生き物の命
「私は自分の魔法で、生き物の命を奪ったことが、怖かったんだ」
目の前の緑色の短い髪をした女性はそう言った。
「勿論、退治すべき魔獣だと知っていた。それでも、私は怖くて……、城に帰った後、泣き喚いた」
この人に、そんな可愛らしい時期があったのか。
いや、4歳なら当然の反応かもしれない。
言い換えれば、4歳でそんな繊細な感情が備わっていたということになる。
4歳のオレは何をしていた?
シオリのことしか考えていなかった記憶しかない。
初めて魔獣と会った時についても、怖さよりも死にかけたという記憶しかないのがその証拠だろう。
「自分の手で、何かの命を奪えることを知ってしまった。その時は魔獣だったが、次は身近な人間かもしれないと思うと、怖くて眠れなかった」
―――― キミは今までに人を殺めたことはあるかい?
不意に、そんな言葉が頭に浮かんだ。
あれはいつだったか?
ああ、シルヴァーレン大陸で、アリッサムの生き残りたちと会った時だった。
主人が、崖から突き落とされた後、そんな言葉を言われたのだ。
―――― 身近な人間を自分の手で殺してしまうかもしれない恐怖
それを「大きな魔力を持つ者の苦悩」として口にされたのだ。
それは、あの人が、魔獣を退治した後のミオルカ王女殿下の姿を見てそう思ったのかもしれない。
「命の火はあっさりと消えてしまうことも知った」
水尾さんは、自分の手を見つめながらそう言った。
この方は魔法国家アリッサムの王女殿下だ。
だから、その細い腕から作り出される魔法は、恐らく、オレが知る以上の力を秘めているのだろう。
「僅かでも戸惑いはなかったか?」
「なかったですね」
そもそも、魔獣は魔獣だ。
親しい人間ではない。
そして、オレが最も大事にしたい人間は、オレ如きの魔法では簡単に殺すこともできないほどの相手だ。
それは、オレにとって、かなり大きな救いでもある。
「そうか。ヴァルナは強いな」
少し困ってように水尾さんは笑った。
「4歳の水尾さんと、18歳のオレの精神の在り方が同じでも問題ではないですか?」
「それはそうなんだが、それでも……」
「そんなの考えても仕方ないですよ」
オレはあの時と同じ言葉を口にする。
それは、大きな力を持つ者特有の悩みであって、思い悩んだところで何一つ解決しない。
何より、オレは他者がどうであっても知ったことではない人間だ。
世界が滅んでも、栞さえ無事ならばそれで良い。
「それに、魔獣戦は初でしたが、生き物の命を奪ったことは何度もあります」
「あ?」
「シカやイノシシ、それ以外ではワニとか、ああ、クマとも戦ったことはあります」
ワニはともかく、日本では狩猟しても問題のない野生動物を選んでいる。
そして、場所は山の中だ。
証拠も残していない。
ワニについては、日本ではない所だったと言っておこう。
兄貴に連行されたことしか覚えていないし、それがどの国だったのかは今でも分からないが、周囲の植物は、明らかに日本で生えるはずのものではなかったと記憶している。
あれは小学校入学目前で、シオリともなかなか接触できなかった時代の、ある意味、忘れたい過去の一つであった。
「ちょっと待て?」
「はい」
「生き物の命を奪った経験はあったのか」
「はい」
オレがそう答えると、水尾さんが大きな溜息を吐いた。
「それなら、まあ、まだ、マシか」
「そうですね」
尤も、一度も命を奪ったことがなくても問題はなかったはずだ。
オレが初めてウサギの狩猟をしたのは、5歳だったし、それ以外の動物についても、ほとんどが小学校入学前に狩猟している。
小学校入学後は、普通に生活することの方が主だった。
兄貴も同じようなものだ。
オレが小学校に入ると同時に転校生として入学したが、その前にオレと狩猟生活を送っている時期がある。
今にして思えば、それは、この世界に戻った時のためだったのだろうな。
「オレにとっては、人間界の野生動物も、この世界の魔獣も等しく食材にしか見えませんから」
