本来の姿
「ぬ?」
気付いたら、わたしはここにいた。
どこまでも、どこまでも、見渡す限り真っ白な世界。
毎度、お馴染み夢の世界だろう。
今日は、いろいろあったから、いつもよちも早く休んだ覚えはある。
夕食は何食か振りに、温かい物を食べることができた覚えも。
あんなに美味しい物を作れる人間に、わたしは心当たりが一人しかいなかった。
一緒に食べることになったアーキスフィーロさまはかなり驚いていたし、先に毒見したセヴェロさんが、その作り手をかなり熱心に口説いていたのは印象的だったけど。
そんな話はさておいて、今はこの白い世界の話だ。
誰かに呼ばれた?
この白いもやもやした世界は相変わらず、周囲がよく見えなくて困る。
まあ、夢だって分かるから良いのだけど。
「栞ちゃん」
背後から聞こえた声。
まだ数日と経っていないのに、この声の低さに、酷く懐かしい気がしてしまうのは何故だろう。
そして、今回、わたしを呼び出したのは、遠い過去の人間でも、亡くなった方でもなく、現世で会える人だったらしい。
「いらっしゃいませ、雄也」
わたしがそう言いながら、振り返ると、そこには黒い髪、黒い瞳の20歳雄也さんがいた。
本日は、魔力節約をしていないらしい。
本来の雄也さんの姿だった。
「今日は何の御用向きでしょうか?」
わたしはセントポーリアの礼を取る。
「淑女の意識に許可なく踏み込んで申し訳ない」
雄也さんが苦笑いをする。
「雄也がわたしの許可を取ったことはありましたっけ?」
「我が主人はこれぐらいのことで憤るほど狭量ではないことを知っているからね」
わたしの嫌味にも似た問いかけに対しても、笑顔で答える美形の御仁。
「まあ、確かに怒る理由もありませんけどね」
わたしは肩を竦めた。
この人が意味なく、わたしの夢に現れることはない。
そして、無意味に見えることでも意味がある。
恐らくは、状況説明、情報共有、そして、深謀遠慮辺りの話をしに来たのだと思う。
ここで話したそのほとんどを、現実のわたしは覚えてはいないけど、それでも心のどこかには残っているはずだ。
「それで、改めて、何の御用でしょうか?」
「まずは、状況説明をさせて欲しい」
そう言いながら、雄也さんはその場に腰を下ろす。
夢の中なので疲れることはないはずなのだけど、長くなるということだろう。
わたしも、そのままその場に座った。
この辺り、お互いに慣れたものである。
「まずは、無事、専属侍女が付いたようだね」
「それはトルクスタン王子からの紹介された方々のことでしょうか? それとも、ロットベルク家から遣わされた方々のことでしょうか?」
わたしの部屋が整った後、ロットベルク家の当主さまから、アーキスフィーロさまと再び呼び出されて、専属侍女の紹介をされた。
同年代の小柄でふくよか、栗色の瞳に、黒髪を二つのお団子にした「マーシャ」さんという名前の女性と、二十代後半のスリムな長身で、黒い瞳に黒いポニーテールの「リィシェラ」さんという名前の女性である。
「マーシャ」さんは、元気よく挨拶してくれたけど、「リィシェラ」さんは、頭を下げただけだった。
名乗りもしなかった。
うん、ある意味、分かりやすい。
「まず、ロットベルク家の方から聞こうか」
「ロットベルク家からの侍女さんは、一人目は、『マーシャ』さんというとても元気の良い方でした。もう一人は、『リィシェラ』さんという口数の少ない方でしたよ」
少し考えて、そうまとめた。
ここで余計なことを言う必要はない。
「『マーシャ』という名の女性は、侍女というより女中として雇われ、まだ一週間だったかな。既に、食器を2,3枚割っていると聞いているかな」
「え?」
だが、雄也さんから思いもよらぬ言葉が出てきて固まるしかなかった。
一週間で食器2,3枚も割るのはちょっと多くない?
