遠く離れた気配
「ところで、ヴァルナさんは、今、どこにいるのでしょうか?」
休むために整えられた寝台の上で、身体だけ起こした状態となった後、わたしはルーフィスさんに確認する。
本当はずっと気になっていたこと。
でも、聞くタイミングがなかったのだ。
「城下からは出ているようです」
朝、ルーフィスさんは、ヴァルナさんが所用で出ていると言っていた。
実際、ヴァルナさんの気配は、ここから遠く離れた場所に在る。
それがどこなのかはこの国を詳しく知らないのではっきりと分からないけれど、少なくとも、城下にはいないことはわたしにも分かっている。
だけど、気になったのはそこではない。
あの人がわたしから離れた場所で何をしていても良いが……。
「何かと戦っていたりしますか?」
まるで、点滅するかのように、一瞬だけ気配が強まって、すぐに押さえられる。
それが数回。
ずっと、抑制している魔力を解放しているなら、模擬戦闘も考えられるが、本当に瞬間的なのだ。
まるで、魔力の節約や調整をするかのように。
そんなことを何度も繰り返されれば、気になるのは当然だろう。
「何故、そう思われましたか?」
ルーフィスさんが笑みを深める。
「ヴァルナさんの気配が遠く離れた場所で強まったり、弱まったりしているので、そんな気がしたのです」
ルーフィスさんとヴァルナさん……、つまり、雄也さんと九十九は日常生活において、かなり魔力を制御している。
体内魔気の気配を他者に気取られないように、抑制石を付けた装飾品を周囲の人から分からぬように身に付けているみたいだし、彼ら自身も意識して普通の人よりも弱い気配にしている。
そして、それらは多少のことでは変化しない。
だから、感情の揺らぎすらも分かりにくいのだ。
ここ最近の九十九に関しては、近くにいれば少しぐらいは感情の……、喜怒哀楽のようにざっくりとしたものぐらいなら分かっていたのだけれど、ここまで離れてしまうと全く分からないことを今日初めて知った。
それだけ、わたしが彼の近くにいたってことなんだろうなとも思う。
「ヴァルナの気配……。ここからでも分かるのですか?」
「え? はい」
多分、もう少し離れても分かると思う。
ただその感知能力がどれぐらいのものかは分からない。
これまで、あの人はずっと近くにいてくれたから。
ここまで離れたのは、彼が例のアリッサム城だった建物まで行った時ぐらいだろうか?
そして、その時も、今日より離れた距離だったはずだけど、気配をぼんやりと感じ取っていた覚えがある。
「それは、ヴァルナを意識した時だけですか?」
「い、いえ! 何もしていない時もぼんやりとは分かる気がします」
ルーフィスさんの問いかけは一歩間違えれば深読みできてしまうものだったためか、思わず、動揺してしまった。
でも、多分、感知能力の話だとは思う。
感知や探索系の能力は意識するか、しないかで、その範囲や精度が大きく変わるのだ。
だけど、わたしの場合、九十九に関してだけはちょっと例外というか、意識せずともかなりの距離を掴めるし、意識して……、いや、彼の気配を辿ろうと思えば、もっとしっかり掴めてしまうだろう。
「あの子の気配を四六時中……。それは鬱陶しくなかったですか?」
酷い。
「それが自然だったので、そこまで深く意識していなかったです」
魔力を解放した日。
九十九が大聖堂で、わたしを支えてくれたあの日から、ずっと、常に彼の気配を感じていた。
始めは強く感じる日もあったし、弱く思えた日もあったけれど、自分の感覚の中に、もう一つの気配を覚えるのは本当に、自然だったのだ。
呼吸を意識せずとも行えるような、瞬きをいちいち意識していないような、そんな感覚だろうか?
いや、どちらかというと、常に聞こえている時計の秒針を刻む音が、耳を澄ませばはっきりと聞こえ、何も考えていない時も妙に聞こえ、別の何かに集中している時は全く聞こえないような感じ?
