仕事は仕事
早く、早く……。
何かに急かされるような感覚があった。
きっかけはアレだ。
最初に伝わってきた感覚。
魔獣を数種類、数十匹を退治した。
そして、その証となる身体の一部やらを洗浄したりした後、城下にあった魔獣の素材を買取る店で値段交渉をしていた時だった。
不意に伝わってくる感覚は、どこか、不安定なものだった。
ゆらゆらと揺らいでいるオレがよく知る魔力の気配。
それがオレの心臓を激しく揺さぶろうとする。
「どうした?」
傍でオレの交渉を見ていた水尾さんがオレの変化に気付いて声を掛けてきた。
「いえ、ちょっと……」
大丈夫だ。
栞の傍には、今、兄貴がいる。
だから、彼女の身に何か起きることはあり得ない。
そう思うことでなんとか自分を保った。
これは仕事だ。
中途半端なところで、投げ出すわけにはいかない。
オレはトルクスタン王子から水尾さんを任されたのだ。
無事に連れて戻るまでは、私情で動くことはしない。
そんなことをすれば、オレは彼女の前に立てなくなる。
―――― 離れていても、本当に酷い女だ。
思わず、笑みが零れる。
なんだろうな?
どんな状況でも、心境でも、栞との繋がりを感じ取れるのは嬉しくて、辛い。
だけど、やっぱり、幸せだと思えてしまうのだから、オレは本当に救いようがない。
「高田か?」
「大丈夫です。今は、主人の元に兄貴がいますから」
オレは水尾さんに笑みを向ける。
勿論、そうは言っても落ち着かないことには変わりなかった。
だから、とっとと些事を済ませることにしよう。
オレは再び、買取をする相手に顔を向ける。
素材を持ち込んだオレが値段を聞いて黙ったから、素直に従うと思ったのだろう、向き合った男は笑っていた。
それも、明らかに侮蔑を含んだ笑みで。
他所から来た新米の娘に素材の何が分かるとでも言いたいような顔で。
店に来たのが見慣れない若い女二人とあって、買い叩こうとしているのが分かったから、遠慮はしなくて良い店のようだ。
そこまで薬や食材になる以外の素材に拘る気はないが、性別だけで相手を見下すような輩に情けなど要らないということだろう。
まあ、この国は基本的に男尊女卑だ。
だから、こうなることは分かっていたけどな。
悪いが、その辺りは、師や兄貴から叩き込まれている。
そして、仮令、国を超えても、交渉の仕方にそこまで差が出るわけではない。
相手から言質を取り、嫌々ながらも納得させた方が笑うことができるという明快な勝利条件もある。
手段としては単純だ。
ここ以外にも店は山とあると、店主を無視して水尾さんと会話するだけで、ある程度、相手が勝手に譲歩するようになってくれる。
この国は、いや、この大陸は魔獣が多い。
それは、魔獣の駆除・退治に関する依頼も多く、さらに言えば、素材を買い取ろうとする店も多いのだ。
この国の人間は、貴族を含めて魔獣を狩ることを生業とする。
そうしなければならないほど、税金が高いらしい。
真っ当な仕事だけでは、納めることができないのだ。
まるで、魔獣を狩らせるために、国がわざと税金を高くしているとしか思えないほどに。
だから、素材の買い取りを頼むだけなら、この店でなくても問題ないのは本当の話である。
それぞれの専門分野に売りつけた方が無駄もないが、専門ではない店も目利きができれば買い取りはしてくれるのだ。
後でそれを専門家に売りつけるだけで良いからな。
分かりやすい言葉を使えば、「又売り」、「転売」とも呼ばれる取引方法である。
投機取引のような利鞘で稼ぐやり方は、どこの世界でもあるってことだな。
だが、オレがこの店を選んだのにはそれ以外にも理由があった。
今回、持ち込んだ魔獣の素材の中には、この店からも駆除・退治依頼が提示されていた魔獣がいたのだ。
それを少ない傷で、しかもボロボロの死骸ではなく、綺麗に処理した素材として持ち込んだのである。
店が「駆除・退治依頼」を出すのは、その魔獣によって別の素材が手に入りにくくなるためで、その魔獣の素材が必要なわけではない。
だが、魔獣の素材を要らないとも言っていないのだ。
寧ろ、欲しいだろう。
魔獣の退治ならば、何も考えないで殺すだけだが、素材となれば、その殺し方にも気を配らなければならなくなるために、あまり、強い魔獣の素材の持ち帰りは、小遣い稼ぎとしては人気がないらしい。
