言質
「貴女の初舞台となるこの場の相手役は、是非、この私に務めさせてください」
アーキスフィーロさまがわたしに微笑みながら、そう言った途端……。
ざわっ!!
明らかに周囲が騒めいた。
―――― 笑えたのか?
―――― 我が儘王女、黒公子の視界にも入ってないじゃないか
―――― よしよし、これ以上、あの男を怒らせるな
―――― それより、あの白いドレスの可憐な娘は誰だ?
―――― あの娘は黒公子のことを知らないのだな、可哀相に
―――― 黒公子が人間の顔をしている
―――― クソ王女、様見ろ
そんな声が自分の耳に届く。
その一つ一つにツッコミたいが、今は我慢だ。
でも、「可憐」と言ってくれた方、ありがとう。
中身は可憐から程遠くて申し訳ない。
そして、王女殿下の陰口を言っていた方。
気を付けてください。
聞こえていないと思っても、案外、悪口ほど、耳に届くのですよ。
「よろしくお願いいたします、アーキスフィーロさま」
わたしも周囲の声など聞いていないフリをしつつ、答える。
「ちょっ!? ふざんけんじゃないわよ!! 何、割り込んでんのよ、このクソチビ!!」
王女殿下がまたも怒りだした。
どうやら、まだ、最初のダンスを始めることはできないらしい。
困った。
アーキスフィーロさまの手をとって、わたしたちは、基本姿勢をとったのに、割り込んできそうな気配だ。
「そこまでだ、トゥーベル王女」
この場で、王女に対して「殿下」という敬称を付けずに呼びかけることが許される人間はそう多くない。
「ちょっと!? 私に対して、そんな馴れ馴れしい呼び……」
そう言いながら、その相手に噛み付こうとして……。
「あ……」
トゥーベル王女殿下の動きが止まる。
それはそうだ。
そこにいたのは、アーキスフィーロさまに勝るとも劣らない美形。
トルクスタン王子が悠然と立っていたのだから。
「本来は、舞踏会最初の相手は、我が従甥であるヴィバルダスが務めるべきだが、不甲斐ないことに、貴女をエスコートする様子がない。それならば、私がお相手として名乗り上げたいのだが、お許し願えるか?」
誰だ?
あのキラキラしい王子さま。
カルセオラリアの第二王子殿下ですね。
知っていました。
「はい! 喜んで!!」
そして、トゥーベル王女はその外面に騙され……、もとい、その顔に釣られ……、いや、キラキラしい本物の王子さまの作り笑顔に惹かれて承諾した。
承諾してしまった。
だが、これ、絶対、誰も悪くない。
「私はこの国の人間ではないため、踊ることは苦手だ。それでもお相手願えるか?」
「はい!! 私、ダンスは得意ですので、教えて差し上げますわ!!」
あ。
どさくさに紛れて、ちゃんと言質もとっている。
これで、本当に誰も悪くない。
トルクスタン王子はダンスが苦手だと自己申告をしたし、トゥーベル王女はそれを承知で受け入れたことになる。
なんとなくトルクスタン王子の近くにいた従者たちに目を向ける。
黒髪の御仁がわたしに向かって、色気ある笑顔を見せつつ、口元に人差し指を立てた。
……黙っておけ、と。
いつもと違った髪型と正装にくらくらしそうになる。
その雄也さんは、真央先輩と、そして、九十九は水尾先輩と踊るらしい。
まあ、分かりやすい組み合わせだよね。
リプテラでの練習の時もそうだったから。
水尾先輩の身長が、薬によっていつもよりも低くなっているけれど、それぐらいの違いは、九十九なら問題もないだろうし。
水尾先輩は、わたしよりも高いから。
「ご愁傷さまです」
わたしは、トゥーベル王女に向けて、そう呟いた。
「トルクスタン王子殿下は、そんなに踊りが不得手なのですか?」
至近距離のため、アーキスフィーロさまにも先ほどの声が聞こえていたらしい。
「ダンス講師の足に穴が空かないように、治癒魔法の使い手が常時、見張っておく必要がありました」
「穴……」
アーキスフィーロさまがどこか茫然と呟く。
「最高記録は、42回。最低記録は13回だったと記憶しています」
「それは、一日で……でしょうか?」
「いいえ。一曲です」
ある意味、覚えやすい数字だと九十九が呆れていた覚えがある。
「この場にも治癒魔法の使い手はいるので、大丈夫でしょう」
アーキスフィーロさまはそう言い切った。
「それならば良いのですが、未婚女性の、それも王族の足に触れることになります」
