侍女の扱い
主人とヤツの繋がりを理解していれば、当然のことではある。
寧ろ、彼女が混乱した直後ではなく、少しの時間を置いてからこの場所に来ただけマシだろう。
ちゃんと仕事の区切りを付けてからこの場に現れたということだから。
それでも……。
「シオリ様に対して、何をなさっていらっしゃるのですか? おね~さま?」
グラスを金属で軽く叩くような微かな音が耳に届き、微かな光が目に映った。
これは「おね~さま」という言葉に反応したのだろう。
そして、そのあからさまな言葉と表情はどうなのだろうか?
男のみにくい嫉妬が溢れ出ている。
だが、言ってやりたい。
彼女はお前の所有物ではない、と。
「ヴァルナ。帰ってくるなり、怖い顔ですね」
俺がそう口にすると、九十九は分かりやすく、瞳を揺らした。
そして、俺より主人の顔を見る。
彼女が怯えていないかを確認したのだろう。
肉体が数年若返っているためか、その表情が分かりやすくなっている。
尤も、精神はそのままなのだから、それに直結しているはずの感情が、発露するはずがない。
これは単純に付き合いの長さだろう。
俺はこの頃のヤツの顔をそれなりの期間、注視していて、その表情から感情を読み取る訓練に使っていたのだから。
「何を怒っているのか分からないけれど、私を難じる前に、自分の行いを反省なさい。主人の命が脅かされる以外の理由で移動魔法を使って直接部屋に乗り込むなど、男女関係なく恥ずべきことです」
俺がそう口にすると、ヤツの顔が不審な相手を見るものに変わる。
恐らく、俺の言葉に少しの猜疑を抱いたのだろう。
ヤツの眼は俺よりも有能だ。
真贋を見極める眼。
どこかの王族に連なる人間が持ちやすいと言われているものである。
尤も、それを知る人間は限られているが。
そのために、その眼に振り回されやすい部分がある。
眼だけで判断するなとあれほど伝えているのに。
「シオリ様。ご無礼、大変、失礼致しました。ですが、火急と判断したので踏み込ませていただいた次第です」
そこでお辞儀をする。
だが、今更、礼儀を取り繕ったところで遅いだろう。
既に本来必要であるはずの挨拶も、入室の合図すらなく乗り込んでいるのだから。
そして、お前のそれは、踏み込むというよりも押しかけると言う。
単純に自身が嫉妬に狂っているだけのことを、主人の危難に置き換えるな。
俺はお前のように無理強いはしない。
許可なく強引に踏み込むことはしない。
彼女が納得するまで根気よく言葉を尽くす。
「火急?」
ようやく、主人が声を出した。
「今の状況を客観的に見てください、シオリ様。その状態は侍女ではなく、護衛が踏み込む事態です」
「ふえ?」
愚弟からそう言われて、主人はようやく、自分の状況を理解したらしい。
寝台の上。
さらには、俺から抱き締められ、いや、抱き竦められているような状態。
つまり、誤解の入る余地がないほどの犯行現場である。
よくもまあ、このタイミングでこの部屋に入ってきたなと感心しているところだ。
少し前だったら、距離はそれなりにあったというのに。
そして、主人が混乱したのはもっと前だった。
俺が彼女の指を舐めた時。
あの時間帯が一番、混乱の極みだったことだろう。
だが、嘗血の現場を目撃されるよりはマシだったか。
あれを見られていた方が後々厄介な事態になったことだろう。
半童貞はいろいろ取り扱いが面倒だ。
いや、当人の心境的には童貞と大差はないのだろうが、それでも、自覚していないだけで、妙な自信と精神的な安定感は出てきているのだが。
「ああ、そうだった」
そして、意外にも主人は落ち着いたものだった。
「ルーフィス。もう支えは結構です」
さらにそう告げる。
そこには、先ほどまでの愛らしい少女の印象はなく、女主人としての毅然たる態度しか見えなかった。
「支え?」
だが、彼女が口にしたその単語に、愚弟が訝しげな反応を見せる。
