身内
いろいろな人が焦ったような声と共に……。
「この売女のクソチビが!!」
そんな声が耳に届く。
だけど、「売女」って何?
「トルクスタン王子殿下。遮音、切れていませんか?」
「いや、これはこちらの会話を遮断するもので、残念ながら、向こうからの声は聞こえてしまうのだ。だが、シオリ嬢。この状況でよく落ち着いていられるな」
トルクスタン王子が苦笑する。
「自分に向けられたものかは分からないので。ところで、『売女』って何のことか分かりますか?」
わたしがそう問いかけると、トルクスタン王子は一瞬だけ、言葉を呑んで……。
「『遊女』の品がない表現のことだ」
と……、気まずそうに答えた。
ほほう?
つまり、この声の主はわたしを「ゆめ」扱いなさっているということでしょうか?
でも、その言葉って「ゆめ」に失礼なんじゃないかな?
彼女たちだって生きるために、一生懸命なんだよ?
生きて苦界から出るために、昔の縁に頼るしかないほどに。
そんなことを考えているうちに、わたしとトルクスタン王子が座っている横に黒い影が現れた。
「私を無視するなんて、いい度胸しているじゃない、平民風情が」
どうやら、ご指名らしい。
「トルクスタン王子殿下。遮音解除を願えますか?」
「大丈夫か? 相手は興奮状態だぞ?」
「遮音している方が興奮されそうです」
わたしがそう言うと、溜息を吐きながら、トルクスタン王子は解除してくれたのだと思う。
「発言をお許し願えますか? トゥーベル王女殿下」
「はあ!? アンタ、何、言ってるの?」
許されなかったらしい。
仕方がないので、黙ってお辞儀だけする。
暫く、周囲からは円舞曲の音だけが聞こえてくる。
それでも、わたしは頭を上げない。
「ちょっと、何、無言、こいてるのよ? 黙ってないで、なんとか言いなさいよ、このドチビ」
苛立った声。
でも、ようやく、発言が許されたようだ。
「高貴なる方に口を開く無礼をお許しください、トゥーベル王女殿下。改めてご挨拶させていただきます。カルセオラリア第二王子トルクスタン殿下のご同行によりこの国に参りましたシオリと申します。以後、お見知りおきください」
余計なことは言わない。
そして、トルクスタン王子がこの場にいる理由もちゃんと説明しておく。
この王女殿下がわたしを「ゆめ」扱いしたということは、まあ、言葉は悪いけど、トルクスタン王子を誑かしているように見えるってことだろう。
「は? 同行?」
「はい。右も左も分からぬ身ですが、トルクスタン王子殿下にご案内され、この国に来ることができました」
「じゃあ、なんで、アーキスフィーロと一緒にいるのよ!? おかしいじゃない!! ただの男好きとしか思えないわ!!」
ああ、それもあって、「ゆめ」ってことなのか。
なんだかな~。
「トルクスタン王子殿下により、現在、当主の許可を得た上で、ロットベルク家にお世話になっております。その縁で、アーキスフィーロさまのでびゅたんとぼ~るの相方を務めさせていただきました」
「なんで!?」
「アーキスフィーロさまには現在、婚約者がおられないためです。そして、他の女性からも断られたため、已む無くと聞いております」
なんとなく、「婚約者候補」であることは、この人には言わない方が良い気がした。
どんな曲解をされるか分かったものじゃない。
そして、困ったことに、周囲に人が集まってくる気配もある。
まあ、これだけ騒げば仕方がないとは思うけれど、これ、わたしが悪いの?
「私がいるのよ? あんたなんかお呼びじゃないわ!!」
「トゥーベル王女殿下には婚約者がおられると伺っております。そのため、アーキスフィーロさまの相方にはなれないのではありませんか?」
婚約者がいる人は、兄弟姉妹などの縁者を除いて、相方になることはできないと聞いている。
あれ?
わたしの認識不足?
「これだから、ドチビの田舎者は困るわ。舞踏会のなんたるかも知らない下賤な者だから仕方ないわね。だから、教えてあげる」
そう言うと、トゥーベル王女殿下は胸を張った。
15歳と聞いていたけど、胸、大きいな~。
ピッチリしたピンクのドレスがゆさゆさっと揺れたよ?
