お相子?
「シオリ様は治癒魔法を使われましたか?」
いつの間にか血が止まっている自分の指を見ながら、ルーフィスさんはわたしに確認してきた。
「傷が治るようにと願いましたが、それが治癒魔法になったかは分かりません」
もともと、出血量があったわけではない。
普通にしていてもすぐに治りそうな傷ではあったのだ。
だから、わたしの願いで治ったのかは分からない。
「なるほど……」
そう言いながら、ルーフィスさんは自分の二本の指を、上に向けて、さらに眺めている。
傷が本当に治っているのかを念入りに確認しているのだろう。
でも、あまり見ないで欲しいとも思う。
仕方がないとはいえ、ルーフィスさんのその白い指は、嘗血のために、わたしの唾液がついているのだ。
極端にベタベタな状態にはしていないつもりだが、それでも、舐めるという行為の結果だからある程度は我慢して欲しい。
「できれば、早く洗浄をお願いします」
いつまでも指を見ることを止めないルーフィスさんに思わず、そう言ってしまった。
「ああ、申し訳ありません。血が止まっただけでなく、指の傷までも綺麗に消えていたものですから、つい見入ってしまいました」
ルーフィスさんはそう言いながら苦笑する。
「傷痕を観察したくなる気持ちは分からなくもないですが、ちょっと勘弁してください」
「勘弁……、ですか……?」
わたしの言葉に何故か、小首を傾げるルーフィスさん。
「嘗血のためとはいえ、わたしが、ルーフィスさんのその指を汚してしまったことに変わりはありません」
わたしは何を言わされているのだろうか?
だが、事実だ。
確かにこの世界の人間は唾液にまで魔力があるから、舐めることによって治癒効果を促進する可能性があるとはいつか、聞いたことがある。
それでも、唾液自体は、あまり綺麗だとは思えない。
「早急に、洗浄、消毒をお願いいたします」
傷は消えたかもしれないが、やはり洗浄は必要だろう。
唾液塗れの指って言葉が既にいろいろ問題だと思う。
「私はそこまで気にしておりませんが、シオリ様がそんなに気にされるなら……」
「ふ?」
ルーフィスさんは、そう言いながら、何故かわたしの手を取って、そのまま、右の人差し指の輪郭をなぞるかのようにゆっくりと舌を這わせた。
生温かくも湿った感覚とともに、舐められたのは指だったのだが、何故か、背中……、いや、腰骨辺りに、妙な感覚が湧き起こる。
本当だったら、振り払うべきだったのかもしれない。
でも、近すぎる距離で見るその顔は、綺麗な化粧をしているせいか、いつも以上に妖しく艶めいていて、不思議と抗えない魅力があった。
「ひぎぃあっ!?」
だが、触覚情報と視覚情報が同時に更新されたためか、思わず変な声が出てしまった。
いや、だって、舐め?
え?
何?
「これで、お相子ですね?」
「へ?」
お相子?
お相子って何?
ルーフィスさんの行動と言葉が、自分の頭の中で処理しきれない。
美人さんから睫毛の長さまでしっかり分かるような超至近距離で、自分の指を舐められる図って、かなり、その……、衝撃映像ですよ?
いつもの顔でなかったことを幸運に思おう。
これが、いつもよりお若い顔で、化粧で顔を変えているから、まだ混乱するだけで済んだのだ。
あの大人の色気がだだ漏れている雄也さんから、自分の指を舐められているところを、さっきの距離で目撃したのなら、流石に、意識を飛ばしてしまう自信すらある。
それほど、心臓にも、目にも、頭にも、それ以外のありとあらゆる場所に影響を及ぼすほどの劇薬だった。
わたしが、紙と筆記具を願うこともできなかったほど、全神経が、自分の指と視界に集中してしまったのだ。
「シオリ様は、私の指を舐めたことを気にされていたでしょう? ですから、私も、同じことを、したまでです」
何でもないことのように、ルーフィスさんはそう言った。
え?
ああ、そういうこと?
でも、お相子?
お相子……、なのかなあ?
わたしは、「嘗血」というもののためという大義名分があったのだ。
それに、わたしがルーフィスさんの指を舐めても、先ほどのような衝撃映像にはならないだろう。
それで、お相子?
無理があると思う。
「何より、シオリ様から指を舐められたことは、私の方から願ったことです。シオリ様にとっては、御不快な行為ではあったでしょうが、そこは申し訳ないと思っております」
御不快?
ルーフィスさんの指を舐めることが?
