全てが終わったその後で
『さて、シオリ様。書類が片付いたわけですよ』
「片付きましたね」
それは、即ち、昼間やることが減ってしまったことを意味する。
さて、これからはどんな形で日々を過ごそうか。
わたしは真面目にそんなことを考えていた。
勿論、書類自体は毎日届くから、その全てが無くなることはないのだろう。
なんでも、毎朝、セヴェロさんがヴィバルダスさまの部屋の近くまでわざわざ回収に向かっているらしい。
『これからはアーキスフィーロ様と一緒に過ごし放題ですよ』
「それは、今までと何が違うのですか?」
毎日、お仕事の手伝いをするために、この書斎に来ていた。
朝も、昼も、夜も、この部屋で仕事をし、昼食と夕食も共にしている。
これ以上、一緒に過ごすというのなら、夜中?
いやいやいや、流石に婚約者候補でそれはないだろう。
だが、わたしの答えは、周囲が驚くほどのことだったらしい。
セヴェロさんやアーキスフィーロさまはともかく、ルーフィスさんとヴァルナさんまで目を見開いたことが分かったから。
『ルーフィス嬢。シオリ様のコレは天然でしょうか?』
「何故、私に確認されたのかは分かりかねますが、この場で計算する理由はないとお答えさせていただきます」
……わたしが、天然?
天然ボケってこと?
そこまで酷いことを言った?
そして、ルーフィスさんが言うように、勿論、計算などしていない。
……というか、この場合、何の計算なのかもさっぱりなのだけど。
計算された言動ってことだろうけど、わたしは、そんなに頭が良いように見える?
『あ~、ボクは二人っきりでイチャ……、のんびり過ごせますよ~という話をしたかっただけですよ。これまで、ずっと仕事、仕事、仕事、仕事で、何も楽しみはなかったでしょう?』
「楽しかったですよ?」
これまでにない方向の勉強をさせてもらえた。
またルーフィスさんの差配が絶妙だったのだ。
少しずつ、段階的にレベルアップをさせてもらった感じがする。
『なんで、そんなに仕事中毒なんですか!?』
仕事中毒?
初めて言われたよ?
仕事中毒って言うのは、わたしの背後にいる二人のことを差すと思っている。
わたしなど、まだまだ二人には遠く及ばない。
二十四時間年中無休のお仕事なんて、どんな理由があっても、絶対に無理だ。
『駄目だ! この部屋、仕事中毒者しかいなかった!!』
わたしの背後の二人は、お仕事熱心だし、アーキスフィーロさまもあれだけの仕事量に見舞われながらも投げ出すことなく、粛々と事務処理を続けてきた。
なるほど。
確かに仕事中毒者と言えるだろう。
『他人事のようなお顔をされていますけど、シオリ様も立派にその一員ですよ? 仕事が片付いたはずなのに、なんで、そこで遊びに行くって発想がないんですか?』
「遊びに行くほど、土地勘がないからでしょうか?」
まだ、あまりふらふらしない方が良いだろうしね。
『そこで、アーキスフィーロ様の手を引き、この鬱屈した檻から連れ出すのです!! そうすれば、アーキスフィーロ様は日を浴びれて幸せ、ボクも主人の世話からようやく解放されて超幸せ!!』
ああ、つまり世話係から一時的にも開放されたいらしい。
そうは言われてもな~。
外に出たくないって言っている人を、健康上の理由以外で無理矢理連れ出すのは何か違う気がする。
本来は外に出た方が身体には良さそうだけど、アーキスフィーロさまの性格とかを考えると、かえって、疲れちゃいそうなんだよね。
『そこはもっとこう! 積極的に!! 婚約者候補の権限、フル活用ですよ!!』
どんな我儘さんかな?
そして、婚約者候補にそこまでの権限はないと思う。
「アーキスフィーロさまがお出かけしたくないのなら、無理に連れ出す気はありませんよ」
自分の気分転換なら、まあ、少しぐらい近所にお出かけしても良いかなとは思っている。
流石に、屋内にばかりいると、別の景色を見たくもなるから。
ヴァルナさんとルーフィスさんは交替で時々、外にお出かけしているから、わたしよりも外を知っているだろう。
夜中に外に出るのはどうかと思うけどね。
そこは、彼らの事情だから、口出すつもりはないけれど、仕事で無理はしないで欲しいと伝えてはいる。
「『ヴィーシニャ』を……」
それまで声が聞こえなかった方から低い声。
ふと見ると、そこにはアーキスフィーロさまがいた。
だけど、何度も、口を開いたり閉じたりしている。
言いたいことがあるけど、声にならない感じ。
それなら、わたしはこの人の言葉を待とう。
『ああ、「ヴィーシニャ」!!』
だが、そんなわたしの思いも空しく、別の声によって掻き消されてしまった。
『そうですよ! シオリ様! アーキスフィーロ様とヴィーシニャを見に行く約束をしていたじゃないですか! 開花宣言はもうあったから、後、2,3日で見頃ですよ!!』
いろいろ台無しである。
その言葉を、アーキスフィーロ様からお聞きしたかったのだけど……。
先ほど微かに聞こえた言葉は、「ヴィーシニャ」だったようだ。
人間界の桜に似た花だと聞いている。
そして、この世界にもあるのか、「開花宣言」。
話に聞いていたけれど、本当に桜っぽい。
しかし、テレビとかもないのに、どうやって知るのだろう?