つまり、該当魔獣の素材に拘って魔獣がいつまでもその場に留まってしまうよりは、その素材を諦めて排除するという妥協案を選ぶしかないだけだ。
それなのに、該当魔獣を退治しただけでなく、その素材までも持ち帰ったヤツがいたら、次があることを期待して、頭を下げてでも機嫌を取ろうとするだろう。
耳触りの良い言葉を口にして、頭を下げるだけなら金はかからないから。
加えて、それなりの質の素材を見せつつ、「今回はこの程度しか持ち込めなくて申し訳ない」という言葉だけで、交渉相手の目の色は分かりやすく変わった。
それはその気になれば、もっと良い素材や、損傷の少ない状態で持ち込むことが可能だと匂わせていることになる。
実際、それは可能だ。
同じ魔獣ならば、その退治の仕方も数をこなせば慣れるだろうし、もっと上の魔獣も、水尾さんの協力があるだけで全然違うだろう。
女を見下していても、利に聡い商人が、こんな分かりやすく単純な商機を逃すことは愚行であり、蛮行でもある。
そして、目の前の男はそこまで愚かではなかったらしい。
結果として、予定よりも早く、そしてそれなりの戦果を出すことができた。
さらに言われたのは「次回もよろしく!」である。
そんな店にいた他の買い取り待ちをしていた奴らが、オレに対して、目を見開いていた気がするのは気のせいだろう。
あまり城下で目立つ気などなかったが、持ち込んだ素材の質や量が良すぎたようだ。
他の客が手に持っていた素材を見た限り、あまり処理の仕方が上手くはない人間が多いのだろう。
「何か、食っていきます?」
時間は昼時。
水尾さんはもう腹をすかせる時間帯だろう。
「いや、帰る」
だが、意外なことに断られた。
「私は、城下の知らない店よりも、九……、ヴァルナの料理の方が好きだ」
なるほど。
それは同意だ。
魔獣を退治しに行く前に、少しだけ歩いて周囲の確認してみたが、この国は料理に拘りを持たないらしい。
強いて言えば、魔獣を使った料理が幅を利かせている気がする。
だが、あの処理の仕方はないと思った。
せめて、血抜きぐらいしろ。
周囲から漂ってくる匂いだけでそれが分かるほどに酷かったのだ。
「分かりました。それでは戻りましょう」
「それに、ヴァルナも、高田のことが気にかかっているだろ?」
先ほどのオレの状態を気にされたらしい。
それはちょっと無様なところを見せてしまったな。
「気にはなりますけど、それは仕事を放棄して良い理由にはなりません」
命を脅かされているわけではない。
不安定ではあるが、兄貴が近くにいるなら栞の身は大丈夫だ。
「本業は護衛……、いや、体面上は、侍女だろう? そちらも仕事だ」
「そっちは、本日、ルーフィスに任せているので、本当に問題はないのです。待つのも、我慢するのも、私の仕事の一つなんですよ」
ただ、それでも気になっただけ。
立派に私情でしかない。
「先輩が傍にいるから、余計に心配なんじゃないのか?」
その言葉に苦笑したくなる。
栞の先輩は本当に良い人だよな。
後輩である栞のことだけでなく、オレのことまで気に掛けてくれる。
「ルーフィスが主人に害をなすことだけはありません」
オレ以上に、兄貴はあの母娘が傷付くことを嫌がっている。
それは、オレが覚えていないほど昔、彼女たちに縁があったことに関係しているのだろう。
最近まで知らなかったけれど、オレと栞は乳兄妹だったらしい。
なんでそうなったのかは分からない。
だが、それなら謎がいろいろと解ける部分はあったので、否定する気もなかった。
そして、オレが乳飲み子と呼ばれる時代は、先に生まれていた兄貴は2歳以上だ。
オレの記憶にないようなことも覚えている可能性が高い。
「いや、害じゃなくて、その……」
しどろもどろになっているが、水尾さんが言いたいことはオレも分かっているつもりだ。
心配しているのは、もっと別の話だろう。
「ルーフィスなら、良いのです」
「え……?」
シオリがずっと兄貴を見ていたことを覚えている。
あの瞳に込められていた熱の意味も、今ではもうはっきりと理解している。
「昔から私はそう思っていましたから」
オレがシオリの横を任せるなら、兄貴以外はあり得ない、と。
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