もう既に足に怪我をすることが前提の話となっているが、逆に足を怪我しない未来が思い浮かばないから仕方ない。
「もし、そうなったとしても、トルクスタン王子殿下は何も悪くありません。勿論、貴女も」
トゥーベル王女に対しては含むものがあるらしく、彼女が悪くないとは言わなかった。
その気持ちはよく分かる。
そもそも、あの方が変に食い下がらなければ、こんなことにはならなかったのだから。
そして、ようやく円舞曲の曲に切り替わった。
曲は讃美歌の「アメイジング・グレイス」。
アメリカでもっとも慕われ、愛されている讃美歌と言われた曲だ。
人間界にいた時は曲として聞いたことがあったが、この世界で聖歌を習う時に、人間界の讃美歌として、恭哉兄ちゃんから歌詞も習った。
中学英語程度で覚えられるものだったので、そこまで難しくないのが良い。
九十九と踊っている時に、うっかり口ずさんでしまって、「余裕があるようだな」と、さらに難しいステップにチャレンジさせられたのが、既に遠い昔のことのようだ。
「シオリ嬢は楽しそうに踊りますね」
デビュタントボールよりは余裕があるのか、アーキスフィーロさまがわたしに話しかけてきた。
「そうですか?」
自分ではよく分からない。
ステップを踏み間違えないように必死になってはいるけれど、踊ることは嫌いではないから、それが滲み出ているのかな?
「はい。踊っている時は、柔らかく微笑まれていることが多いようです」
ぬ?
滲み出ているどころか、顔に出ていたのか。
それは恥ずかしい。
「デビュタントボールでも、踊っている時に、貴女は笑ってくれました」
あ~、それは思ったより楽な円舞曲だったからかな。
練習中に求められた踊りはかなり高度だったしね。
あの護衛兄弟たちは自分に厳しいだけでなく、教える側に回れば、他者にも厳しい。
だけど、彼らがこれまで頑張ってきたことも知っているから、簡単にできないなんて言えないし、言いたくない。
そうなると、わたし自身も負けられなくなる。
勿論、それでも、彼らの研鑽には全く届かない。
でも、それに恥じないように努力はしてきたつもりだ。
「練習の成果があったことが嬉しくて、つい、笑っていたかもしれかせん。お恥ずかしい所をお見せして申し訳ありませんでした」
気を抜いてニヤけた顔を見せていたとは本当に恥ずかしい話だ。
しかも、至近距離。
言い逃れもできないほどの失態である。
「いいえ。私も嬉しかったです」
「嬉しかった……ですか?」
何故に?
アーキスフィーロさまも練習の成果が出たとかいう話?
「シオリ嬢が、私に心を許してくださっている気がして、嬉しかったのです。不思議ですよね?」
ぬう?
その台詞を口にしたのが、アーキスフィーロさま以外の殿方だったら誤解しそうな言葉だと思う。
でも、大丈夫。
わたしは、誤解しない。
この人はわたしを「愛することはできない」と、始めに言った。
だから、わたしは愛されることはない。
これらの言葉は全て、貴族としての社交辞令。
もしくは、婚約者候補であるわたしに対する気遣いだ。
誰だって、蔑むような人よりも、自分を尊重してくれる方が良い。
そこに愛はなくても、大事な人間として扱ってくれる方が良い。
その方がいろいろと上手くいくだろう。
少なくとも、わたしはそう思っている。
ふと気付く。
アーキスフィーロさまは踊り始めてから、ずっとわたしの顔を見ている気がする。
でびゅたんとぼ~るでは、下を見ていて、目もあまり合わなかったのに。
そのためか、でびゅたんとぼ~るの時よりも、踊りやすくなっている。
あの時は緊張していた?
いや、まさかね。
アーキスフィーロさまは、人前を好まないけれど、人目を気にして萎縮するタイプでもない。
この会場に入る時だって堂々としていた。
寧ろ、ふてぶてしいぐらいに。
考えてみれば、人目を気にするような人が、国王陛下からの登城要請を断り続けることなんてできるはずがないのだ。
でも、今の動きは確かに悪くないと思う。
これなら、セヴェロさんが上手というのは分かる気がした。
もしかしたら、得意な曲、不得意な曲があるのかもしれない。
「シオリ嬢、この舞踏会が無事に終わったら、夜のヴィーシニャを見に行きましょう」
でも、そう微笑まれたから……。
「はい」
わたしもそう答えたのだった。
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