侍女との接し方
「ところで、シオリ様。アーキスフィーロ様の元へと向かわれる前に、昨日よりずっと気になっていたことを僭越ながらお伺いしてもよろしいでしょうか?」
服、髪、化粧した顔の準備が整った後、ルーフィスさんがそんなことを言ってきた。
「気になっていたこと? なんでしょう?」
油断、していたのだと思う。
わざわざルーフィスさんが確認してきたことをもっと深く考えるべきだった。
相手は、わたしが驚いたり、困ったりする姿を見るのが好きだとしか思えない雄也さんだというのに、今の姿に騙されたのだ。
わたしは、数分後にそんなことを考えるのだが、今のわたしは気付けなかった。
―――― 全ては罠だったのに
「私とヴァルナはシオリ様の専属侍女となりました」
「そうですね」
これまで、専属護衛だったのが、専属侍女に変わったことになる。
それが、昇格なのか。
それとも、降格なのかはわたしにも分からない。
どちらにしても、彼らが、自分の傍にいてくれる事実には変わりないのだが、そのために、性別を偽らせて生活をさせてしまう点は酷く申し訳なく思えるのだ。
「それでは、何故、シオリ様は、私にいつまでも丁寧な御言葉を掛けてくださるのでしょうか?」
「え?」
ルーフィスさんの言葉に疑問しかなかった。
丁寧な言葉かけ?
それって、いつもと変わらないつもりだけど、何か変だった?
もしかして、わたしが知らないだけで、護衛と侍女に対して使う言葉が違うということだろうか?
「私は、シオリ様の専属侍女。シオリ様に仕える者です。そのような口調で目下の人間に対して話されては、周囲から侮りを受けましょう。それを平語に改めることは難しいですか?」
平語……、って日常的に使う言葉だっけ?
ああ、確かにわたしはルーフィスさんにずっと敬語といかないまでも、丁寧語で話していた。
そこまで丁寧に説明されて、ようやく、わたしはルーフィスさんが言っている意味を理解した。
「ですが……」
確かに侍女に対して不自然なのかもしれないが、わたしにとって、年上に対する平語はこの言葉遣いなのだ。
形だけの礼儀すら知らない小学生の時ならいざ知らず、敬語を覚えた今では、先に生まれた人、人生の先輩にタメ口で話すことがかなり難しい。
これまでの付き合いから、それを知らないルーフィスさんではないと思うけれど、言っている意味が分からなくもないから困る。
「シオリ様」
だが、わたしの専属護衛……、違った専属侍女は有能なのである。
様々な事態を想定して、確実に主人の逃げ道を奪っていくのだ。
……って、あれ?
なんか、変じゃない?
「私は、シオリ様の侍女にして、若輩、若年、年少の身でございます」
やけに若いことを強調された!?
違う!
今のは……。
「立場も、身分も、年齢からも、丁寧な口調で話す相手ではありません。その理由もないことでしょう。以上のことからも、私に対して丁寧な御言葉で接するお気遣いは不要かと存じます」
暗に敬語で話すな! と言われてしまったわけだ。
しかも、わたしが大義名分として掲げていたものを圧し折る形で。
実年齢はともかく、設定上の年齢がわたしよりも若いために、いつもの「年上相手には常に敬語で話したい」という理由自体が成り立たなくなっている。
これは、酷い!!
完全に逃げ道を塞いだ上で、申し出ているのだ。
確かにルーフィスさんの中身は雄也さん。
でも、今のその姿はわたしよりも年下の15歳だという。
あれ?
本当に15歳だっけ?
「私は、シオリ様を困らせたいわけではありません」
分かっています。
それが、必要だってことぐらいは。
侍女相手に謙るような態度を取る主人は、その時点で、普通なら、上に立つ者らしくないと、侍女や周囲から舐められてしまうだろう。
これまでは、それも許されていた。
だけど、これからはそれが許されない。
それだけの話なのだと分かっている。
それでも、すぐに気持ちの切り替えなんてできるはずがなかった。
だけど、わたしの護衛はいつだって。
主人を追い詰めると同時に、逃げ道も準備してくれる。
「これは、私の我が儘でもあります」
「我が儘……?」
なんか、意外な言葉を聞いた気がしてルーフィスさんを見た。
ルーフィスさんは困ったように笑っている。
我が儘?
