白い景色
いつものように、アーキスフィーロさまの書斎へと向かう。
……とは言っても、わたしに与えられた部屋からそう離れてはいないため、あっという間に着いてしまった。
「ルーフィス。おかしくありませんか?」
ルーフィスさんが支度してくれたのだから、おかしいはずがない。
でも、いろいろと慣れないので妙に緊張してしまう。
九十九と出かける時とか、ヴァルとの時もここまで緊張はしなかった。
いや、どちらも同じ人だってことだけど。
それなのに、なんで、わたしはこんなにも緊張しているのだろうか?
「先ほどもお伝えしましたが、シオリ様はお綺麗ですよ」
もっと綺麗な人から言われても説得力がない。
だが、そんなわたしの心境をまるっと無視して、ルーフィスさんは無情にもノッカーを使って扉を叩く。
「シオリ様をお連れしました」
それに対する返答はわたしには聞こえなかったけれど、何らかの反応があったらしい。
「扉を開けますね」
ルーフィスさんがそう言って、目の前の扉を開く。
開かれた扉の先には、机があって、そこにアーキスフィーロさまがいることが見慣れた光景だったはずだが、その場所にその姿がなかった。
だけど、もっと近い位置に立っていた。
座っていないアーキスフィーロさまは珍しい。
「お待ちしておりました、シオリ嬢」
本日のアーキスフィーロさまの出で立ちは、黒の半袖ジャケットに黒のTシャツ、下も黒。
見事に黒尽くしのコーディネート。
最初に思ったのは暗殺者だった。
闇に隠れて生きているような驚きの黒さである。
いや、似合っているけど、でも、暗殺者に見える。
日頃から、表情の変化があまりない方だ。
その辺も含めて、ますます暗殺者っぽいと思えてしまう。
「本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
わたしは、スカートを軽く摘まんで、足を引いたお辞儀をする。
本日は長めのスカートなので持ち上げても違和感がない。
いや、わたしはもともとミニスカートを穿かないけれど。
「今日は、その……、いつもと違う装いですね」
「はい。侍女が、張り切って準備をしてくれました」
なんとなく、彼らはわたしを着飾りたいのだろうとは思っている。
九十九さんもそうだけど、ルーフィスさんも気合が入っていた。
今日のわたしは、化粧はしているものの、一見、そうと分からない、ナチュラル風メイクである。
すっぴんに見えず、かつ、化粧詐欺と言いにくい程度に自然な顔面処理である。
だが、実際は、いつもよりもずっと厚塗りだ。
わたしの顔は今、何層の化粧でできているか分からない。
それなのに、この自然な肌の色はどんな配色のファンデーションを使っているのか。
目元も近付くと分かるが、少しキラキラしい。
長い睫毛も、いつもより上向きになって、御目目がぱっちり良い感じとなっている。
「そうですか。とても、お綺麗です」
「……っ、それは、ありがとうございます」
同級生の褒め言葉は、やはり心臓に悪い。
しかも、中学の時はこんな言葉を吐くような人ではなかったのだ。
さらに言えば、顔が良い人である。
混乱するのは致し方無いだろう。
だけど、わたしはこれにも慣れなければならないのだ。
少しでも顔に出さない努力から頑張ろう。
「ルーフィス嬢も、シオリ嬢の華やかさを際立たせてくださって、ありがとうございます」
華やか?
わたしにそんな要素はない。
目の前にいるアーキスフィーロさま、その背後で……笑いを堪えているセヴェロさん、わたしの背後にいるルーフィスさんには全く敵わない。
そして、アーキスフィーロさまは貴族の子息だけあって、女性を褒める言葉に躊躇も照れる様子もなかった。
言われた方は顔に出さないようにするのが精一杯です。
「それでは、行きましょうか」
そうセヴェロさんが言いながら、わたしに向かって手を差し伸べた。
ぬ?
もしかして、セヴェロさんが移動魔法を使うの?
