第二令息のお仕事?
「シオリ嬢、お待ちしておりました」
今日も、書類に埋もれていたアーキスフィーロさまは、立ち上がって、わたしを出迎えてくれた。
新しくわたし用に改造……いや、改装された部屋との距離は部屋二つ分。
正しくは、部屋を出て、遊技場という名の弓道場を突き抜ければ、アーキスフィーロさまの書斎だ。
遊技場からは、アーキスフィーロさまの寝室と、この書斎に繋がっている扉がある。
遊技場の方から鍵を掛けられた方が良いのではないかとトルクスタン王子は言ったのだが、遊技場は恐らくアーキスフィーロさまの数少ないストレス解消の部屋だ。
その部屋を当人が自由に使えなくなるのはおかしいと思うので、その案は却下した。
結果、わたしの部屋の内鍵が何故か5個も付けられた。
安全の保証らしい。
だが、朝、早速、専属侍女さんが寝ているわたしの部屋にいたのはどういうことだろうか?
言われたとおりに鍵を掛けて寝たはずなのに。
内鍵の無意味さを思い知るだけであった。
まあ、ここで余計なことを口にして、さらに、疑いを持たれたくはないので何も言わないけど。
「昼間の行動についてということですが、私は貴女を縛り付けるつもりはありません。自由に行動していただいて結構です」
自由……、それは大変、困る返答だった。
何をして良いのか分からないから、聞くことにしたのに。
「アーキスフィーロ様。シオリ嬢が困ってますよ~」
それを見ていたセヴェロさんが助け舟を出してくれる。
「困る?」
アーキスフィーロさまはセヴェロさんに怪訝な顔を向ける。
「シオリ様は、この国に来て間もないのです。つまり、知り合いも少ない。遊びに出かけるにしても、土地勘もありません。そんなわけが分からない所で、自由に過ごせとか、鬼ですか、我が主人は」
そこまで言ったつもりはないが、言いにくいことを言ってくれた。
だが、本当に、そこまで言ったつもりはない。
「しかし、外はまだ……」
セヴェロさんに指摘されたことでアーキスフィーロさまは考える。
困らせるつもりはなかったし、別に、どこかに出かけたいわけでもなかった。
部屋で過ごせば良いのなら、そうするつもりだったのだ。
わたしは、単にこの国での過ごし方を聞きに来ただけだったのに、どうしてこうなった?
ここは、素直にルーフィスさんに教えを乞うべきだったのだろうか?
「ああ、城下にボクがご案内しましょうか? いろいろ穴場がありますよ~」
セヴェロさんが嬉しそうにそう申し出てくれたのだが……。
「待て。逃げるな」
そんな不穏な言葉でアーキスフィーロさまはそれを止める。
「え~? でも、陰気な主人と日がな一日部屋に籠ってばかりだと、ボクの愛らしい姿にカビが生えそうなんですよね~」
「それがお前の仕事だ」
なるほど。
わたしは書類仕事からの脱却を図るためのダシとして使われそうになっているらしい。
「どう思います? シオリ嬢。本当に面白みのない主人だと思いませんか?」
「でも、アーキスフィーロさまの補助が、セヴェロさんのお仕事ですよね?」
従者ってそういうものだと認識している。
決して、日常生活の世話役、護衛、主人の補助、そして、料理人を兼ねるものではないだろう。
「シオリ嬢、逃がしてください」
「お仕事が終われば、解放されるのではないでしょうか?」
少なくとも、今のように無駄話をしない方が良いと思う。
「終わりませんよ~。見てください、この悪筆!!」
そう言いながら、書類を突き出されたが、わたしが見ても良いものなのだろうか?
思わず、アーキスフィーロさまを見てしまう。
「見ても構いませんよ。父や兄の字を読み解くのは難しいでしょうが、そこにある分は、機密事項はありません」
わたしの視線で察してくれたらしく、アーキスフィーロさまはそう言ってくれた。
セヴェロさんから渡された書類を見ると、確かに顔を顰めたくなる文字ではあった。
セントポーリア城の書類でも見たな、こんな風に読みにくい文書。
特に、ウォルダンテ大陸言語はアルファベットとはちょっと異なる記号のような文字が多い。
だから、書きにくさも分からなくはないのだけど、ちょっと達筆過ぎるのではないだろうか?
ただでさえ読みにくい文字を、英語の筆記体のように文字を連ねて書くのは止めて欲しいとは思う。
しかも、内容は嘆願のようだ。
それなら、もっと読みやすく書いていただきたい。
これでは通じるものも通じないではないか。
「アストロカル=ラハン=フェロニステさまに減税の嘆願ですか。でも、この内容ではちょっと、難しいでしょうね」
思わずそう口にしていた。
近年と比較しても税が上がっている。
国のためとはいえ、最近、ちょっと取り過ぎじゃないか? ……って、内容っぽい。
だけど、この文面からは切実さとか、説得力を感じなかった。
これでは、多分、相手の心に残らないだろう。
「あれ? シオリ嬢、それが読めるのですか?」
「え? はい」
読みにくいけれど、読めなくはない。
だが、内容的に読んで良かったのかは分からない。
減税の嘆願って結構、機密文書なのではないだろうか?