『こんな不愛想の言葉をいつまで待っていても、シオリ様が望む言葉なんてくれませんって。それより、ヴィーシニャですよ、ヴィーシニャ!! 無事に、見に行けそうで安心しました!!』
そして、セヴェロさんは興奮しながらも、さらに酷い言葉を続ける。
この人は時々、アーキスフィーロ様が主人ってことを本気で忘れているのではないだろうか?
『不甲斐ない主人を支える素敵従者ですよ、ボクは!!』
「素敵な従者は主人を貶める発言をしてはいけないと思います」
加えて、セヴェロさんはどちらかというと、周囲や主人を気にしない無敵従者だと思う。
面の皮が厚いとも言うけど、そこは黙ることにした。
『うわぁおう。シオリ嬢の真っすぐな視線はともかく、背後のお二人の冷え切った目は癖になりそうですね』
背後の視線は冷え切っていたのか。
彼らが表情に出すのは珍しい。
「セヴェロ、そろそろ黙れ」
『え~? ボクが黙っちゃうと、アーキスフィーロ様、絶対、このまま引き下がっちゃうじゃないですか~。ここは一つ、押せ押せですよ、押せ押せ!』
玉転がしかな?
もしくはお相撲さん?
いや、この場合、押される対象が自分なのは分かっているけど、この素敵従者の言葉で今一つ、ピンとこない。
『ね? シオリ様。この哀れな主人を外に連れ出して、たまにはボクをのんびり過ごさせてくださいよ』
「でも、アーキスフィーロさまが外に出るなら、唯一の従者であるセヴェロさんもお供する必要があるのではないでしょうか?」
お貴族さまって、外に出る時は必ず、供を付けるものだと聞いている。
中にはトルクスタン王子やワカ、水尾先輩、楓夜兄ちゃんのように、供を付けずにフラフラ~っとお出かけする人もいるかもだけど、それは、跡継ぎではないから許されている自由でもあるのだ。
この中で、トルクスタン王子は後に跡継ぎと同じ扱いになったけれど、以降はちゃんと陰が付いていると聞いている。
ワカは微妙な判定だと思うけれど、当人が始めから跡継ぎを放棄する意思を明確にしていることから、放置、容認されていると笑いながら言っているのはどうかと思う。
そんな他国の変わった王族たちの事情は置いておいて、どの国でも、普通の、一般的で、常識に則った王侯は、跡継ぎ、男女に関係なく、従者を付けて外出をなさるそうな。
だが、このロットベルク家における、アーキスフィーロさまの日頃の扱いを見ていると、他の従者を付けられるとも思えない。
そうなると、護衛を含めてお供になるのは、セヴェロさんになるのではないだろうか?
『ガッビ~ン!!』
なんだろう?
昔、週刊少年漫画でその言葉をよく見た気がする。
三権分立の提唱者の名前であそこまで笑ったのは、後にも先にもあの作品だけだ。
それはさておき、リアルでこんな言葉を叫ばれたのは、多分、初めてだと思う。
『そ、そんな……。久しぶりに、お昼休みにウキウキなウォッチングを楽しめると思っていたのに……』
そのフレーズは懐かしい!!
いや、セヴェロさんって、人間界に行ってないよね?
微妙にフレーズが違うのはそのためか!?
それ以上に、何故、そのネタを知っているのか!?
さらに言えば、何をウォッチングする気!?
ああ、さっきから脳内でツッコミの嵐が吹き荒れてしまう!!
「セヴェロ……」
アーキスフィーロさまが疲れた顔をしている。
『これも皆、アーキスフィーロ様がしっかりしないからです!! とっとと、誘ってください!! これ以上、ボクに恥をかかせる気ですか!?』
「その恥の大半は、セヴェロさんのせいだと思います」
『シオリ様、辛辣ですね』
ありゃ、声に出ていたらしい。
まあ、それでも構わないけれど。
「アーキスフィーロさまにはアーキスフィーロさまのペースがあります。無理強いは良くないですよ?」
『この朴念仁を待っていたら、ヴィーシニャが散ってしまうでしょう!? 花の命は短いのです!!』
おや、それも懐かしい響き。
花の命は短くて苦しきことのみ多かりき……だね。
人生いろいろってやつだ。
でも、そうか。
その「ヴィーシニャ」も桜と同じで散るのが、早いのか。
それならば……。
「アーキスフィーロさま」
わたしはアーキスフィーロさまの方を見て……。
「『ヴィーシニャ』が綺麗に咲く地をご存じありませんか?」
そう声を掛けてみたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




