広間
「一度、屋敷に戻りますか?」
顔と髪、ドレスを整えてもらった後、通路に出たら、アーキスフィーロさまがそこで待っていてくださった。
ただ、その他には誰もいない。
仮にも貴族令息だというのに、不思議だと思う。
本当は、家から相応の身分を持つ従者を連れてこないといけないんじゃないかな?
それができないからと分かっていても、そう思ってしまう。
そのアーキスフィーロさまはわたしの顔を見るなり、冒頭の台詞を口にしたのだ。
はて?
確かに時間はまだあるかもしれないけど、戻る理由が分からない。
「ここに来た時の方が良かったとは思いませんか?」
はて?
一体、何の話?
わたしが分かっていないことが分かったのか……。
「ルーフィス嬢にやり直してもらった方が良いのではありませんか?」
それで、理解した。
顔と髪か。
はっきり言われなかったから、分からなかった。
でも、髪はともかく、顔を直せとか言われてもいろいろ困ったかもしれない。
「いいえ。このままで」
確かにわたしもルーフィスさんの方が良いとは思ったけれど……。
「これは、正妃殿下のお気持ちなので、それを無碍にしたくはありません」
そもそも正妃殿下には何の非もないのだ。
寧ろ、お気遣いをしていただいてありがたいと思っている。
外出先で髪や化粧が崩れたら、基本は、自己責任である。
自分で直せないなら、侍女を連れてくる。
侍女がいないなら自分で直す。
本来、その二択しかないのだ。
それなのに、原因が原因だからと、わざわざご自分の侍女を貸してくださったのだ。
「だから、このままで良いのです」
まあ、帰ったら、ルーフィスさんから問い詰められるとは思うけれど。
外出先で明らかに違う系統の化粧に直されたら、気付かないはずがない。
でも、どう説明したものか……。
でびゅたんとぼ~るにて、国王陛下にぶん回された結果です……かな?
それしかないね。
ルーフィスさんなら、それで全てを理解してくれることだろう。多分。
「本当に良いのですか?」
「はい」
どうせ、顔も髪も自分で見ることはないのだ。
だから、気にしなければ気にならない。
ここで化粧や髪を我流で直して失敗するよりはずっと良いし、戻るのも手間だ。
それに、ルーフィスさんの手も煩わせたくない。
「シオリ嬢は人が良すぎる」
そうかな?
実は、この結論だって、滅茶苦茶、打算尽くしなのだけど。
この化粧と髪型は正妃殿下の侍女によるものだ。
つまりは、正妃殿下の意思である。
それを知っている人たちは、どうしたって、わたしに気を遣うしかない。
本音はともかく、一時的に、正妃殿下の庇護を得たようなものだと思っている。
そして、知らない人がいきなり出てきたわたしを謗るための材料として、うっかり、この髪型や化粧を馬鹿にするような言動をしたら、いろいろ終わるだろう。
それは同時に正妃殿下を馬鹿にするようなものだから。
「人の好さではアーキスフィーロさまには敵いません」
わたしはそう言って笑った。
誰がどう見たって、この人の方が、圧倒的な人の好さである。
セヴェロさんも何度か「お人好し」って言ってるしね。
さて、でびゅたんとぼーるは「藍玉の間」で行われたが、今度はもっと大きな広間である「青玉の間」で行われるらしい。
場所は、アーキスフィーロさまがご存じと言うことで、またも先導をお願いすることになる。
あのまま、何事もなく「藍玉の間」にいたら、普通に案内してもらえたかな?
いや、わたしが控室に行った後、残った王族たちはアーキスフィーロさまよりも先に退室したらしいから、それは無理だっただろう。
そして、その場にいた他の人たちはアーキスフィーロさまを気遣うことはしない。
そんなことをするような人たちならば、アーキスフィーロさまは今、ここに一人でいるはずがないのだ。
本当に酷い国だと思う。
これは、わたしがアーキスフィーロさまに同情的だからそう思うだけだろうか?
そんな気持ちを抱きながら、「青玉の間」に到着した。
この部屋は、入り口が一つではないらしい。
正面からでもいくつか大きな扉がある上、横からも入れたりする。
人間界にもそんなホールはあったよね。
だが、それがお城の中だというのが凄い。
でびゅたんとぼ~るの参加者は、正面からではなく、横から入ることになるそうな。
大人たちの会合に、こっそりと侵入する感覚らしい。
そんな遊び心を、誰が考えたんだろう?
