魅惑を超えるモノ
一体、俺は何を見せられているのだろうか?
いや、シオリ嬢を紹介したのは俺だし、アーキスとの相性も悪くないとは思っていたが、いくら何でも懐くのが早過ぎるだろう。
あれだけ、「婚約者など要らない」と頑なに言っていたヤツが、たった一日で、陥落するとは思わなかった。
いや、もしかしたら、一日とかかっていないかもしれない。
どれだけ、シオリ嬢が気に入ってしまったのだろうか。
そんなことを思わせるような光景が目の前で繰り広げられているのだ。
「その『ヴィーシニャ』はもうじき、開花の時期です。もし、シオリ嬢さえよろしければ、見に行きませんか?」
他国滞在期から戻った後、暫くして自分の部屋からほとんど出なくなったはずの引き籠りが、シオリ嬢が好きな花に似ている花を共に見に行こうと自ら誘っている。
これは何の奇跡だ?
思わず、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
この男は、これまで、どんなにいろいろな人間が、あらゆる手を尽くしても、この三年はほとんど部屋から出ようとしなかったという報告がある。
そして、当人自身の口からも、必要以上に部屋から出るつもりはないと聞いていた。
つまり、シオリ嬢と出かけるのは必要だと判断したということになる。
いや、この家に実際、訪れてみた結果、アーキスを外に出そうと画策した方法自体がかなり間違っていた可能性もあるが、それでも、どんな理由を付けてもこの男が部屋から出なかったのは事実なのだ。
それだけ、自分の魔力の暴走と、自身の瞳が持つ異性を魅惑してしまう能力を恐れていたヤツが、懸命に可愛らしい婚約者候補のご機嫌を取ろうとしている。
それを目の前で見せられているというのに、自分の脳が、その光景を受け入れようとしないのは何故だろうか。
お前、前の婚約者にもそこまでやってないよな?
寧ろ、あっさり切り捨てたよな?
しかもなんだ?
その不安そうな顔は。
女性を誘うならもっと堂々としろ、みっともない。
そんな言葉が次から次へと脳裏に浮かんでは消えていくが、その一つも言葉にならなかった。
この状況に水を差すほど野暮にはなれない。
「やはり、気は進みませんか?」
自ら、誘いはしたものの、シオリ嬢から全く反応がなかったために、アーキスは弱気な言葉を口にする。
「いいえ、嬉しく思います」
それに気付いたシオリ嬢は、柔らかく微笑んだ。
何故だろう?
その顔に、少し、胸のあたりがざわめくものがあった。
「やはり、好きですから」
さらに、直後に、花が綻ぶような笑みを見せる。
その笑顔も、言葉も、全てが自分に向けられたものではないと分かっていても、胸の奥にこそばゆいものを感じた。
これは、耐性がない男は間違いなく、誤解してしまうことだろう。
何より、言葉選びが秀逸だった。
恐らく、シオリ嬢自身はその花が好きだと言いたかったのだろうが、言われた相手からすれば、そうと分かっていても錯覚を起こしてもおかしくはない。
「シオリ嬢……」
その返答にアーキスも微かに笑った。
自分に向けられたものではないと分かっていても、今は、それで十分だと言わんばかりに。
お前、そんなに柔らかく笑えたんだな……。
そう言いたくなるほどに、表に感情を出すことがなかった従甥。
あまりにも、反面教師すぎる両親と兄に囲まれ、厄介な瞳を持っていたために、ある程度は仕方がない面はある。
その上、自分で制御することが困難な魔力持ちでもあった。
さらに言えば、人目を引く容姿。
カルセオラリアの血筋が濃く出たのだろう。
父親であるエンゲルクよりも、叔従父である俺によく似ていると周囲からもよく言われたものだ。
この辺りは年齢が近いせいもあると思っている。
俺はこんなに陰気な顔をしていないから。
そして、アーキスの家族も問題だった。
ロットベルク家当主であるエンゲルクとその息子であるヴィバルダスは、嫉妬やそれ以外の感情から、アーキスフィーロのことを昔から疎んでいた。
そして産みの親は、全く関わろうとしない。
魔力の暴走を起こしやすかった幼少期から、制御が困難となった現在に至るまで。
それを知っていたから、昔から、いろいろ目を掛けていたところはある。
恐らく、血の近いアルトリナ叔母上よりも、その孫であるアーキスの方が、俺と話していることだろう。
だから、俺に対してある程度、心を開いてくれていたのだと思う。
もともと、この従甥は、幼い頃から、表情の変化が分かりにくく、口数も少ない。
再会して数刻の間は、それが変わっていないと思っていた。
だが、それはあっという間に変化する。
シオリ嬢と話している時は、明らかに口数が増えているし、乏しい表情がいつもよりも分かりやすくなっていた。
何より、シオリ嬢に対する気遣いは、俺が見たこともない種類のものだった。
お前、そんな男だったのか?