わたしがそうルーフィスさんに説明すると……。
「時計の秒針のような感覚というのは、なかなか斬新ですが、分かりやすく納得できる例えですね。そして、呼吸や瞬きのように、生きていくために必要なことでもありません」
さらに、酷い言葉が返ってきた。
いや、わたしがこの世界で生きていくのにかなり必要ですよ?
あなたの弟さん。
これって、わたしの説明が悪かったせいなのだろうか?
「それにしても、想像以上に、シオリ様とヴァルナとの間には、強い絆が結ばれていたようですね」
それだけ聞くと、完全に誤解されるような言い回しである。
絆、絆ねえ……。
当人同士が全く知らない間に、結ばれていた関係性であるが、簡単に断つことはできないとは思っている。
まあ、わたしの方は断つ気もないけど。
「乳兄妹らしい……とは、聞いています」
それを知ったのは、割と、最近の話だ。
そして、九十九の方はそれを知らなかったっぽい。
でも、いつの間にか知ってたみたいなんだよね。
モレナさまが、「夢渡り」でもして伝えたかな?
「言っても詮無いことではありますが、私は、その強い繋がりを少し羨ましく思います」
ルーフィスさんはそう言って少し寂し気に笑った。
これは、仲間外れにされたような感情だろうか?
この護衛……、いや、専属侍女たちは、特殊な幼少期を過ごしていた反動か、どこか、寂しがり屋で甘えたさんな部分がある。
だが、乳兄妹には今更なれるはずもない。
それ以外で絆を結ぶなら、婚儀や親子の儀と呼ばれる養子縁組が分かりやすいが、他人同士なら、嘗血だろう。
だが、ルーフィスさんとヴァルナさんは既に兄弟である。
つまりは、血が繋がっているため、嘗血は意味がない。
「ルーフィスさんは、ヴァルナさんの居場所は分からないのですか?」
「私は、行先を伺っておりますので、分かりますよ。ですが、何の予備知識もない状態で、あの子の気配はシオリ様ほど掴めないでしょうね」
ぬ?
つまり、乳兄妹って、実の兄弟よりも絆が強いってこと?
何故に?
わたしの疑問が顔に出ていたのだろう。
「単純に才能の差か、心持ちの違いかは分かりません。実の兄弟よりも乳兄妹の方が強い絆で結ばれる可能性もあります。こればかりは、例が少ないので、なんとも言えませんけれどね」
ルーフィスさんが苦笑しながらそう言った。
確かに検証例は少ないだろう。
「あるいは、授……、哺乳と関係するかもしれません」
哺乳って、えっと、ミルクを与えることだっけ?
哺乳瓶っていうもんね。
言いかけたのは、多分、「授乳」かな?
わたしは気にしないけど。
「母は身体が弱く、私に与える量は少なかったと聞いております。そして、母があの子に与えられた量も一月ほど。母が亡くなった後は、シオリ様の母君が与えてくださいました。そして、ヤツ……、失礼、あの子の乳離れは少々、遅かったと記憶しております」
なんでもないことのように言いながら、随所に漏れる本音。
雄也さんは、その昔、母のことが大好きだったと聞いている。
母と間違えて娘のわたしを抱き締めてしまったこともあったから、結構、長い時間、それを引き摺っていたのだと思う。
だから、その心中はかなり複雑であろう。
そして、その話に全くの無関係とは言えないわたしも、かなり複雑であることは言うまでもない。
「変な話になってしまいましたね。お忘れになってください」
「はい」
いや、そう言われても、内容的に忘れにくい。
だけど、その努力はしよう。
そうしよう。
それが皆のためなのだ。
「ところで、シオリ様」
「はい」
奇妙な空気になってしまったためか、ルーフィスさんが表情を改める。
だから、わたしも背筋をピシッと伸ばした。
さあ、気を付けよう。
この人が、改まった申し出をする時は、大半、わたしが驚くことになる時だ。
わたしは身構える。
警戒するとも言う。
この流れで、あなたは何を言い出すのでしょうか?
「ここで、私の嘗血をして欲しいと願えば、貴女はその望みを叶えてくださいますか?」
そして、その麗しい唇から紡がれた言葉に、わたしは目が点になるしかなかったのだった。
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