【第114章― グラグラの新生活 ―】アーリーモーニングティー
この話から114章です。
よろしくお願いいたします。
「おはようございます、シオリ様」
「ほへ?」
そんな声が耳に飛び込んできて、一瞬、自分の状況が分からなかった。
えっと?
何がどうした?
「なるほど……。シオリ様は朝が弱いのですね」
そんな声と共に、緑の髪、紅い瞳の美人さんからお茶が差し出された。
なんだろう、これ?
目覚めの一杯ってやつ?
「目を覚ますためのお茶です。この国ではそのような習慣はありませんが、いかがでしょうか?」
ぬう?
お目覚めのためのお茶?
それなら飲んだ方が良いか。
寝起きで纏まらない頭を起こして、緑の髪、紅い瞳の美人さん……、ルーフィスさんから差し出されたお茶を受け取る。
他人に起き抜けの顔を見られることに抵抗はない。
わたしは異性である護衛兄弟に、何度も寝起きの顔を見られているのだから、今更だ。
「黒い……」
ぼんやりしていた頭が、それだけで醒めた気がする。
お茶というからには、これは珈琲とは違うのだろう。
いや、この世界に珈琲はないが。
「目が醒めますよ」
起き抜けに美人さんの笑顔を見ている方が、わたしの目も醒める気がします。
いやいや、そうじゃなくて……。
「いただきます」
香りはどことなくスパイシー。
味も、やっぱりスパイシー。
いや、スパイシーともちょっと違うかな。
舌でピリリというかパチパチと弾けるような不思議な刺激はあるけれど、不味くはなかった。
寧ろ、美味しい。
なんだろう?
これは昔、食べた駄菓子の感覚に似ている。
駄菓子なんてもう長いこと食べていないのでうろ覚えになっているけど。
「弾ける薬草という名の薬草茶です。温めると、口内で弾けるような不思議な感覚がするため、目覚めのお茶とされています」
あ~、これは確かにビックリして目が醒める気がする。
「美味しいです。ありがとうございます」
不思議な刺激の後に残ったのはさっぱり感だった。
そこでようやく、自分の置かれた状況を思い出す。
ここはローダンセにあるロットベルク家。
そして、わたしは今、そこの第二令息アーキスフィーロさまのお部屋の一部を間借りしている。
今、目の前にいるのはルーフィスさん。
昨日から、わたしの専属侍女になってくれた一人である。
そして、朝、身支度を整える前に、この顔が近くにいるのは不思議な感じがした。
「それでは、お召し替えのお手伝いをさせていただきますね」
「え゛っ……?」
その申し出には思わず驚きの声に濁点が入るというもの。
いえ、確かにルーフィスさんの見た目はお綺麗な女性ですが、その中身は妙齢の男性ですよね?
ああ、でも、女性の御着替えに慣れていらっしゃるのか。
それでも、わたしの方に心の準備ができない。
そんな風に戸惑っているわたしを他所に、ルーフィスさんがクスクスと笑いながら……。
「シオリ様は、侍女にお召し替えを手伝われたことがないのですね?」
「は、はい」
これまで侍女という存在がなかったから嘘ではない。
わたしのお着替えを手伝ってくれたことがあるのは、護衛と、「聖女の卵」をしている時に神女が手伝ってくれるぐらいだ。
そして、護衛は服を選んでくれるし、着替えた後に多少、整えてはくれたけど、基本的に着替えそのものは自分でやっていた。
「それでは僭越ながら、私がお教えいたしましょう」
「お、お手柔らかにお願いします?」
その笑みに黒いものを感じるのは何故でしょうか?
「まずは、こちらの方に」
そう促されたので、寝台からのそのそと下りる。
一瞬、ルーフィスさんが目を丸くしたのは気のせいではないだろう。
ええ、わたくしの、パジャマは色気がないですものね。
他者に見せることを前提としていないのだから、そこは仕方ない。
着心地、寝心地重視である。
でも、どこかの法力国家の王女殿下のように、ジャージ上下じゃないだけまだマシだと思ってください。
「お手を……」
対面で左手を差し出されたので、その手に右手を載せる。
そして――――。
「更衣魔法」
ルーフィスさんが呪文詠唱をしたら、わたしの色気がない部屋着は、ごく普通のワンピースへと姿を変えた。
派手ではなくシンプルではあるけれど、質の良い紺色のこのワンピースは、確か、新たに置かれた洋服ダンスの中にあった覚えがある。
これは……、変身魔法?
