侍女の事情
アーキスフィーロさまに面会の伺いを立てたら、すぐに会ってくれると返事があったらしい。
そのため、アーキスフィーロさまと会うための支度をすることになった。
お貴族さまって大変だ。
自室にて一人で過ごすための服や髪と、同じ家にいる誰かに会うための服や髪は違うらしい。
しかも、ほんのり化粧する必要もあるそうだ。
家の中でも化粧しなければならないというのは面倒ではあるけれど、それがお貴族さまなら仕方がない。
それに、ルーフィスさんがやってくれるなら大丈夫だろう。
しかし、服はともかく、髪と化粧に関しては手作業という辺り、どこかの護衛と同じ血が流れている証拠だなと思った。
「ところで、他の侍女さんたちは?」
先ほどから、全てをルーフィスさんがやっている気がする。
わたしを起こすところから始まって、朝食の支度、予定調整、さらに婚約者候補に会うための準備。
専属侍女ってこんなに大変なのだろうか?
「ヴァルナは、所用で一時的に外れております。私どもは、シオリ様の専属となりましたが、トルクスタン王子やロットベルク家から用を申し付けられては断ることもできません」
つまり、ヴァルナさんの方は、今、トルクスタン王子から何かの仕事を任されているってことらしい。
ロットベルク家ではないだろう。
来たばかりの侍女さんに、それもカルセオラリアの王族が手配したような人に、何かをさせるとは思えないから。
「そして、マーシャとリィシェラの二人はまだ一度もこの部屋に訪れておりません」
ロットベルク家から新たに付けられた専属侍女さんたちとは、夜、当主さまに呼び出されてアーキスフィーロさまと共に会っている。
元気いっぱいのマーシャさんと、いろいろ言いたいことがありそうなリィシェラさん。
その二人は、この部屋まで来てはいないらしい。
まあ、昨日会ったばかりの人たちが、いきなり部屋に乗り込んでこなかったことは良かったと思う。
「専属侍女って、二十四時間付きっきりで対応してくれるのかと誤解していました」
自分で口にしておきながら、それが大変なことだと気付く。
わたしの護衛たちが、二十四時間対応してくれたのは、彼らが護衛だったからである。
それに、いつも張り付いていたわけでもない。
必要な時だけ傍にいてくれたのだ。
二十四時間戦えますか? ……と、言ってしまうのは、ジャパニーズビジネスマンだけで十分だろう。
そして、本当にそんな労働基準法違反などを常態化してしまえば、「過労死、待ったなし」だとも思う。
彼らが少しでも休めるならその方が良い。
「本来の専属侍女としては、その考え方で間違っておりません。交代しながらにはなりますが、主人の起床から就寝まで付き添うことが一般的ですね」
なんということだろう。
まさかの、おはようからおやすみまでわたしの暮らしを見つめる生活が正しい形らしい。
二十四時間年中無休、開いてて良かった専属侍女さん?
「主人の生活を邪魔しないように、また、心穏やかに過ごすためのお世話をさせていただくことが、役目となります」
その言葉で、黒髪の護衛たちを思い浮かべる。
いや、彼らは侍女ではなかった。
それでも、やっていたことはそれに近い気がする。
「そして、ロットベルク家がシオリ様に付けた侍女たちは、この部屋に下りてくることはないでしょう」
「その理由は、分かりますか?」
ルーフィスさんの言っていたことが間違いないのなら、侍女たちが付けられたのに、近くにいないことはおかしいということになる。
そんなにわたしが嫌われているってことだろうか?
まだまともに話もしていない人たちではあるが、微妙にショックである。
「シオリ様は怒りませんか?」
戸惑いがちにルーフィスさんがそう尋ねてくる。
その時点で、何らかの事情が絡んでいる気がした。
「話を聞いてみないことには分かりません」
ルーフィスさんが言うなら、わたしが怒りだしそうな理由からなのだろうなと言うことも分かる。
この人はいつだって、ワンクッションは置いてくれるのだ。
大半、その後にそれを超えてくるようなことを言うけれど、少なくとも、最低限の心の準備はさせてくれる。
「ロットベルク家の中では、地下に下りるというのは、罰ゲームのようなものらしいです」
「罰ゲーム?」
どういうこと?
わたしが嫌いとか、アーキスフィーロさまの婚約者に収まったことが許せないとかそんな感情からではないのだろうか?
