部屋を替えるために
さて、ロットベルク家の当主さまの許可が下りたことで、正式にルーフィスさんとヴァルナさんがわたし付きの侍女さんになってくれた。
そして、わたしの部屋は移されることになり、アーキスフィーロさまの居室の一部を間借りすることになったわけだが……。
「ここは……」
思わず、呆然とするしかなかった。
「アーキスの遊戯場だ。無駄に広いだろう?」
トルクスタン王子がそう言ったが、広いのはある意味、当然だ。
そして、「遊戯室」ではなく、「遊技場」と呼ばれるのも、道理だと納得してしまう。
この広さは普通の広間でもない。
中学校の体育館よりもずっと広いのだ。
だが、その理由は壁と床を見れば分かる。
「ここは、アーキスフィーロさまにとって、神聖な場所なのではないのですか?」
思わず、そう口にすると、アーキスフィーロさまは一瞬だけ、目を見開いて……。
「シオリ嬢の身には変えられません」
そんなことを言った。
だけど、普通の部屋ならともかく、この部屋は駄目だ。
わたしが簡単に出入りして良い場所ではない。
「わたしは、今まで通りでも構いませんよ?」
確かに変な仕掛けがある部屋だったけれど、それは塞げば良い話だ。
それに、専属侍女も付いたし、ロットベルク家からの侍女さんも二人ほど付けてくれることに変更はないらしい。
人の出入りが増えるのだから、侵入者も簡単には来なくなるだろう。
何より、専属侍女さんたちは、護衛もできる二人なのだ。
守りとしては万全なのである。
「いいえ。ここの一部をシオリ嬢の部屋とすることに変更する気はありません」
アーキスフィーロさまはそう強く言い切った。
「でも、邪魔になりますよ?」
「遠的に合わせて作られた部屋です。遠的は端でもできますし、近的にこの広さは必要ありません。トルクスタン王子殿下が言うように、無駄な部分をシオリ嬢の部屋として作り替えます」
うぬう。
退いてくれる気はないらしい。
わたしは、改めて、この遊技場を見る。
広々とした空間は、人間界の記憶にある「弓道場」と呼ばれる施設を思わせるような部屋だった。
わたしは弓道場に詳しくはないが、遠くの壁に丸い的が、それと分かるように存在しているのだ。
さらに、床には体育館のようにいろいろな線が入っている。
これは、弓道で使われるものだろうか?
ソフトボールのバッターボックスやファウルラインなどを思い出す。
そして、記憶にある弓道場よりもずっと広い。
多分、倍を超えるだろう。
流石、魔界。
これが地下室の一部とか。
空間の使い方がおかしい。
いや、人間界のデパ地下と呼ばれる場所よりは、流石に狭いのだけど、これが個人資産だと思えば、やはり広すぎるだろう。
「この弓道場よりも広くすることも可能ですが、それには当主の許可が必要となるので……」
「そこまで広くなくて良いです」
アーキスフィーロさまの言葉に被せるように返答する。
この弓道場よりも広い部屋なんて、どれだけ無駄空間ですか!?
「わたしは寝る場所と、贅沢を言えば、机があれば満足です」
そこで鏡台や洋服ダンスの存在が出てこない点がわたしらしいと自分でも思う。
いや、もっと欲を言えば、書棚も欲しいけど、本は並べなくても読める場所があれば良いよね?
「セヴェロ」
「はい、ここに」
アーキスフィーロさまの呼びかけに、音もなく、セヴェロさんが現れた。
「この奥の空間に壁と扉を準備してくれ。お前ならそれぐらいは可能だろう?」
「シオリ様は、どんな部屋がお好みですか? 今ならどんな希望でも叶えることはできますよ」
アーキスフィーロさまに対して返事をするよりも先に、セヴェロさんはわたしに尋ねてきた。
改めて、この世界の感覚はおかしいと思う。
それは理解しているけど、今から、内装工事が始まるらしい。
しかし、この弓道場の一部を部屋に?
それはなんて、罰当たりな気がする話なのだろうか?
