礼儀
「ひいっ!?」
開口一番、そこにいた人はそんな声を漏らした。
いや、この場合、出会い頭だから、邂逅一番?
どちらにしても、失礼だとは思うけど。
「よ、ようこそ、お越しくださいました。く……、いえ、アーキスフィーロ様。ご案内いたします」
そして、挨拶も礼もそこそこに、変な声を出した人は慌てて、先へ進んでいく。
後ろも見ないままに。
「アーキスフィーロさま」
わたしは、小さな声で呼びかける。
「わたしはこの国の礼儀に対して不勉強ではありますが、いきなり、下の身分の人間がファーストネームを呼ぶことは無礼ではないのですか?」
多分、先ほどの人の立場から、「ロットベルク家の御子息」が正しいと思う。
もしくは「ロットベルク家の第二令息」か。
この国では、貴族のファーストネーム呼びが許されるのは、相手よりも身分が高いか、親しい関係にある人だったはずだ。
もしくは、直接、同じ家に仕えている人である。
同じ家にいるのに、「ロットベルク家子息」とかは、それはそれで失礼だろう。
先ほどの人は、悲鳴とかもあったし、あの態度とかを見る限り、それ以前の問題だとは思ったが、ここは城だ。
どこで、誰が聞いているか分からない。
魔法を使われたら気配で分かるかもしれないけれど、それ以外の方法で会話を聞こうとする人だっているかもしれないのだ。
だから、聞き耳を立てられていても問題のないような話を口にすると……。
「はい。かなり無作法ですよ。挨拶も、案内の口上も碌になく、頭を下げることすらしないまま、我先先へと進むことは、普通の貴族子息に対する行動ではないでしょう」
アーキスフィーロさまは苦笑する。
「だけど、私自身も、今、貴女に指摘されるまで、そんな基本的なことも忘れていました」
それだけ、こんな扱いをされてきたということだろう。
これが普通になってしまうほどに。
しかも、それが幼少期なら、指導される礼儀作法との矛盾に悩むこともあったかもしれない。
「それなら、付いていく必要はないのでは?」
思わず、そう口にしていた。
「え……?」
「そんな礼儀知らずが、王城という最高峰の案内人だとは思えません。偽物だったら、付いて行った先で危険な目に遭うかもしれませんし、本物ならば、王家の信用失墜行為ですよ?」
勿論、偽物ではないと分かった上での行動だ。
だけど、わたしたちを置いていくかのように急ぎ足で前に進んでいくあの人を、案内人だと思いたくもない。
確かにわたしは他国の庶民だけど、アーキスフィーロさまはこの国の貴族令息なのだ。
どう見ても、あの人よりは身分が高いだろう。
なんとなく、この国はいろいろ酷い。
いや、酷過ぎる。
それは……、頂点のせい?
それとも……?
「シオリ嬢」
「はい」
考え事をしていたところで、止められる。
「貴女が言ったように、ゆっくりと向かうことにしましょう」
「良いのですか?」
「はい」
自分から提案したことではあるのだけど、あの人が案内人なら、付いて行かなくても大丈夫だろうか?
行く場所も分からなければ、その行程も分からない。
おまけにわたしは方向音痴だ。
わたし一人だったなら、自動的に迷子コースへとご案内されてしまう気がする。
城内放送ってあるのかな?
「あの案内人が向かおうとしている先は、話に聞いていたホールではありません。恐らくは例の『契約の間』かと」
うわあ……。
来た早々、露骨に「契約の間」まで案内される所だったのか。
しかも、わたしがいるというのに。
いや、わたしもいるからか?
他国の庶民など、どうにでもできるってこと?
随分、なめられたものですな?
「シオリ嬢とセヴェロが言った通りですね。まさか、御目通りの前に案内されるとは思いませんでしたが……」
「アーキスフィーロさま……」
なんと声を掛けて良いか分からない。
「大丈夫ですよ。舞踏会が行われる広間の場所は把握しています。そこに行くまでは少し歩く必要がありますが、迷うことはないのでご安心ください」
アーキスフィーロさまは気にした風でもなく笑う。
「だから、貴女がそんな顔をする必要はありません」
「そんなに変な顔をしていましたか?」
それはちょっと失敗だったか。
これでも、顔に出さない努力をしているつもりなんだけどな。
だが、今は自分の顔を触ることすらできない。
化粧が!!
