心を揺らす相手
「う……っ」
ぐらぐらと視界が揺れ、倦怠感の中で、俺は目を開けた。
「ああ、気が付きましたか? アーキスフィーロ様」
聞き飽きた声が耳に届いた。
俺は一体……?
「貴方は、いつものように魔力を暴走させました。どれだけ覚えていらっしゃいますか?」
魔力を暴走……?
とうとう、やってしまったのか。
ここ最近は、シオリ嬢がずっと同じ空間にいたのだ。
彼女が、怯えていなければ良いのだが……って……。
「よく覚えていないが、お前が原因ではないのか?」
「おや、よく覚えていなのに、ボクが原因とよく分かりましたね?」
黒い髪、蒼い瞳の従僕は悪びれることなく、そう答える。
「ここ最近は精神的にかなり落ち着いていた。そして、シオリ嬢は俺を不安定にさせる要因は今のところない。そんな状況で俺の心を揺らすのはお前以外にないだろう?」
「それだけ聞けば、かなり熱烈な告白ですね~」
相変わらず掴みどころのない男は、軽い口調でそんなことを言った。
「他人と同じ空間に長時間いながら二週間近くも暴走させないって珍しいと思っていました。シオリ嬢はやっぱり凄いな~」
確かに彼女は凄いと思う。
一緒にいる侍女たちも含めて、自分の生活だけでなく、精神を落ち着かせる存在などこれまでに会ったこともなかった。
「今回、貴方の魔力の暴走を止めたのも、そのシオリ嬢ですよ」
「お前じゃないのか?」
「不甲斐ないことに、ボクは侍女たちに組み伏せられていました。あちらもなかなか手強い」
侍女たちに?
この男が?
並の人間では捉えることも難しいのに?
「至近距離で雷撃魔法を迷わず放つ。あの思い切りの良さはなかなかないな~。ますます、ボク、ヴァルナ嬢のことを気に入りましたよ」
「至近距離で雷撃魔法?」
雷撃魔法を屋内で?
そんなことが可能なのか?
いや、何よりも、どうしてそんな事態になっている?
「しかも、魔法だけでなく、体術まで会得している。ルーフィス嬢も素敵ですが、ボクの好みはやはりヴァルナ嬢ですね」
「お前の好みなど、知ったことか」
「酷いな~」
仮の婚約者候補とはいえ、その侍女と従僕が関係を持つことはあまり好ましくはない。
「あ~、でも、ここ数日。城下で話題になっている美女の一人は、やはり、ヴァルナ嬢で間違いないと思います」
セヴェロは楽しそうにそう言った。
実際、楽しんでいるのだろう。
「何故、分かった?」
10日前から、城下に二人連れの女性があちこちに依頼されていた魔獣を退治しているという話があった。
それぐらいなら、俺の耳に届くことはなかっただろう。
だが、その二人は、普通ではなかったのだ。
王族たちが手を焼くような魔獣すら倒してしまったらしい。
その話を聞いて、色めきだったのが、魔獣退治を生業としているような冒険者、狩人と呼ばれる者たちだった。
その二人を仲間に引き込めば、これまで倒せなかった魔獣にも挑戦できるし、大儲けとなる。
だが、その二人は全ての勧誘を断ったらしい。
そうなると、制限のない冒険者はともかく、慣れた場所に集中している狩人たちは自分たちの縄張りを荒らされないように牽制しようとしたそうだ。
だが、もとからそんなことができていれば、その二人を仲間に引き込もうとする理由がないだろう。
さらに救えないのは、その二人を短絡的な奴らが、暴力的な行為で屈服させようとしたらしい。
女二人ぐらいなんとかなると思ったのだろう。
だが、当然ながら、それらは全て返り討ちにされた挙句、男としての自信を喪失することになったと報告が上がっている。
何があったのかは、そいつらは一様に怯え、語ることもないというから、相当な目に遭ったのだと推測された。
自業自得であるため、同情する気もないが。
尤も、その二人が退治に向かうのは、普通なら、王侯たちに依頼が届くほど手強い魔獣ばかりだらしい。