あるいは、薬の材料か。
「食材……。それは、どこまでも、九……、ヴァルナらしい」
そこで、ようやく、水尾さんは笑ってくれた。
オレが魔獣を退治することが初めてだったのは、それだけ、彼女にとっては衝撃的なことだったらしい。
「手の震えとかもないんだな?」
「ないですね」
手が震えていては、解体もまともにできないだろう。
「精神的なショックもないな?」
「ないですね」
その後にも、問いかけが続いた。
だが、その全てがオレのことを思っていることが分かるので、茶化すようなことはできない。
そして、当時4歳の水尾さんは、それだけのショックを受けたんだろうなとも思う。
質問の内容はほとんど、心的外傷後ストレス障害のカウンセリングのようなものだったから。
これは、確かに心配になっただろう。
そして、細心の注意も払われて育てられたのだとも思う。
彼女が、その溢れんばかりの魔力と才能で、人を殺めないように。
羨ましいと素直に思う。
オレはそんな育て方をされなかったから。
ミヤドリードが死んだ後、兄貴もオレも何かを振り払うように、ぶちまけるかのように、人間界の動物たちを狩猟した。
当時、生態系について深く考えなかったが、流石に、絶滅はさせていないと思う。
小学校に入学するまでの間、週に一度だけの狩りの時間だった。
オレにとって、山に住んでいた動物は等しく、獲物でしかなかった。
今なら分かる。
ちょっとした危険思想であった。
そんなオレたちの狩猟生活をオレの小学校入学と同時に止めたのは、それが良くない行為だったと兄貴が気付いたからである。
この世界と違って、動物を狩るのに制限や制約があることを知った。
それをガキだったオレたちは知らなかったのだ。
だが、あの兄貴はどこで学習したのだろうか?
小学校三年生で、そういったことを学ぶ場があったとは思えない。
そんな風に思案していた時だった。
「ヴァルナ」
「分かっています」
何かが近付いてくる気配があった。
人間ではない。
この動きはそれ以外の動物……、恐らくは魔獣だ。
「カーカムの敵討ちか?」
サルの魔獣は、集団生活をする魔獣だ。
そして、群れの中で暮らすモノが一体でもやられると、必ずではないが報復に出る可能性がある面倒な魔獣でもあった。
「いや、この気配は違いますね」
オレは魔獣に詳しくはないが、先ほどまでの気配と全く違う。
この荒ぶった気配は、もっと獰猛な生き物だと思った。
「多分、『死肉に群がる魔獣』ですよ」
オオカミっぽい生き物……、いや、性質を考えるとハイエナか。
それが5匹ほど、かなりの速度で近付いてくる。
「あ……。私が仕留めたヤツら狙いか」
言われてみれば、オレが首を撥ねた方はしっかりと処理したが、水尾さんが「土槍魔法」で串刺した方はそのまま放置していたな。
それを狙って来たか。
あのカーカムたちが絶命して間もない。
まだ鮮度が良いってことだ。
それは、ヤツらも喜ぶだろう。
「水尾さんはここで待っていてください」
「あ? 私が後処理をしなかったからだろう? それなら、私が始末するべきじゃないか?」
水尾さんはオレの言葉に反論する。
そこには、先ほどまでの楽しんでいた様子はなかった。
「さっきは、水尾さんが先陣という美味しい所を持って行きました。今度はオレにやらせてください」
オレはそう言って笑った。
「ただ、オレが仕留めそこなったヤツは任せて良いですか?」
さっきの逆だ。
オレが攻撃で水尾さんが補助。
「分かった。できるだけ、こっちに回せ」
オレの意図が伝わったのか、水尾さんも笑って答えてくれた。
これで、オレの方の憂いはない。
背後を任せるなら、これ以上の人はいないだろう。
「じゃあ、行ってきます」
オレはそう言って、気配のする方へ向かったのだった。
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