わたしが分かっていないことが分かったのだろう。
ルーフィスさんが困った顔をしながら……。
「地下に下りれば、呪いを受ける……と」
はっきり言わないまでも、答えのような言葉を口にしてくれた。
恐らく、アーキスフィーロさまのことなのだろう。
でも、呪い……。
呪い……ねえ……。
自分よりも、魔力が強い相手を恐れるのは分かる。
その魔力が自分に向けられることが怖いことも理解はできる。
そして、「魅惑」という不思議な効果がある瞳を持っている点も近寄りがたいというのも納得はできるのだけど、事情や理由が分かっているのに、それを「呪い」と言ってしまうのは如何なものだろうか?
別にアーキスフィーロさまは、誰かに何かをしてやろうという強い気持ちを持っているわけではない。
寧ろ、気の毒になるぐらい他人に気を遣ってしまうほどの人間だ。
いきなり婚約者候補として名乗り出たわたしに対しても、かなり気遣ってくれている。
いくら、トルクスタン王子の紹介と言っても、そこまで気遣う必要などないのに、嫌がらせのような部屋から、自分の部屋の近くに呼び寄せてくれた。
しかも、その部屋は、自分の大事な部屋の一部だったのだ。
あの部屋がただの趣味だなんて思えない。
それだけ大事な部屋だったはずだ。
そこまでしてくれる人なんて、そう多くはないだろう。
わたしは、呪いや呪術と呼ばれているものは、魔法と同じように、強く、激しく、そして歪な思いが形になったものだと思っている。
だから、アーキスフィーロさまの魔力や能力が「呪い」には見えないし、アーキスフィーロさま自身が「呪われた子」だと言われているのも納得していない。
―――― そもそも、剣や魔法の世界で呪いってのもね
ある意味、「呪い」なんて不確かで曖昧なものよりも、自分が思い描いただけで、もっとはっきりとした形になる方が、恐ろしいと思う。
だけど、それはわたし視点の話だ。
誰だって自分に理解できないものは怖い。
魔法は不思議理論だけど、この世界に住んでいる人のほとんどが大なり小なり使えるものではあるのだ。
だから、この世界では、魔法と呼ばれるものは理解の範疇にあるもので、それ以外の能力は、どこか得体のしれないもの……なのだろう。
魔法も、法力も、神力も、精霊術も、誰かの強い思いが形になっているということには変わりはないのだけどね。
「アーキスフィーロさまはどれだけ、この家の人間に軽んじられているのでしょうね」
魔力が強ければ、どの国でも持て囃されてもおかしくはないのに、それが自分の意思で制御できないために、この家では軽んじられ、見下され、挙句の果てに、使用人たちからも罰ゲーム扱いまでされているのはちょっと酷い話だと思う。
「その件に関しては、当主の不明でしょう」
ルーフィスさんが酷薄な笑みを浮かべながら、なかなか、辛辣なことを口にする。
この人はどちらかといえば、能力主義な部分がある。
だから、能力のない人間が上に立つことを良しとしない。
「もし、アーキスフィーロさまがこの家の人間でなければどうなっていたのでしょうか?」
この場合、そんな仮定の話に意味はない。
アーキスフィーロさまはこの家に生まれたから、魔力が強いのだ。
だけど、聞いてみたかった。
当主の不明……、見る目がないということは、他の家なら扱いが違うということになるのではないかと期待して。
「魔法国家なら確実に喜ばれたとは存じます」
ああ、うん。
どこかの先輩方の反応からも分かるように、魔法国家は魔力が強い人間ってだけで、その相手の人格に関係なく、喜びそうなイメージがある。
そして、魔法国家に行けば、強すぎる力を制御する方法も身に付けることができたかもしれない。
だが、その魔法国家は既にないのだ。
そんな仮定にもやはり意味はない気がする。
それが分かっていて、そんな仮定を例示するなんて、酷い人だ。
そして、わざわざ例に出したのが、この国ではなかったということは、この国にいる限り、どの家でもやはり似たような扱いになると考えるべきだと言われた気がした。
いや、魔法国家以外は同じようになるのかもしれない。
それだけ、魔力が強くても、それを制御できない人にとっては、生き辛い世界ということか。
「それでも、それは仮定の話に過ぎません」
ルーフィスさんも同じように思っているらしい。
「それでも、お二人がこの国で生きていくことを選ばれたなら、お互いがより良き未来へと歩めるよう、しっかりと話し合われることをお勧めします」
そして、そんな結論を言ってくれた。
でも、わたしは本当にこの国で生きていくつもりなのだろうか?
それが、自分でもまだ分からないのだった。
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