声低音いけます?」
さらに、水尾さんにも声をかけた。
「巻き込む気ですか? しかも、リアではなく、私の方を?」
水尾さんは笑いながら応じる。
「はい。巻き込まれてください」
それに笑顔で答える栞。
音楽関係なら真央さんだと思っていたが、今回は水尾さんを巻き込みたいらしい。
「リアさま。フルート、ご準備できますか?」
「そうですね。私は歌よりもそちら向きです」
そして、どうやら、演奏者として真央さんを巻き込むようだ。
確かに、楽器に熱い思い入れがあるようだからな。
だが、そこで栞は考え込んだ。
どうした?
混声三部合唱なら、これで、いや、婚約者候補の男に男声パートを確認していたってことは、混声四部合唱か?
一体、何の歌だ?
「シオリ様、何を歌われるおつもりですか?」
オレより早く行動したのは兄貴だった。
「えっと……」
少し、照れくさそうに兄貴に耳打ちをする。
周囲には聞かれたくないらしい。
だが、兄貴、そこを替われ。
「私は男声パート、どちらもいけますよ? 有名な歌ですし、何度も聞けば覚えます」
兄貴はそう言って笑顔を栞に向ける。
その直後の栞は花が開いたかのように嬉しそうに見えて、胸が痛んだ。
何の曲かは分からない。
だが、同じ中学でなければ歌えない歌を選んだのだろう。
そして、そこに兄貴が割り……、いや、入り込んだ。
オレが知っている歌なら、後悔は必至だろう。
「では、協力をお願いします」
三人に向かって、軽い礼をする。
そして、オレの方を向くと……。
「あなたには、指揮を頼めますか? 何もないと、演者も歌い手も困りますので」
役目を作ってくれた。
単純だが、巻き込んでくれる相手に選ばれたことは嬉しい。
「承知しました」
だから、丁寧に礼をする。
そんなちょっとした気遣いがどれだけ嬉しいか、この主人は知らないだろう。
だが、それで良い。
知る必要はないのだから。
「ちょっと、早くなさい!! それに、他の人間に助けを借りなければできないなんて恥ずかしいとは思わないの?」
第二王女がもう何度目か分からない叫びを上げる。
だが、何故か、会話の邪魔をしなかった。
栞が誰かを巻き込むことを見ていながら、それを止めなかったのだ。
先ほどから「教養」という言葉を多用している辺り、何かあるのだろうか?
「混声四部合唱曲を歌おうと思うので、周囲の手助けについてはご容赦ください」
そんな叫びも気にせず、栞は綺麗なお辞儀をする。
これで、まだ三年なのだ。
このまま、ずっと磨き続ければ、かなり貴族らしく見えることだろう。
どこかの法力国家の王女殿下のおかげだな。
あの高笑いが既に懐かしい。
「この場に『声音石』はありますか?」
栞の言葉に……。
「こちらに」
兄貴は既に手にしていた石を渡す。
ようやく準備が整ったことを察したのか……。
「暫く、演奏を止めなさい。庶民が歌を披露するそうよ」
第二王女が演奏を止めさせた。
楽団員たちにあるのはあからさまな不満顔。
まあ、仕事を中断させたから当然だな。
栞はダンスフロアまでトコトコと歩いて行く。
慣れたものだ。
彼女は衆目を集めた場に何度もいたのだから。
『紳士、淑女の皆さま。初めまして。トゥーベル王女殿下より、ご指名を賜りまして、一曲だけ、歌わせていただくことになりました。拙い声ではありますが、精一杯務めさせていただきますので、暫し、ご静聴いただければ、幸いに存じます』
栞はそう言いながら、お辞儀をする。
どこの貴族にも劣らないお辞儀。
一朝一夕ではなく、何年も積み重ねられた姿。
これを見て、彼女を庶民と侮るのは見る目がないヤツぐらいだろう。
そして、顔を上げて、演目を口にする。
『ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作聖譚曲「メサイヤ」より「Hallelujah」』
清らかな聖女の声で、神と王を讃える歌を。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