いや、お着替え魔法?
それとも「チェンジ」って言ったように聞こえたから、変化とか取り替えの魔法?
「先ほどの魔法は『更衣魔法』です。そちらのワードローブの中にある物から一点選び、お召し替えをさせていただきました。お気に召さなければ、またお取替え致しますが、いかがでしょうか?」
「こうい魔法?」
この場合、「厚意」、「高位」、「行為」ではないだろう。
そうなると、「更衣」かな?
なんとなく、「女御」と並ぶ女官の職業なイメージがあるのは、「いづれの御時にか」で始まる日本の古典の中でも有名すぎる長文物語のせいだと思う。
でも、確かその役職名は確か、帝の御着替えのお手伝いだったはずだ。
お仕事をしているのに、そこでお手付きになってしまうのはなんとも言えない気分になる。
「朝食はいかがされますか?」
「食べます」
わたしがそう答えると、ルーフィスさんがクスリと笑った。
はて?
「私の言葉が足りませんでしたね。こちらでお召し上がりですか? それとも、アーキスフィーロ様とご一緒されますか?」
ああ、なるほど。
一人で食べるか、婚約者候補殿と食べるかという話だったらしい。
一人で食べた方が気楽だけど、婚約者候補殿と親交を深めることも大事だと思う。
だが、そもそもアーキスフィーロさまがわたしと一緒に食べたいと思っているかも不明である。
事前に約束もしてない。
「朝食の約束をしていないので、ご迷惑でしょう。ここでいただきます」
「畏まりました」
ルーフィスさんはそう言うと、手早く、机に朝食の準備をしてくれた。
うん、やはり付き合いが長いだけあって、適度な量を分かっていらっしゃる。
丸いパンに似た物が二つと、サラダ、スープに、カリカリに焼いた薄切り肉が数枚。
いつもは護衛である九十九が準備をしてくれていたけれど、ルーフィスさんも料理はできる人なので、安心して口にできる。
「ルーフィスさんはもう食べましたか?」
「私は、後からいただくつもりです」
まだ食べていないらしい。
だが、ここで「一緒に食べませんか?」という言葉を飲み込んだ。
それはお行儀の悪い行為だ。
主人とその侍女は一緒のテーブルで食事をしないことぐらい、わたしも知っている。
これまでそれができていたのは、わたしに公式的な身分がなかったためだということも。
今はアーキスフィーロさまの婚約者候補だ。
わたしが、アーキスフィーロさまと契約を交わした時から、公式的な立場を手に入れた。
でも、それはまだ婚約者……、しかも候補だ。
だから、厳密に言えば、公式的な身分とも言い難い。
貴族と言っても、その子供は自分で家を持たなければ、当主の付属品扱いではあるらしいけれど、少なくとも令息と呼ばれる立場ではある。
だから、いろいろ周囲の目を気にしなければならない。
面倒だとは思うけれど、自分の身の安全保障をしてもらうのだから、それに倣うのは当然だと言えるだろう。
手を合わせた後、パンに似た物をちぎって、もそもそと食べ始める。
食べている時に、対面でいつも見てくれる黒い瞳は近くにない。
今は、横に立っている紅い瞳があるだけ。
分かっている。
分かっているけど、この距離感が淋しい。
だけど、ちゃんと味わって食べる。
この時間を早く終わらせたいからって、早食いは健康に良くないから。
よく噛んで、じっくり味わって、作ってくれた人に感謝しながら朝食を食べすすめていく。
この生活に早く慣れなければいけない。
そうしないと、このためにいろいろ犠牲にしてくれている彼らに申し訳ないから。
一刻も早く、この家で居場所を作って、自分の足で立たなければならないのだ!!
わたしはそう強く思いながら、目の前のお皿に対して、「ごちそうさまでした」と、手を合わせたのだった。
今回の表題、アーリーモーニングティーとは、19世紀ごろの英国の習慣です。
主人が召使いに眠気覚ましのお茶としてベッドまで運ばせたと言われています。
時が流れ、現在の英国では記念日などに、夫が愛する妻のために淹れる習慣に変わっているようです。
これを知った時、流石は英国紳士だと思いました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