あれ?
王女殿下のドレスって、補正下着で固定されていないのかな?
わたし程度の大きさでもダンスをしやすいように、かなりきつめに固定されているのだけど……?
「アーキスフィーロは私の義弟予定なの。つまり、私は彼の唯一の身内。だから、私のみが、呪われた黒公子たるアーキスフィーロの相手ができるってわけ。お・わ・か・り?」
いや、分かりません。
そう言えたら、すっきりするかな~?
駄目かな~。
確かにトゥーベル王女殿下はアーキスフィーロさまの兄君であるヴィバルダスさまの婚約者だから、義姉予定であることは間違いないだろう。
だが、あくまで「予定」だ。
現在は、まだ身内ではない。
それに、トゥーベル王女殿下がアーキスフィーロさまの相方になっちゃったら、肝心の婚約者であるヴィバルダスさまはどうなるのかって話だ。
現婚約者を放置して、その弟の相方になるとか、いろいろとおかしいだろう。
そんなの田舎者で下賤なわたしでも理解できることである。
そして、周囲もその発言に顔を顰めていることから、その考えが間違いないことは分かる。
「トゥーベル王女殿下がアーキスフィーロさまの相方になられるなら、ヴィバルダスさまはどうされるのですか?」
現在進行形で存在感ないけど。
あの方もどこに行っているのだろう?
最初の騒ぎの時は、ちゃんといたよね?
「ヴィバルダスはいないわ。今頃、お気に入り侍女と懇ろになっているでしょうね。汚らわしい」
ああ、うん。
それが本当ならば酷い話だと思う。
だが、それが正しいのか、判断ができない。
この方、妄想癖もありそうだから。
「だから、あんたは大人しく帰れば良いのよ。邪魔でしかないのだから」
まあ、アーキスフィーロさまの相方は既に務めた。
だから、このまま帰っても問題はないのだけど……。
「お断りします」
この王女殿下の指示に従いたくはなかった。
周囲が騒めく。
まさか、わたしがそう答えるとは思っていなかったらしい。
まあ、明らかにこの国の貴族ではないわたしと、王族だ。
どちらが偉いのかなんて一目で分かるだろう。
「なんですって!?」
そして、王女殿下も案の定、激昂する。
これまでに会ったどの王女殿下よりも沸点が低いですね。
元王女だったというアックォリィエさまだって、そこまで酷くはなかったよ?
「アーキスフィーロさまは、わたしに待つように言いました。ですから、あの方がお戻りになるまでは待つつもりです」
周囲のざわつきは止まらない。
「あ、あんたねえ……」
ふるふると震えている。
「シオリ嬢!!」
そこに現れるアーキスフィーロさま。
「アーキスフィーロ!! やっと来てくれたのね!!」
凄い、この王女殿下。
アーキスフィーロさまの呼びかけ、完全に無視している。
そして、アーキスフィーロさまは両手を広げた王女殿下の横をすり抜け、わたしのところへ来てくれる。
「申し訳ありません。少々、知人との会話が長引いてしまって」
「大丈夫ですよ。そんなに待っていませんから」
急いできてくれたのだろう。
少しだけ、その息が上がっている。
流石に、この場所で移動魔法を使うなんて、平気で常識を無視する護衛ぐらいだろう。
「遅い」
「ご連絡、ありがとうございます。トルクスタン王子殿下」
どうやら、この様子から、トルクスタン王子が知らせてくれたらしい。
通信珠だろうか?
「アーキスフィーロ!!」
王女殿下の甲高い声。
それを……。
「私の用は済みました。シオリ嬢、これから、貴女の用を済ませましょう」
アーキスフィーロさまは無視した。
そこで、また周囲が騒めく。
気付けば、周囲にかなりの人だかりができていて、そのことに驚いた。
暇なのかな?
だが、舞踏会の円舞曲の時間はまだ終わっていないらしい。
音楽はずっと演奏され続けている。
ダンスフロアには既に誰もいないのに。
こんな状況でも演奏しなければいけない楽団さんたちは大変だね。
お疲れ様です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




