勧誘
王族たちのファーストダンスが終わった。
次は、今回の参加者たちが、それぞれの相方と踊る時間である。
これさえ乗り切れば、後はどうにかなるだろう。
アーキスフィーロさまが登城して社交デビューするという、最低限のことはできた。
今後、城仕えをするかどうかはともかく、貴族としての責務は果たせるのだ。
移動中は、ゆったりとした……やはりクラシックだ。
吹奏楽のイメージではなく、どちらかというピアノの方が合う曲。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作ピアノソナタ8番「悲愴」第二楽章……だったはず。
うろ覚えなのは、わたしにとっては、どこか合唱曲のイメージが強いからだろう。
それも、外国の人が編曲したものに、さらにアレンジを加えたものだったけれど、ふとした時に思わず口ずさみたくなる程度には、好きな歌だった。
港町で歌姫をやった後で、夜の海を見ながら、九十九と一緒に歌った歌でもある。
いろいろ思い出深い曲だと言えるだろう。
なんとなく、アーキスフィーロさまを見ると、目が合って、苦笑された。
そうだね。
この方とは、数年前、同じ中学に通っていたのだ。
お互いに中学時代に習った音楽は知っている。
周囲が手と手を取り合って、踊りやすく開けたところへ向かい出した。
「シオリ嬢」
「はい」
わたしもアーキスフィーロさまから差し出された手を取る。
そこで……。
「アーキスフィーロ!!」
そんな甲高く、どこか幼さを含んだ声が周囲に響いた。
どんなに似たような身分であっても、ファーストネームの呼び捨てができるのは、身内などの近しい人間、そして、身分が高い人。
この場合は恐らく、後者だろう。
声の方向を向くと、先ほどお顔だけお見かけした可憐な御令嬢が、何かを睨むかのように、こちらに向かってくるのが見える。
その表情から、厄介ごとの気配しかない。
「相変わらず陰気な顔ね、アーキスフィーロ」
挨拶もそこそこに、可憐な御令嬢は、かなり尖った言葉を口にする。
お付きの人たちも慌てて追いかけてきたようだが、わたしたちの姿を見て、足を止め、少し、距離をとった。
この方は、婚約者さまがいらっしゃったと記憶している。
しかも、その婚約者さまも、この舞踏会には参加されるとも言っておられた。
その姿がないのは何故だろう?
王族によるファーストダンスの後、参加者は一緒に入場した相方と踊ると話があったはずなのに、記憶違い?
「仕方がないから、相手してやるわ。私の手を取りなさい、アーキスフィーロ」
「お断りします」
まるで、そのお誘いがあることを事前から予測していたかのような即答だった。
周囲が騒めく。
それはそうだ。
相手は、この国の第二王女殿下「トゥーベル=イルク=ローダンセ」さまなのだから。
いろいろマナーをすっ飛ばしているけれど、この国では尊ばれ、周囲から傅かれる存在である。
そんな方からの申し出をあっさりと、拒否……というか拒絶に近い言葉だった。
尤も、意外でもなんでもない話だ。
アーキスフィーロさまは、この国の頂点である国王陛下からの申し出すら拒否する人である。
本来ならそれはあり得ないけれど、アーキスフィーロの特殊な立ち位置がそれを可能にしてしまっている。
そして、それ以上にアーキスフィーロさまは基本的に真面目な人である。
だから、先にマナーを無視した行動をとっている王女殿下に対して、鋭い目線を向けているのだろう。
「は?」
だが、王女殿下はそれを受け入れられなかったらしい。
その可憐なお顔の眉間に、縦皺が深く刻まれる。
「アーキスフィーロ? 今、なんて言ったの? まさか、私からの誘いを断る? 冗談でしょう?」
聞こえてはいたらしい。
そして、アーキスフィーロさまはそれ以上何も言わなかった。
それがまたイライラしたのだろう。
王女殿下は、顔を真っ赤にしながら……。
「まさかね~? あんたみたいに陰気で不愛想で気が利かなくて、あの胸デカ脳足りんにまで捨てられるような男が、高貴なる私の誘いを断るとか? ありえないわよ? まさか、理解力までなくなったのかしら?」
高貴なる方にしては、かなり品のない物言いである。
この時点で、わたしとは仲良くなれない気がした。
「まあ、私は寛大なので? 一度ぐらいの無礼は許してあげなくもないけれど? ああ、あんたに構うような人間は私ぐらいだったわね。それなら礼儀を知らないのは仕方ないわ」
ぬ?
それって、自己紹介?
構うような人間が無礼だから、その相手も無礼って結論になっている?
でも、アーキスフィーロさまは無礼な人ではないよね?