今日は崩れても、直してくれる人がいないのだ。
自力で直す?
無理無理無理!!
「いいえ。いつものように、可愛らしいお顔ですよ」
この方は、ここ数日、さらりと褒めてくれるようになった。
貴族令息は、本当に呼吸をするかのように女性を褒めてくれるらしい。
隙あらば、褒め言葉を会話の隙間に差し込んでくるのだ。
よくよく思い起こせば、トルクスタン王子も楓夜兄ちゃんもそうだ。
結構、女性を褒めてくれるね。
いや、あの二人は貴族令息ではなく、王族なのだけど。
やはり、そういう教育が身についているのだろう。
「いつもと変わらないなら、良いのですが……」
「いえ、私は、いつもの貴女の方が魅力的だと思います」
ふぐおっ!?
アーキスフィーロさまは、厚化粧よりも、ナチュラルメイクっぽく見える方がお好みってことでしょうか?
いや、男性ってそっちの方が圧倒的に多いらしいね。
でも、今の自分の方が、確実に別嬪さんなのですよ?
化粧、凄い。
化粧、偉い。
化粧、怖い。
「それでも、場にあった装いがあることも勿論、承知しております。それに、今のシオリ嬢も魅力的なので問題はありません」
「そ、それは、ありがとうございます」
動揺から、吃ってしまった。
わたしはお貴族さまではないので、褒められ慣れていないのです。
少しは手加減をしていただきたい。
今は、頬紅なしでも、真っ赤な自覚がある。
「この城では、先の案内人のような者が多いことでしょう。その一人一人に憤りを覚えていては、きりがありません」
その先の案内人は既に視界から消えていた。
逃げるように先を急いでいたあの姿から、本気でアーキスフィーロさまを案内する気があったのかすら謎である。
あんな仕事でも給料がもらえるって凄いな。
人が余っているのかな?
セントポーリアなんて、文官の手も足りていないのに。
「だから貴女は、私の隣で笑っていてください。それだけで、私は救われます」
わたしたちは、会ってまだ一月も経っていないというのに、頼ってくれるなんて、そんなにもこの人には味方がいないということなのだろうか?
それは、かなり悲しいことだと思う。
何より、第五王子殿下は護ってくれないのだろうか?
側近だったってことは、護る義務もあると思うのに。
実際、この人は、人間界で第五王子殿下を護っていたし、庇いもしている。
最後に会った時の忠告は、そういうことだったと思っていた。
それなのに、第五王子殿下はその忠誠に報いもしないのか?
でも、あの頃は、そんな人には見えなかったのだけど、場所も立場も変わると、人まで変わっちゃうのかな?
「承知しました。笑うだけなら得意です」
わたしは胸を張る。
これは、護衛にいつも「呑気すぎる」と言われているわたしの本領発揮の場ということだろう。
「ただ、そのためには、アーキスフィーロさまにお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「お願い……、ですか?」
アーキスフィーロさまがちょっと戸惑ったご様子。
でも、仕方ない。
アーキスフィーロさまに恥をかかせたくはないからね。
「わたしは先ほどお伝えした通り、この国の文化、習慣にそこまで明るくはありません」
勿論、一応、勉強はしてきた。
でも、最低限の付け焼き刃であることは間違いない。
「万が一、人前で失敗してしまった時はそのフォローをお願いしたいのです」
アーキスフィーロさまは社交的ではないけれど、この国に生まれ育っている分だけ、違うだろう。
暗黙の了解とかはちょっと難しいかもしれないけれどわたしよりはずっとマシだ。
「それは当然のことです。貴女は他国から来てくださったのですから」
アーキスフィーロさまは真っすぐ、わたしを見る。
その綺麗な黒い瞳に自分が映っていた。
「誰かを護ることに不慣れな身ではありますが、どうか、私に貴女を護らせてください」
そう言いながら、アーキスフィーロさまはわたしに改めて手を差し出したのだった。
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