そして、それからが実質、社交デビューになるのだけど、特別、皆に紹介されるわけではないらしい。
会場にいる身内と合流した後、それぞれ、関係者各位に挨拶回りをすることになる。
その辺りは、人間界のでびゅたんとぼ~るとは違うとルーフィスさんは言っていた。
何でも、人間界のでびゅたんとぼ~るは、お貴族の子女たちのお見合い場でもあったらしい。
昔の話だけどね。
そう考えるとでびゅたんとぼ~るって合コンっぽいのかな? と言ったら、それはちょっと違うと苦笑された。
まあ、それはさておき、時間内にその大広間に入って、暫くすると、王族たちが入場し、国王陛下による挨拶が行われるそうだ。
その後、王族によるファーストダンス、そして、それぞれの参加者が踊り、自由行動。
これがこの国の一般的な舞踏会らしい。
飲食コーナーは別室に設けられていて、それ以外にも休息、休憩できる部屋もある。
女性は踊った後の化粧直しもしなければいけないので、侍女たちを待機させておく部屋もあるそうだ。
部屋数、どれだけ必要なのだろうか?
「招待状の確認をさせてください」
扉の前に立っている人から、そう告げられたので、アーキスフィーロさまがそれを見せる。
「は!?」
何故か、奇妙な声を上げて、招待状とアーキスフィーロさまの顔を見比べる扉の番人さん。
「え? あの黒公子? え? 本物?」
……黒公子?
なんだろう?
その麹菌の一種みたいな名前は……。
多分、アーキスフィーロさまのことだと思う。
いろいろな異名があるみたいだね。
そして、この人はアーキスフィーロさまの顔を知らない人だったらしい。
「確認致しました。お通りください」
短い悲鳴を上げなかっただけマシだとは思った。
それでも、無礼だとは思うけど。
でも、「黒公子」?
良い意味にも、悪い意味にも取れる異名だ。
これは、尋ねても良いものなのだろうか?
いや、聞かないようにしよう。
必要ならば、教えてくれるだろう。
言わないってことは、わたしが知らないで良い話だ。
アーキスフィーロさまに手を取られ、前に進み出る。
開かれた扉から、広間に入ると、チカチカ、ギラギラと眩しい光がまず、目に入った。
楽器だ。
それも数種類の金管楽器。
それが光を反射していて、かなり眩しい。
久しぶりに、これだけの量の楽器を見た。
母に連れられて行った、市民コンサート以来じゃないかな?
少なくとも、中学時代の吹奏楽よりは、楽器の量が多いと思った。
だが、残念ながら、それらは並べられた椅子の近くではあるが、無造作とも言える状態で置かれていた。
鍵付きのケースにも入れず、椅子の上に置いてあったり、立てかけたり、酷いものとなると、床に置いてあるのもあった。
魔法のあるこの世界では盗まれる心配があまりないのだろうけど、それでも、この扱いはないだろう。
真央先輩が見たら、激怒しそうな光景である。
この国は、楽器の演奏はできても、楽器の扱いを知らないらしい。
そして、その楽器コーナーから少し離れた場所では、華やかな衣装を身に着けた煌びやかな人たちが歓談していた。
女性のドレスは、上半身ピッタリ、腰から下がボリューム満点のスカートと、形は似ているけれど、わたしと同じ真っ白な衣装を着ている人は、当然ながら全くいない。
圧倒的に青色系統のドレスが多いけれど、赤や、緑、若い女性は水色、ピンクと実に色とりどりである。
以外に思ったのは、皆、長い手袋は身に着けているけれど、大半、ドレスと同じ色合いで、白い手袋が全くいなかったことだ。
そして、頭や首、耳を彩る装飾品もなかなか主張が激しいものが多い。
あれらの総額……、いや、それよりも総重量どれぐらいだろう? ……と、阿呆なことを考えてしまう。
ドレスだけでも結構、重いのだ。
女性は、水面下で努力する生き物だよね。
男の人たちはアーキスフィーロさまと同じように、燕の尾みたいな上着のえんび服と、白の蝶ネクタイ。
男性は装いに差がほとんどない。
えんび服の色も黒だけ。
人間界のビジネススーツのように、グレーとか紺色は見当たらない。
つまり、完全白武装ドレスはわたしだけである。
アーキスフィーロさまはともかく、わたしはかなり目立つだろう。
まあ、逆にでびゅたんとぼ~るの参加者だと分かりやすくもあるのだけど。
だが、今回のびゅたんとぼ~るの参加者がたった一組しかいないのは何故かって話でもある。
社交デビューは男女ともに15歳以上であること。
そして、一年に六回の機会。
普通に考えても一組だけしかいないのはおかしいと分かるだろう。
気になるのは直前で辞退の申し出があったこと。
それも「相次いで」。
その言葉だけで、本来なら、でびゅたんとぼ~るの参加者は他にも数組、予定されていたことが分かる。
王城に参加すると返答しての直前のキャンセルは外聞も悪いはずだ。
仮に、何か目的があって参加者たちが示し合わせていたとしたら、王家の不興よりも気にしなければならない事態があったこということだろう。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
それは、この舞踏会が終わるまで分からない。
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