親戚付き合いを始めて十数年経っているが、俺は初めて知ったぞ?
不器用ながらも、懸命に好意を伝えようとしている様は実に微笑ましく思える。
その想いが相手に全く届く様子がないが、当人は現状、それで満足しているようだから今のところは問題ない。
あれで、誰かを愛するつもりがないと本気で言っているのだ。
そんな当人の固い決意は、脆くも崩れ落ちようとしているようだが、まだその自覚もないだろう。
まるで、どこかの護衛のようだ。
なんとなく、シオリ嬢の部屋となる空間を整えている二人の侍女たちを見る。
この二人はアーキスのことをよく知らないためか、先ほどの甘酸っぱい遣り取りが行われたことに気付いているだろうに、俺ほどの動揺は感じられなかった。
それだけ精神が鍛えられているのだろう。
その二人の手によって、目の前の空間が次々と変化していくのは、圧巻の一言である。
まるで、始めから完成形が頭に入っているかのようだ。
同時に、主人のために、周囲を見ることもなく、黙々と作業を続ける献身的なその姿は、どこか痛々しくも思える。
俺が余計なことまで知っているからだろうか?
有能とはいえ、この二人をシオリ嬢の専属侍女とすることに、全く迷いがなかったわけではない。
ある意味、アーキスを裏切る行為でもある。
だが、ここまでしなければ、シオリ嬢は護れないと、俺は判断した。
それだけ、この国がおかしなことになっていることを知ったのだからある意味、仕方がないと開き直ることにする。
何もなければ、そこまでする必要もなかった。
だが、困ったことに、そのおかしなことになっている筆頭が、アーキスの兄であるヴィバルダスだったのだ。
暫く会わないうちに、かなり嫌な変化を遂げていて、何度も我が目と耳を疑うことになったほどである。
それでも、シオリ嬢が持っているものが強大な魔力だけで、それ以外に何の魅力もない娘なら、何も問題はなかったことだろう。
だが、違う。
魔力以上に、魅力の方が遥かに問題だったのだ。
アーキスが瞳で異性を惑わせるなら、シオリ嬢はその存在で周囲を魅了する。
しかも、厄介なことに、老若男女種族を問わず、だ。
いや、なんとなくだが、王族や精霊族の血が濃いほど、彼女に好意を持ちやすい傾向にある気がしている。
実際、魔法国家の王族二人は、幼馴染である俺の存在を丸ごと無視するほど溺愛しているのだ。
あの時ほど、シオリ嬢の性別が男でなくて良かったと思ったことはなかった。
彼女を知れば知るほど、より深みに嵌っていく。
シオリ嬢との付き合いが長いという俺の友人たちは、もう後戻りできないほどに強く深く囚われ身動きすらできなくなっていた。
あれほど有能な男たちが、たった一人の女性のためにその身の全てを捧げている。
アーキスの瞳が「呪い」ならば、それを超える存在はなんと呼べば良いのだろうか?
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