「自覚はなかったのですが、わたしの体調が悪かったようで、情けなくもアーキスフィーロさまの前から中座し、ルーフィスにこの部屋まで連れてきてもらいました。そこで、いろいろ忠告を受けていたのです」
なるほど。
全てを話していないだけで、主人の言葉に嘘は一つもない。
彼女は、この男の扱いを心得ているということだろう。
某占術師兼聖女が、とある国の王族が持つ能力について、本来は秘匿されるために知ることがない余計な知識を、この主人に与えた。
そのために、彼女自身もその能力を、俺と愚弟が持っていることを察したことは間違いない。
そうでなければ、その話をする時に、弟を排除した状態で俺に確認するはずはないのだから。
ヤツの方から、「眼」の話などすることはなかっただろう。
これまでの経験と自身の勘から、「真贋を見極めている」のは、目であり、耳であると判断していることは分かる。
愚弟が警戒されているなら、同じ一族の血を引いている俺に対する言葉も、何らかの情報隠しを行うようになっていると考えるべきだろう。
これは、なかなか手強く育ったものだ。
彼女自身が察し、考え、導き出したその結論が、頼もしく、誇らしく、そして何より嬉しく思える。
主人は、この部屋を一度出た後、婚約者候補の前で僅かな間ではあったが、精神的な混乱を起こした。
その原因は未だ分からないが、恐らく急激な環境変化によるストレスから来ているとは思っている。
そして、俺に連れられてこの部屋に戻ってきたのだ。
さらに言えば、先ほどの俺の言葉と行動は単純に侍女からの忠告ともとれるし、精神的な支えと解釈もできる。
要は受け取り方だ。
その感覚を彼女は上手く利用して、言葉に乗せた。
少しでも、変なところで鋭すぎる愚弟に、僅かな猜疑心を抱かせないために。
だが、そのことから彼女自身も、ここで起こった事実の全て告げる気がないことは分かった。
当たり障りのない部分だけを口にして、しかも、嘘を吐かない。
どこまで意識しているかは分からないが、全てを話せば、面倒ごとになることは理解しているようだ。
あるいは、僅かでも誤解を与えたくないか。
その辺りをまだ判断するのは早急だろう。
そこに当人の意識が伴っていなければ、その推量には意味も価値もない。
「体調は大丈夫なのですか?」
些細な違和感の数々を呑み込んで、それでも、主人の身を心配する愚弟。
それが、自分の気を逸らすための誘導だとどこかで気付いていても、彼女の健康を気に掛けてしまう。
どこまでも愚直な男だ。
そして、その部分は昔から変わらない。
この愚弟は、彼女に限らず、自分の身内が熱などで体調を崩すことを酷く厭う。
中学生の時分、俺が体調を崩して少しばかり熱を出した時、その顔色をなくしたぐらいだった。
恐らくは、幼い頃、若くして熱病で亡くなった自分の父親と重なるのだろう。
どんなに絶対的な人間も、死は等しく訪れ、避けられないことを僅か3歳で知ったのだ。
俺が人の死を知ったのは2歳だったが、もともと身体が弱かった人だ。
だから、素直に受け入れることはできたのだと思っている。
父親だった人は、本当に突然だった。
セントポーリア城下で流行った熱病に倒れ、帰らぬ人となったのだ。
それが、何の病だったかは今でも分からない。
だが、その死が愚弟に与えた影響はかなり大きかったと言えるだろう。
人間界に行った後、医療と呼ばれる分野に興味を持ち、俺よりものめり込んだことからもそれはよく分かる。
だから、それを知る主人はその弱点を突く。
それが卑劣な手段だと理解しつつも、それが最善だと判断すれば迷いがなくなる部分は、普段の彼女を知る人間からすれば信じがたい行動ではあるが、それがあの方の娘であれば当然だと思う自分もいる。
「はい。ルーフィスのおかげで、もう大丈夫です」
さらに笑みを浮かべてそんな返事をした。
その表情を見て、ますます、愚弟が不機嫌な面になったのは言うまでもない話であった。
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