そして、この方は王女殿下であることを差し引いても、本当に礼を失っている人だってことは分かる。
現在進行形で王女しているワカも強引な所はあるし、我儘さんでもあるけれど、他者の前でそんな隙を見せない。
そもそも、オーディナーシャさまと共に、わたしの振る舞いの師匠でもあるのだ。
正しい礼儀を知らなければ誰かに教えるなんてことはできないだろう。
今は、消えてしまった国の王族である水尾先輩も真央先輩もその言動は自由に見えるけど、礼儀はしっかりしている。
普通に食事をしている姿だって、品があるのだ。
普段の言動は庶民っぽく振舞おうとしているけれど、食事する姿だけはどうしても高貴さが抜けない。
食事量と速度がおかしいからそのことに気付きにくいけれど、あの二人はやはり骨の髄まで王族なのだと実感する。
楓夜兄ちゃんだって、身内以外ではちゃんと切り替えができるし、ワカの兄上であるグラナディーン王子殿下はどこに出してもおかしくないほど王子さまだ。
トルクスタン王子殿下も普段の言動は残念な部分が目立つけれど、一度、王子殿下モードになれば、「誰だ? この方」と言いたくなるほど王子さま役をこなしている。
だけど、この王女殿下には、そんな品を感じない。
口調とかの問題ではないのだ。
教育係は何していた?
自国の王女が人前で恥を晒していても、止める様子もない周囲の考えも分からない。
「アーキスフィーロ。私の相手をなさい」
「お断りします」
「はあ? 聞こえないわ。もう一度、言うから『はい』と答えなさい」
そして、繰り返される言葉。
なんだろう?
このRPGで「はい」を選択するまで話が進まないイベント感満載の会話は。
そして、意外と頑張るな~、この王女殿下。
だけど、周囲に人が集まってきた。
さらに言えば、移動中のBGMだった「悲愴」が、先ほど、二周目に入った。
多分、本来なら移動が終わって、次の円舞曲に切り替わるところだったのだろうけど、王女殿下がこうなので、下手に始められないと判断しているのだと思う。
他の王族たちも戸惑っている。
部屋の中央に立って、音楽が変わるのを待っているようだが、変わらないからだ。
そして、王子殿下たち、及び、第一王女殿下は、準備姿勢中なので、周囲が見えず、何故、準備が整わないのかも分からないようだ。
つまり、第二王女殿下とアーキスフィーロさまとのやり取りのために、舞踏会の進行が止まっていることを意味していた。
壇上を見ると、興味深そうに笑っている国王陛下と、扇で顔を隠している正妃殿下。
トルクスタン王子殿下とその背後の人たちは表情には出していないが、こちらに視線を寄越しているということは気付いている。
もしかしなくても、これはかなり不味い状況なのでは!?
今まで、こんな場面がなかったから気付かなった。
迂闊すぎる!!
王女殿下の関心は明らかにアーキスフィーロさま一人だ。
わたしに向けられていない。
そして、周囲も王女殿下の言動を目にしている。
正式な婚約者がまだ発表されていないアーキスフィーロさまはともかく、アーキスフィーロさまの兄と婚約をしている王女殿下にとっても、この状況は良くないだろう。
……っていうか、ヴィバルダスさまは何をしている!?
あなたの婚約者ですよね!?
すぐ近くにいた。
だが、アーキスフィーロさまに怒りの形相を向けているだけで、特に何もしようとしていない。
あなたが怒りを感じるのは、弟ではなく、婚約者である王女殿下に対してではないでしょうか!?
だが、いずれにしても、助けにならないことは理解した。
それならば、仕方ない。
わたしは、覚悟を決めた。
あまり目立ちたくはないから背後に控えていたかったけれど、これ以上、衆目を集めるわけにはいかない。
「アーキスフィーロさま」
わたしは小声で呼びかける。
「皆さまを待たせております。わたしたちもご準備致しましょう?」
お願い、気付いて!!
わたしがそう思ってアーキスフィーロさまを見る。
そこで、わたしに視線を向けたアーキスフィーロさまも、ようやく周囲の様子に気が付いたらしい。
その顔色が蒼褪めた。
「なに? そのドチビ」
……なんだと?
誰のことだ?
いや、間違いなく、わたしのことだろう。
分かっている。
分かっていますよ?
だからこそ、腹が立つ。
だが、ようやく、わたしも王女殿下の視界に入ったことは分かった。
「ああ、さっき、たまたまデビュタントボ~ルが重なっただけでアーキスフィーロにエスコートされた上、分を弁えずにお父様と踊ったデビューしたてのガキじゃない。あんたなんか、お呼びじゃないの。とっととアーキスフィーロから離れて。邪魔よ、邪魔」
意外にも覚えていたらしい。
いや、白いドレスはわたしだけだから当然かもしれない。
そして、王女殿下はわたしの肩を掴もうと手を伸ばし、それは間に入り込んだアーキスフィーロさまによって阻まれる。
わたしの魔気の護りが発動しなくて良かった。
アーキスフィーロさまを見ていたから、反応が少し遅れてしまったのだ。
アーキスフィーロさまは、王女殿下に背を向けたまま、わたしに手を伸ばし……。
「はい。貴女の初舞台となるこの場の相手役は、是非、この私に務めさせてください」
そう微笑んだのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