移動魔法の移動距離と対象範囲は人によって違う。
トルクスタン王子のように空属性の魔法を得意とする人なら、近くにいる人間に対して、接触せずともかなりの距離と人数で移動できたりするが、大半の人は、接触している数人だと聞いている。
「セヴェロ」
そう言って、アーキスフィーロさまがセヴェロさんの手を叩き落とした。
見事な手刀である。
「心が狭いな~、ボクの主人は。ボクがシオリ様とルーフィス嬢の手を握って、アーキスフィーロ様がシオリ様の手を握れば良いでしょう?」
「妄りに女性の手を握ろうとするな」
「え~? アーキスフィーロ様がシオリ様とルーフィス嬢の手を握りたいってことですか? 本当にムッツリ助兵衛って困りますよね~」
……この世界でもそんな言葉を使うのか。
そんな明後日なことを思った。
「シオリ嬢、ルーフィス嬢の手を握った後に、俺の手を」
だが、セヴェロさんの言葉を完全に無視して、アーキスフィーロさまはわたしに手を差し伸べる。
セヴェロさんと話した直後であるためか、一人称が戻っていない。
まあ、素で接してくれた方が良いけど。
そんなわけで、わたしは既に差し出されていたルーフィスさんの手を握り、同じように差し出されていたアーキスフィーロさまの手を取った。
そして、アーキスフィーロさまは、セヴェロさんの手首を掴んだ。
まあ、接触と言えば、接触ではあるが、セヴェロさんの顔は嫌そうだ。
しかし、4人が仲良く並んでいる図というのはなんとも不思議な感じがする。
移動魔法だから仕方ないのだけどね。
「では、行きますよ~」
セヴェロさんのそんな間延びした声と共に、視界が一瞬だけ、水の中に入ったような違和感があり、気付けば、わたしはそこにいた。
そこは、一面の白、白、白、白!!
一本や二本ではなく、自分の視界を埋め尽くすほどの圧倒的な存在感だった。
青い空に、白い入道雲が広がったような光景に一瞬、くらりとする。
「これが、この国の誇る『ヴィーシニャ』です」
白い景色の中に、アーキスフィーロさまの少しだけ得意げな声が耳に届く。
ああ、これは誇りたくなるだろう。
今は弥生の空ではないが、見渡す限り白い雲のような花々が一斉に咲き誇っていた。
まさに花盛りである。
そして、話に聞いていたとおり、八重桜にとても、よく似ている気がした。
幹も、枝も、花すらも。
だけど、こんなにいっぱい咲いているところは見たことはない。
「凄く……、綺麗です……」
わたしの貧困な言語表現能力では、とても、言い表せない。
ずっとこの魔界の桜を見ていると、胸の中に言い表しようない何かが溢れて止まらなくなる。
それは甘くて切なくて、散りゆく何かを思い出させるような……?
白く霞む景色。
ソメイヨシノを二人で見たのはいつだったか?
―――― いや、お前の顔を見てたら……、なんとなく?
桜を見ながら、そう言ってくれたのは、誰だったか?
「シオリ嬢!?」
何故か、アーキスフィーロさまが驚きの声を上げる。
「シオリ様、これを……」
ルーフィスさんに差し出された物を見て、わたしは自分の目から零れ落ちるものに気付いた。
「ありがとうございます」
ルーフィスさんから、薄橙色のハンカチを受け取って目元を隠すように当てる。
「ごめんなさい。せっかく、綺麗にお化粧してもらったのに。ハンカチも汚してしまいます」
できるだけ、ハンカチを汚さないようにしているつもりだけど、涙が溢れて止まらない。
「化粧など、直せば済むことですし、ハンカチもこのような時のためにあるのです。気にせず、お使いください」
ルーフィスさんが微笑む気配がする。
ここにいるのは、アーキスフィーロさまとセヴェロさん、そして、ルーフィスさんだ。
いきなりわたしが泣き出しても、馬鹿にするように笑う人はいない。
「アーキスフィーロ様。ルーフィス嬢に、男振りで負けていますよ? 日頃から、ハンカチぐらい、持ち歩きましょうよ。もしくは、召喚する頭を持ちましょうよ」
「うるさい。お前は黙れ」
主人を馬鹿にする従僕はいるみたいだけど。
だけど、そんな二人を見ていたら、いつの間にか、涙は止まっていたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




