分かっていないこと
わたしたちが生まれる前のアリッサム女王の恋物語を聞いて、九十九は驚き、そして、わたしはというと、そのバルディア隊長さんの言葉で確信した。
「お互い……、ではなかったんですね」
「へ? そうなのか?」
わたしの言葉に九十九は目を丸くした。
「いや、だって異性慣れしていないお姫さまが、いきなり見知らぬ男性に話しかけるってのは、相当、難しいと思う。それに、隊長さんは、王女殿下が『他国の王子殿下を見かけ、一目で恋に落ちた』と言っただけ。『二人は』とも『お互いに』とも言わなかった」
それに、さっきの話に戻るが、セントポーリアの国王陛下と、アリッサムの女王さまは、恋仲ではなかったことをバルディア隊長は一度肯定していた。
「そう。王女殿下の片恋だったよ。しかも、遠くから見ただけで会話することもできなかったらしい。ただそれだけのことだったのに、王女殿下は『穏やかな風のような人だった』と即位するまで口にしていた。それだけ鮮烈な思い出だったみたいだね」
それは良い思い出だったかもしれないけど……、ちょっと切なくなる。
結局、どうにもならないことだったわけだし。
……というか、遠くからでも一目惚れされるってことは若い頃のセントポーリア国王陛下ってかなりの良い男だったのかな?
確かに会った時は、悪い顔ではないと思ったけれど、雄也先輩みたいにうっかり見惚れてしまうほどではないと思う。
いや、流石に雄也先輩の顔にももう慣れたけれど、不意にときめいてしまうのは仕方ないよね?
「『恋仲』と言ったのは悪かった。でも、我が国の女王陛下が若い頃抱いていた想いを伝えたかったのは分かってくれると嬉しい」
「……かなり回りくどいと思いますが」
言外に「それならそうと最初から言え」という気配を出す九十九。
その気持ちはよく分かる。
分からないのは……。
「それでも、やはり、わたしたちにそれを告げた理由が分かりません。そんなたった一度限りの想いは密やかに秘めたままの方が良かったと思うのですが」
誰かに内緒話をするってことは、どこかに漏れる恐れが発生するということだ。
そして、それを出会ってまだ数日のわたしたちに話すというのはやはり少しおかしい気がする。
まあ、水尾先輩には内緒にしたいのは当然だろう。
当事者ではなく、自分たちが生まれる前の話であってもわたし以上に心中、複雑になってもおかしくない。
本来ならわたしも複雑な心境になるはずの話題ではあるのだけれど、ビックリしたぐらいでそこまでダメージはなかった。
それだけ、セントポーリアの国王陛下に対して距離があるってことなんだろうね。
バルディア隊長は少し笑って言う。
「シオリさまの風を、離れた場所で私も受けたんだよ。そして、忘れかけていたあの日のことを思い出してしまった。母と墓まで持っていくと誓ったのに。ミオルカ様に語ることは許されないけれど、あの方のお身内ぐらいは知っていて欲しいと思っただけだよ」
彼女が話す「わたしの風」という言葉の意味もよく分からなかったし、遠い過去にあった誰にも告げることが許されなかった話についても、その真偽なんてものは判断できなかった。
それらを知っているはずの当事者は今、この場になく、わたしにはその真偽を見抜く術も持っていないから。
「その言葉が嘘でも真でも、バルディア隊長さんがお墓まで持っていくと決めていたことなら、わたしもこのまま、誰にも話さずにいましょう」
そう答えるぐらいは許されると思う。
こんなことを公言したところで誰にも良いことはないと思うし。
九十九はどこか考えるような顔。
真偽の見定めか、それ以外のことを考えているかは分からないけれど。
「ありがとう。胸のつかえが一つとれたみたいだよ」
バルディア隊長さんは微笑み――――。
「あれ?」
「あっ!?」
その手によって、わたしは軽く、肩を押されていた。
よろめいたわたしの足元から、不意に地面が消えて、重力に身を任せるしかなくなる。
「――――っ!!」
何かを叫ぼうとしても声にならない。
迫りくる地面。
そこで景色が二重になった。
どこかで見たような木々と、紅い糸のようなものがいくつも揺れて、流れて……?