普通に考えれば、縄張りが被ることもなく、それどころか、危険な魔獣たちを率先して退治してくれるのだから、感謝すべきと俺は思っている。
おかげで、俺に依頼が減っている。
そして、特筆すべきは、事後処理だ。
素材の処理がとにかく見事で、買取を依頼された店が挙って、スカウトしようとするレベルらしい。
しかも、目利きも鋭いようで、様々な店に利を与えつつも、自分たちが損をしないような取引をすると言う。
そんな目立つ存在だ。
いやでも、耳に入ってくる。
もともとは、ここ数日、俺への魔獣退治の依頼が減ったことが気になって調べさせた結果だったが、まさか、すぐ近くにいたとは思わなかった。
「特徴の一致ですね」
セヴェロは報告書を手にそう言った。
「向こうも、隠すつもりはないようで、素顔のままで城下に下りているようです。ヴァルナ嬢とは先ほど俺も手合わせしましたが、あれだけの能力を有しているなら、この辺りの魔獣の相手など容易いでしょう」
どうやら、シオリ嬢の専属侍女として選んだ女性の一人は、身の周りの世話以上のことができる人だったらしい。
そう考えると、トルクスタン王子殿下は、護衛の意味でも、付けた可能性がある。
「ルーフィス嬢の可能性は?」
もう一人の侍女も確認してみる。
どちらかと言えば、無口で必要以上の発言をしない女性よりも、笑みを絶やさず、シオリ嬢の側にいる女性の方が手強そうなイメージが強かった。
「皆無です。勿論、能力的には可能だと考えますが、件の二人のどちらとも、特徴が一致しません。何よりルーフィス嬢は、シオリ様から離れる時間がほとんどないので、移動魔法を使っても不可能でしょう。彼女も、いつ、寝ているんでしょうね」
10日ほど前からならば、シオリ嬢の専属侍女となった時期ともそう離れていない。
この国では、人間界のゲームのように冒険者レベルなどというものはないため、その実力は自己申告となるが、確実に上位に行くだろう。
「もう一人は、恐らく、トルクスタン王子殿下の侍女の一人でしょうね。男装の麗人の方です。やはり、トルクスタン王子殿下は女性を見る目がある上、その趣味がよろしい」
焦げ茶色の髪、琥珀色の瞳を持つ従兄を思い出す。
確かにシオリ嬢を紹介された時、女性を二人、男性を二人連れていた覚えがあるが、トルクスタン王子殿下はこの部屋に必要以上に顔を出さないためか、あまりその者たちのことを思い出せない。
四人とも眼鏡をしていた覚えはあるが、それ以上の特徴が頭に残っていないのだ。
それも不思議な話である。
「シオリ嬢が俺の魔力の暴走を静めたというのは本当か?」
「やっと、その話題になりましたね。お待ちしておりました」
そう言いながら、セヴェロは露骨にニヤニヤとした顔になる。
本当に待っていたのだろう。
余程、この精霊族が喜ぶようなことが起こったらしい。
シオリ嬢に怪我があったわけではないだろう。
この精霊族は、他人の困った顔を見るのは好きだが、誰かの身体が傷付くような事態は好まない。
侍女たちが何かしたのか?
この精霊族を組み伏せたと言っていた。
そんな経験をすることが稀だから、それは楽しかったというかもしれない。
「シオリ嬢、ああ見えて、かなり積極的ですね~」
積極的?
「アーキスフィーロ様を押し倒して止めるなんて思いませんでした」
押し倒……?
思わぬ言葉が聞こえた。
この精霊族は揶揄いはするが、嘘は吐かない。
そうなると、幻聴か?
「シオリ嬢に抱き付かれた感触とか、身体に跨がれた感覚とか~。意識が吹っ飛んでいても、少しぐらいは覚えてないんですか~?」
「は……?」
聞こえてきた声は耳から脳に伝わった後、それを自分のこととして処理する速度がいつもよりもかなり遅かったのだと思う。
それぐらい、現実味がない言葉だったのだ。
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