雄也さんが?
「シオリ様は、ヴァルナ相手なら、平語や常語を使うこともできましょう。呼び捨てることもしてくださるはずです」
まあ、ヴァルナさんは、九十九だからね。
逆に丁寧語を含めた敬語を使って話し続ける方が難しいと思う。
できなくはないけど。
「それでも、私にはそれをしてくださらない。それが、酷く淋しいのです」
はうあっ!?
外見、妖艶美女さんで、中身は妖艶美形な年上男性の弱気な御言葉をいただいてしまいました!!
違う。
これは罠だ!!
いや、それも違う!!
雄也さんは、わたしが困らないように、外堀を埋め……いや、気遣わなくて済むように、理由を付けて説得してくれているのだ!!
そう思わなければいろいろ無理だった。
実年齢よりも若く、化粧で顔の印象を変えているけど、これが雄也さんの顔であることは変わりない。
その雄也さんのお顔が、頼りなく儚げに微笑んでわたしに向かってお願いするのだ。
しかも、厄介なことに護衛兄弟は、わたしの好みの顔なのである。
これで!
わたしが、逃げられるはずがない!!
「ぜ、善処します」
わたしは、なんとかその言葉を絞り出す。
「そうですね。前向きに検討していただけたらと願います」
ルーフィスさんは嬉しそうに笑う。
化粧もしているし、本来の雄也さんの姿より若いせいだろうけど、ちょっと可愛いと思ってしまった。
考えてみれば、今のルーフィスさんはわたしよりも本当に年下の姿なのだ。
しかも、弟である九十九よりももっと幼い。
15歳って言っているけど、声変わりもしていないし、喉仏も出ていない。
もしかしたら、肉体的な年齢は12,3歳ぐらいではないだろうか?
つまりは、中学一年生ぐらい。
それは可愛い。
それなら仕方ない。
いや、そんな自分の趣味の話は置いておこう。
つまり、ルーフィスさんの言葉は、わたしが敬語を使うのは、距離を取られているようで淋しいと言っているのだ。
なんか、名前呼びの時も似たようなことを言っていた覚えがある。
それで、なんとか「雄也先輩」→「雄也さん」→「雄也」と変えていったのだ。
九十九と差を付けるわけにはいかないとも思った。
確かに2歳差は大きい。
でも、立場は同じ護衛なのだ。
そうなると、今回の申し出も、できる限り、応える必要はある気がした。
わたしを護ってくれているのはどちらも同じなのだから、贔屓に似た態度は良くないだろう。
それに、ルーフィスさんが、わたしに平語で話して欲しいと願う我儘には体裁という正当性があって、わたしがルーフィスさんに敬語を使いたいと思う我儘には、なんの大義もないのだ。
もしかして、ルーフィスさんが年下設定なのも、この部分にあったのだろうか?
相手が年下なら、わたしが敬語で接する理由が薄れるから。
「いきなりは、変えられま……、変えられないと思いま……思う」
うん。
舌に沁みついた習慣は簡単には抜ける気がしない。
それだけ、長い間、心掛けてきたことだから。
言葉を変えようと意識すればするほど。ぎこちなさは生じてしまうだろう。
「それでも構いませ……、構わないでしょ……、構わない?」
そのために、努力はする。
でも、その間の不自然さには目を瞑っていただきたい。
これがわたしなりの譲歩だ。
「はい。シオリ様から、わたしに対して敬語が抜ける日を心待ちにしましょう」
プレッシャーをかけられた。
それも、笑顔で。
まあ、仕方ない。
これまで見逃されてきた部分を突き付けられただけの話だ。
それに、ルーフィスさんが本当に喜んでいることが分かってしまうから、わたしは改めて、努力することを誓うのだった。
そう強く思ったものの、呼び名ならばともかく、なかなか身に着いた言葉を変えることは、わたしにはかなり難しかったらしい。
結局、わたしは平時は丁寧語で、人前だけ平語で彼ら二人と接することになってしまうのだけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