まあ、普通の行為ではないと思うけれど、不快かと問われたら、そこまでではない。
ルーフィスさんが全く見知らぬ他人ならともかく、その人柄も全てではなくとも知っているし、何度も助けられている恩人でもある人だ。
「不快ではなかったですよ」
だから、わたしは素直にそう口にした。
勿論、ちょっと不思議な感覚があったことは間違いない。
なんとなく、あの時は非日常的な印象があったのだ。
それでも、ルーフィスさんから舐められた時ほどの衝撃はなかった。
あれは、ねっとりとした蜜を多分に含んだ猛毒だ。
視覚的にも、くらくらするものであったが、それ以上に与えられる感覚がまずかった。
その舐められていた指先から、痺れるような甘さと、奇妙な熱と、腰骨近くにむずむずとした感覚があった。
少しでも気を抜くと、自分を見失ってしまいそうな……、そんな危険な香りがしたのだ。
「シオリ様に他意がないことは重々承知ですが、先ほどのような時には、実際はどうであっても、『不快だ』と強い意思表示することをお勧めいたします」
「え?」
「悪い男から言葉巧みに唆されて、無理矢理、武骨な指を舐るよう、強いられたのです。それなのに、不快ではないと言われては、悪い男の方は心底、調子に乗ってしまいます」
舐るとか、強いるとか……。
わざわざ悪く聞こえるような言葉を選んでいることは分かる。
これは、アレだね。
わたしの軽はずみに見える行動を心配されているのだと思う。
まあ、確かにホイホイッと言われるままに従っている姿は、流されているだけのように見えているかもしれない。
だけど、そう言われても……。
「ルーフィスさんに嘘は吐きたくありません」
わたしだって、誰にでもこんな行為をするつもりはない。
かなり、その相手を信頼していなければできるはずもないだろう。
何かを口に含むってそういうことだ。
「わたしは、ルーフィスさんの言葉を信用してその指示に従いました。それで、悪いようにされてしまうなら、わたしの見る目がなかったということでしょう」
結局はそういうことだ。
信用するとか、しないとか。
そんな気持ちの問題である。
「わたしはわたしの意思で行動しました。決して、あなたから強要されたわけではありません」
ルーフィスさんはちゃんと選択肢を残してくれた。
嫌なら、しなくても良いと。
それでも、やると決めたのはわたし自身だ。
そこを間違われるのは困る。
だけど、こんな時、いつも思う。
これは、彼らとわたしの性別の問題なのだろう、と。
同性なら何も問題はなかった。
だけど、護られる主人は、生物学上女性である事実は消えないし、護ろうとしてくれる護衛たちは男性であることにも変わりはない。
そのために、彼らは、女装することを選ぶしかなかった。
女性の傍に、男性を置くことが許されないこの国で。
「何より、ルーフィスさんは女性の姿をしています。何の問題があるというのでしょうか?」
だけど、これぐらいは言わせて欲しい。
わたしは、あなたたち二人を信じている。
だから、あなたたち二人もわたしを信じて欲しい、と。
そんなわたしの考えがどこまで伝わったのかは分からないけれど、ルーフィスさんは肩を竦めて……。
「シオリ様の頑固さは、本当に母君によく似ていらっしゃる」
そう苦笑した。
あの母が頑固であることを知っているのは、身内ぐらいだ。
相手との距離が近付くほど、母の頑固さには磨きがかかっていく。
今頃は、セントポーリア国王陛下も苦労していることだろう。
「それでも、少しぐらいは知っていて欲しいのです」
ぬ?
ルーフィスさんのお顔が近付いて……?
「悪い男を調子付かせてはいけません」
そう言いながら、抱き締められた。
そのいきなりの行動に、何が起きたか分からない。
落ち着け、わたし。
まずは状況把握!!
ここまでガッツリ接触してしまうと、骨とか筋とかの固さがよく分かる。
そして、服とかで誤魔化しているけれど、女性の線とは全然違う。
これは勉強になる!!
でも、いつもほどの厚みはなかった。
やはり、いつもよりも筋肉が足りない!!
あの身体は、やはり研鑽の果てにあったことがよく理解できた。
それにしても、最近、わたし、殿方から抱き締められすぎではありませんか?
そんな冷静なんだか、実は、混乱しているのか、よく分からない思考も、すぐに吹っ飛んでしまうことになる。
「シオリ様に対して、何をなさっていらっしゃるのですか? おね~さま?」
いつもより高いのに、温度が低い声を耳にしたから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




