気になっていたこと
本当に余計なことばかりするヤツだと思う。
こちらは、ずっとタイミングを計っていたのだ。
終わるはずのない書類仕事が、片付きそうな気配がし始めた頃から、どう声をかけようかと思っていた。
そして、それは、少なくとも、周囲に人がいる時ではないと思っていた。
だが、アイツはそんな俺の心境を理解した上で、あんな態度で彼女に接している。
如何にも、主人のためと装いながら、こちらの反応をちょくちょく伺っているのがその証だろう。
本当に人間の心を読める「精霊族」の血を引く者というのは厄介な存在だ。
だが……。
「アーキスフィーロさま、『ヴィーシニャ』が綺麗に咲く地をご存じありませんか?」
そう尋ねられてしまっては……。
「はい。地元でも知られていない場所となりますが、よろしければ、ご案内させてください」
それに応えるしかなかった。
人があまり来ない場所なら、自分でも案内できる。
そして、その場所についても当然ながら、何度も訪れていたために知っていた。
「それは嬉しいです」
花が綻ぶような笑み。
その表情に思わず胸の奥が微かに擽られた。
誰かから、こんな表情を向けられるのは、何年ぶりだろうか?
昔から、周囲に怯えられた顔しか向けられたことがなかった。
血の繋がった家族や親戚すら、自分に対しては、嫌悪か哀憫、恐怖の表情を向けた記憶しかない。
自分と目が合った女性などから恍惚の表情を浮かべられることはあったが、このように打算も畏怖も憐憫の感情すら含まれていないものはかなり久しぶりだと思う。
人間界にいた頃は、精霊族の力が薄れるのか、異性の心を狂わせる魔眼の効果がかなり弱くなっていたが、それでも惑わされる人間は少なからずいたようだ。
この世界にいた時ほど、熱狂的な情を向けられたことはなかったが、やはり相応の感情を向けられ、求められた覚えはある。
何故、人間界はあんなにも恋愛に特化したイベントごとがあったのだろうか?
気付けば自分の生誕の日と設定した日に怪しげな贈り物を渡されたり、宝月宮25日などは、人間界にいた5年間、本当に憂鬱な日だったと記憶している。
小学校の時はそうでもなかったが、中学校の卒業式などは、何故か、制服のボタンが狙われた。
無理矢理、物の押し付けるだけならともかく、好意を持った相手から物を奪う行為はどうも納得ができない。
だが、彼女からはそういった攻撃的な感情も、打算的な感情も一切ない。
それも、昔から……だと思う。
当然ながら、そこには親愛の情はあっても、それ以上のものはない。
それだけの、ごく普通のことが、酷く心地よい。
血縁以外の異性は、王族も含めて、自分の前で何度も感情的になったというのに、それが全くないのだ。
背後にいる二人の侍女と言い、トルクスタン王子はなんという人間を紹介してくれたのか。
『アーキスフィーロ様~、「ヴィーシニャ」の見頃は、2,3日後の予想です。ボクのお勧めは明後日の午後ですよ~』
間延びするセヴェロの声が鬱陶しい。
分かっていてそんな言動をするのだから余計に腹も立つが……。
「シオリ様のご予定はいかがでしょうか?」
まずは、約束を取り付ける方が先だと判断する。
「わたしにもともと予定はありませんので、いつでも大丈夫ですよ」
そう笑いながら答えてくれた。
考えてみれば、彼女はこの国の人間ではない。
本人も土地勘がないと言っていたではないか。
その上、この家に来てから、碌に外出もしていなかったはずだ。
毎日、この部屋に来てくれていたのだから。
今更ながらそれに気付いて、申し訳なく思う。
まだ若い女性だというのに、外に出て気晴らしをすることもなく、着飾ることもせず、ただこの穴倉に閉じ込められたような生活。
しかも、自分の仕事でもないものを来た早々、いきなり大量に任されたのだ。
それでも、彼女から不満の声は一度も出なかった。
それどころか、何度も気遣われた。
大したことないのに、称賛すらされた。
数年前の彼女はどうだっただろうか?