「セヴェロ……。お前は何を渡した?」
「え~、まさか、この文字が読めるとは思わないじゃないですか。ボク、こんなに崩された文字は読めませんよ」
どうやら、セヴェロさんは、わたしには読めないと思って渡したらしい。
結構、酷い。
「でも、アーキスフィーロ様。これは逸材です!! シオリ嬢にも手伝っていただきましょう!!」
「「え?」」
セヴェロさんの言葉に、わたしとアーキスフィーロさまの声が重なる。
どうやら、アーキスフィーロさまにとっても、予想外の言葉だったらしい。
「この癖が強すぎる字を読めるんですよ? 翻訳していただきましょう、翻訳」
渡された文字は恐らく、内容からも、当主さまのものだった。
同じ言語を使っているはずの人、しかも、当主さまの文字だというのに、「翻訳」ってかなり酷い言い方だと思う。
「シオリ嬢、ウォルダンテ大陸言語以外の言語はどれくらいいけます?」
他大陸言語を使えるかって話だろう。
「フレイミアム大陸言語とウォルダンテ大陸言語以外はある程度分かると思います」
「うわあおぅ!! トルクスタン王子の言葉は誇張ではなかったってことですね!!」
わたしが答えると、セヴェロさんが手放しで喜んだ。
「アーキスフィーロ様、いかがでしょう? 欲しがっていた即戦力の文官ですよ!!」
「お前は書類仕事苦手だからな」
「アーキスフィーロ様も同じでしょう!?」
どうやら、アーキスフィーロさまもセヴェロさんも書類仕事は苦手だったらしい。
それで、この量を捌くのは大変なことだろう。
「シオリ嬢に手伝ってもらいましょうよ。このままではアーキスフィーロ様の死因は書類に埋もれての圧死か、仕事の強要に耐えかねた従僕からの殴打ですよ?」
前者はともかく、後者は犯行の予告でしかない。
「お前は……」
「シオリ嬢はいかがですか? 一目見ただけで、ある程度の書類の内容を把握する能力は、かなり文官向きですよ~?」
アーキスフィーロさまの言葉を遮って、セヴェロさんはわたしの勧誘を始める。
だが、この勢いに押されてはいけない。
それを決めるのはわたしではないのだ。
「アーキスフィーロさまがご迷惑でなければ……」
わたしはアーキスフィーロさまの婚約者候補でしかない。
ロットベルク家の書類を取り扱って良いのかの判断はできないのだ。
「大丈夫です!! ボクが、アーキスフィーロ様を拳で説得します」
拳でですか?
やはり、犯行予告でしかない。
「セヴェロ……」
先ほどから従者による言葉の数々に、アーキスフィーロさまが呆れているようだ。
「それぐらい追い込まれていることをご理解ください」
セヴェロさんは、怯むことなく、そう言い切った。
「シオリ様もどう思います? この書類の量。はっきり言って、自分でやれって思いません?」
「自分で?」
セヴェロさんは、アーキスフィーロさまのお手伝いをしたくないということだろうか?
「違いますよ。これらの仕事のほとんどは、アーキスフィーロ様の仕事ではないのです。考えてもみてくださいよ。社交性のない引き籠りに何の仕事ができるというのですか?」
わたしの心を読んだ上で、辛辣な御言葉。
いや、そこじゃなくて、これは、ほとんどアーキスフィーロさまのお仕事ではない?
そう言えば、言っていた気がする。
これらは兄からの嫌がらせのようなものだって。
「事務処理能力のない無能どもが、少しだけマシなアーキスフィーロ様に押し付けているのです。そして、有能なボクが多く処理する羽目になるわけですよ」
有能なのか……。
「気にするところ、違いません?」
また心を読まれた。
「シオリ様は、事務経験はありますか?」
「親の手伝いを少々?」
嘘は言っていない。
少し前にセントポーリア城で、少しばかり手伝っただけだ。
本格的な事務経験はそれぐらいだと思う。
「シオリ嬢、これの翻訳、できます?」
すっと差し出された書類をまた読んでみる。
「魔石購入の申し入れ……、ですね?」
いや、これもわたしが読んで良いものではない気がする。
でも、同じような書類をセントポーリア城でも見た。
親衛騎士団が魔石を購入したいから、予算をくださいって話だったと思う。
「アーキスフィーロ様! ほら、即戦力ですよ、即戦力!!」
セヴェロさんが嬉しそうに叫んだ。
「この文字を読めるってだけでも、ボクはシオリ嬢を尊敬します!!」
いや、こんなことで尊敬されても困る。
確かに読みにくいけれど、読めなくはない文字なのだ。
「シオリ嬢……」
セヴェロさんの言葉を受けて、どこか言い辛そうに……。
「この家に来たばかりの貴女に頼って申し訳ありませんが、少しだけ、手伝って頂けないでしょうか?」
アーキスフィーロさまはわたしに向かって、そう頭を下げたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