せっかく、こんなにも見事な弓道場なのに……。
「シオリ様。そこまで、気にされなくても大丈夫ですよ~。アーキスフィーロ様の命令ですし、ちゃんとこの見映えを損ねず、違和感のない部屋を作りますので」
セヴェロさんが奥の方に向かいながら、陽気にそう言った。
なんとなく、同じようにわたしも一緒に移動する。
木の板に見えるこの床は、靴で歩いているせいか、感覚は木の板っぽくない。
一体、なんの素材でできているのだろう?
「この奥の方に作ることになるので、書斎にいるアーキスフィーロさまの鬱陶しい気配も感じることもないでしょう」
アーキスフィーロさまはセヴェロさんの主人だというのに、なかなかに酷い。
「さあ、ここを! 貴女好みの部屋に作り替えましょう!!」
何かの怪しい通信販売を思わせる口調と仕草で、セヴェロさんは両手を広げながら。そう言った。
しかし、好みの部屋?
そう言えば、あまり深く考えたことはなかった。
ストレリチア城に滞在していた時は、ワカが準備してくれたし、カルセオラリア城は分かりやすく客室だった。
大聖堂は、元から客室というよりも寝泊まりするだけの場所だし。
この世界に来てから、自分の部屋と思えたのは、少し前にセントポーリア城下の森で過ごしたあのコンテナハウスぐらいではないだろうか?
でも、あの場所は居心地が良かったけれど、好みとはちょっと違った気がする。
人間界の自分の部屋だった場所を思い出す。
本棚しかなかった。
あれは、私室というよりも書斎だった。
漫画ばかりだったけれど。
机と本棚しかない部屋。
辛うじて服が入っている洋服ダンスはあった。
それ以外は、中央に布団を敷く用の空間が存在するだけで、少なくとも、花の女子中学生の部屋ではなかったと今なら思う。
可愛らしさの欠片もなかった。
でも、そんな部屋に女友達だけでなく、護衛……当時は少年も現れたのだっけ。
「ああ、書棚が多い部屋をお望みですか? それならば、ここではなく、アーキスフィーロ様の書斎をシオリ様の部屋にしちゃった方が早いですね」
「それはちょっと……」
心を読んだのであろう、その申し出に、一瞬だけぐらりと揺れかかってしまった自分が情けない。
確かにアーキスフィーロさまと最初に会ったあの部屋は本がいっぱいで魅力あふれる部屋だったが、そこをわたしの部屋にするのは流石にありえない話だと思う。
わたしが居座ってしまえば、アーキスフィーロさまの居場所がなくなってしまうではないだろうか。
「先ほど言った通り、わたしは寝る場所と机があれば文句はありません。内装はお任せします」
「なるほど。シオリ様のイメージに合わせると、パステルピンクの内装になりますが、よろしいでしょうか?」
どうしてそうなった!?
何故、そんなワカみたいなことを言うのか?
「淡い薄ピンクのイメージがどこからか複数、飛んでくるんですよね」
セヴェロさんのその言葉に、思わず、背後を振り返る。
少し離れたその場所には、アーキスフィーロさまとトルクスタン王子、そして、二人の侍女の姿があった。
複数?
そうなると、わたしの侍女たち?
でも、そんな色を勧められた覚えはないよね?
「まあ、あくまでもイメージなので。シオリ様は、パステルピンクはお嫌いですか?」
「色としては嫌いではないのですが、自分には似合わないと思っています」
いつかストレリチア城で見たビビッドピンクの部屋よりは、マシだと思うけど。
いや、あれは似合う以前に、目に痛かった。
「それでは、無難に纏めましょうか。最低限の物さえあれば、あとは貴女の侍女たちが適当に飾り付けてくれそうな気配がありますから」
そう言いながら、意味深な笑みを深めるセヴェロさん。
まあ、心が読めるなら、わたし以上に先ほど、正式に専属侍女になった二人のことも分かっているとは思う。
でも、そのことをアーキスフィーロ様に伝えるつもりはないらしい。
それは良いのだろうか?
「それでは、シオリ様は部屋を替えるために、侍女たちと、前の部屋に置いてあるお荷物を取りに行ってください。その間に、アーキスフィーロ様たちと共に、こちらを整えておきますね」
セヴェロさんはそう言って、笑ったのだった。
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