そこまで交流を持っていなかったから、それすら分からない。
もし、あの頃、彼女と関り、このような友人関係を築くことができていたらどうだっただろうか?
間違いなく、その後に起きたいろいろなものが変わっていたことだろう。
だから、そうでなくて良かったと心底、安堵してしまう。
「それでは、明後日の午後……、昼食後ではいかがでしょうか?」
「はい。分かりました」
断られなかったことにホッとした。
普通の男なら、これだけのことに緊張する必要もないのだろうが、俺にとっては初めてのことだ。
身体が強張らないはずもない。
自惚れていたわけではないが、これまでの言動をみてきた限りでは、彼女は自分の申し出を断ったことは、まだなかった。
だが、あの兄の非常識な言動に腹を立てた上、激しく拒絶しているところをみると、トルクスタン王子の後ろ盾があるとはいえ、貴族子息からの命令でも断ることを恐れないほど、彼女は自分の意思表示をしっかりとしている。
だから、嫌ならば、断られる可能性もあると思っていた。
彼女からすれば、俺は婚約者候補という名の庇護者にすぎない。
しかも、貴族子息とは名ばかりで、俺自身は大した力もないのだ。
世間の評判も良くない。
それでも、そんな男に縋らねばならぬほど、彼女の状況が切迫していたということだろう。
俺よりも遥かに力があるはずの、トルクスタン王子が自ら庇護しないのは、彼や自国の状況が今も尚、不安定だからだと言う。
一年ほど前に、カルセオラリア城は事故によって崩壊し、中心国どころか、今や国としての体を成していないというのが、この国の見解だ。
しかも、一年近く経っても尚、城はともかく、城下の再建もままならないらしい。
今や、カルセオラリアは、情報国家の王族の情けによって、延命しているような状態だとも聞いている。
各国にある転移門こそ、稼働しているが、それがなければ国の存続すら危うかったともこの国の王族が笑いながら言っていたらしい。
兄がそんなことを言っていた。
あの兄からの話なので、それがどこまで本当のことかは分からないが、トルクスタン王子が自らウォルダンテ大陸の各国に赴き、様々な交渉を重ねているのは確かだ。
この家に滞在するのも、シオリ嬢のことが心配であると同時に、ウォルダンテ大陸の国々への交渉の拠点とするために選んだとは本人も口にしていた。
あまり耳敏い方ではないが、周囲の話と、当事者の話を統合すれば自ずと見えてくる物はある。
だからこそ、ロットベルク家はカルセオラリア国王陛下に今回の話を打診したのだから。
カルセオラリアの王族と、ローダンセの王族を同時に娶れば、ロットベルク家に拍が付くと言う、単純な考え方だ。
馬鹿らしい。
そんなことをしても、このロットベルク家はそう長くない。
先代はともかく、当代、次代ともに、蛇蝎の如く忌み嫌っているような人間に、自身の仕事のほとんどを担わせている時点で凡愚であることを証明しているという事実に気付いていないのだから。
隔離も同然の生活ではあるが、食わせてもらっている分の恩は返す。
だが、以降は知らない。
数年後に起こるであろう、この家が崩壊する前に出て行くつもりだ。
そう思っていたのに……。
『シオリ様、良かったですね~』
そんな呑気な声が耳に届く。
「はい、嬉しいです」
『実は、初めてなんですよ。アーキスフィーロ様が、自ら、女性をお誘いになったのは』
「え……?」
余計なことを口にする従者の言葉に、不思議そうな反応。
その反応を見て、彼女は、知っているのだと思った。
恐らくは、トルクスタン王子から聞かされていたのだろう。
だが、それでも、まだ一度も、彼女の口から出てこなかったから、もしかしたらという思いもあった。
そんなはずはなかった。
トルクスタン王子は軽い言動ではあるが、真面目である。
自分の言葉にかかる責任の重さを承知している人間だ。
そして、彼女は思慮深く気配りのある女性だと言うことも、ここに来てからの十数日で十分過ぎるほど理解しているつもりだった。
それならば、口にしないのは当然だろう。
『この朴念仁の主人は、前の婚約者のことは、基本、放置の人間でしたから』
俺の前の婚約者の話を。
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