それが何かを思い出す前に、わたしは九十九に引き寄せられていた。
そこで、微かな違和感があった気がするけど……、よく分からなかった。
「悪い。少し出遅れた」
「大丈夫だよ、ありがとう」
空中で九十九に抱えられるの図。
但し、毎度のことながら、お姫様抱っこのような浪漫あふれるものではなく、肩が外れるかと思うほど腕を引っ張られた上、そのまま肩に担ぎ上げられていた。
そこにトキメキなど一切ない。
感想といえば、引っ張られたことによって痛んだ腕と、角度が悪かったのか担ぎ上げられた後に、彼の肩が突き刺さって、人間界での時以上にお腹が苦しくて痛いということぐらいか。
「距離は下の方が近いが、向かうのは上で良いか? 逃がしたくない」
九十九の声が、低く鋭くなっている。
「多分、逃げないよ。逃げる気があるならもっと上手にできたと思う」
何より、逃げ場もないだろう。
「……確かにそうだな」
わたしの言葉に頷いて、ゆっくりと上に向かう。
そして、思ったとおり下手人はそのままそこにいた。
先ほどの笑顔のままで。
「お帰り、早かったね」
彼女は悪びれもせずにそう言う。
「……どういうつもりでしょうか?」
敵意を隠さない声で九十九は問いかける。
「見てのとおり。悪いけど、キミの主人をあらゆる方向から試させてもらった」
その声から悪意は読み取れない。
「不意打ちが聖騎士団の道理ですか?」
「不意を付かなければ意味がないだろう? 先に予告していたらキミが確実に反応してしまう。護衛だから当然だけどね。でも、少し敵意は隠したほうが良いかな」
「オレは番犬だから吠えるのが仕事なんですよ」
……犬はなんか、嫌だな。
九十九は九十九なのに。
「先ほども言ったように、無礼も非礼も承知だよ。ただ彼女の身の守りがどれほどのものか確認しなければ我々も安心できないからね」
そう言いながら、彼女はわたしではなく、九十九を見た。
「腕にそこそこ覚えがありそうな護衛くん。キミは今までに人を殺めたことはあるかい?」
「ないです」
なかなかとんでもない質問に胸を張って答える九十九。
そして、その答えを聞いてどこかホッとしている自分がいた。
「……そうだろうね。でも、死線をさまよったことはありそうだ。何度か死にかけ……、いや、殺されかけたこともあるだろう?」
「それについてはいちいち、覚えてません」
ちょっと待て。
覚えられないほど殺されかけたことがあるってこと!?
「それは恐らくそこにいるシオリ様も同じだと思う。殺されかけたことはあっても、殺したことはないはずだ」
殺されかけたこと……?
ああ、確かに人間界であの紅い髪の人に攻撃されたことはある。
でも、卒業式の時なんて、火傷とか打ち身とかであちこち痛かったはずだけれど、その傷も知らないうちに癒やされていたためか、あまり殺されかけたって実感わたし自身にはなかった。
魔界に来てからは、城から追っ手が出るような状況ではあるけれど、誰にも遭遇していないためか、あまり追われている意識は少ない。
それでも強いて、恐怖を覚えたことというのなら、数日前に、この人の部下に怒鳴られたことと、さっき、突き落とされたことかな?
「だから、2人には分からないこともある」
「分からないこと?」
寧ろ、その辺りのことは深く分かってはいけない領域なのではないだろうか。
魔界人だからって、命のやり取りが日常茶飯事になってしまっては、おちおち寝ることもできない。
「大きな魔力を持つ者の苦悩。身近な人間を自分の手で殺してしまうかもしれない恐怖だよ」
バルディア隊長さんは、どこか冷めた目でそう言ったのだ。
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