いや、そこじゃない。
わたしが気にすべき点は多分、そこじゃないはずだ。
だが、その考えが纏まる前に……。
「『リィシェラ』という名前の女性は、女中としても侍女としても雇われず、5年ほど前までは当主のお気に入りの女性として、この家の女主人のように振舞っていた時期があったと聞いている」
「ほげっ!?」
次の爆弾が投下された。
だけど、過去に当主のお気に入りで、女中でも侍女でもない女性?
それって、もしかして、愛人さんというやつではないでしょうか?
いやいや、わたしが知らないだけで、女中や侍女以外にも様々な役職があるはずだから、お気に入りの女性というだけで決めつけてはいけない。
「言葉を変えれば、その女性はかつて当主の愛妾だった時期があるってことだね」
「ほげえっ!?」
言わなかったのに、言われてしまった。
「つまり、栞ちゃんには露骨に新人と、実務経験のない女性を侍女として付けられたってことは理解した?」
「理解できました」
理解させられたとも言う。
なるほど、マーシャさんは妙に張り切っていたわけだし、リィシェラさんは不服だったわけだ。
「それでは、トルクの方から宛がわれた侍女たちのことも聞いておこうか?」
雄也さんの笑みが深まる。
これは、楽しんでますね?
「文句のつけようもないほど、素敵な侍女さんたちでしたよ」
嘘は言っていない。
あの働きを見て、文句を言う人は、侍女の仕事を分かっていない人か、難癖を付けたいだけの人だと思う。
「侍女じゃないよ」
「へ?」
「どちらかといえば、従僕だね。俺たち、性別は変えていないから」
性別は、変えていない?
いやいや、それよりも……。
「そんなことをペロッと言ってしまって良いのですか?」
何より、さりげなく、「俺たち」って暴露しましたよ?
「既に栞ちゃんは気付いているからね。ここで、隠すのは無意味だろう?」
そうなんだけど、そうじゃなくて……。
「聡明な栞ちゃんは、気付いていながらもちゃんと黙っていてくれたからね。奴に気付いていると気付かれなければ良い」
「やっぱり、口にしてはいけなかったんですね」
「それが、トルクとの約束だったからね」
良かった。
うっかり口にしなくて。
あの場で我慢した甲斐はあったんだ。
そして、やはり、トルクスタン王子からの条件でもあったらしい。
「言っておくけど、俺たちも始めからこんなことをする予定ではなかったんだよ?」
「え?」
「この話を持ち掛けたのはトルクの方からだ。俺たちはもっと正当な手段で入り込む予定だった」
持ち掛けたのはトルクスタン王子からだった?
「まあ、結果として、陰からではなく、かなり身近で護ることができるようになったのだから、俺たちとしても問題はないんだけど」
「トルクスタン王子の方から持ち掛けたってどういうことですか?」
そこが気になって、思わず尋ねていた。
「思ったよりもトルクは栞ちゃんを気に入っているようだね。だから、この家で、味方がほとんどいない状況にさせたくなかったようだよ」
雄也さんは苦笑しながらもそう伝えてくれる。
「それは、ありがたいですけど……」
「だけど、トルクには侍女となれそうな信頼できる女性はいなかった。そこで、俺たちに白羽の矢が立ったわけだ」
「水尾先輩や真央先輩は……、無理ですね」
それを口にしようとして、難しいことに気付く。
「そうだね。栞ちゃんと親しくとも彼女たちは王族だ。それは国がなくなっても変わらない。だから、トルクは彼女たちを使うことは許さないだろう。仮令、当人たちが望んでもね」
侍女としての適性ではなく、トルクスタン王子が許可をしないのは分かる。
雄也さんが言うように王族であることも理由だろうけど、何より、彼女たちを世間からできるだけ隠したいのだから、わたしの侍女とすれば悪い意味で、目立ってしまうだろう。
「ただ、この国では高貴な女性に付ける従者は、護衛を含めて絶対に女性である必要がある。その結果、まあ、俺たちがあんな姿にならざるを得なかったということだけ理解してくれれば良いかな」
雄也さんは困ったように笑いながらそう言ったのだった。
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