危ないところだった
始めはヴィバルダスさまが、わたしの部屋に侵入しようとしたという話だったと思う。
それが、いつの間にか雄也さんの部屋に侵入しようとした……に、変わってしまったのは何故だろう?
先ほどまで、自分の状態が不安定だった。
だから、理解できなかっただけだろうか?
そして、今は、何故か、視界が真っ暗に塗りつぶされている。
その理由も分からない。
ただ、少しだけ何かに守られているような気がするから、まずは少しずつ落ち着くところから始めようか。
「ヴィバルダスさまは、まさか、本当に雄也の部屋に侵入したのですか?」
そんな言葉に対して……。
「暗闇の中で、風の気配だけ頼りに動けば、そうなるよな?」
初っ端から、心が落ち着けない返答を聞かされた。
いやいやいや?
雄也さんとわたしって、同じ風属性ではあっても、その気配はかなり違うはずだ。
兄弟である九十九と雄也さんでも似ているけど、やっぱり違うのだ。
他人であるわたしと雄也さんを間違えるって……、どういうこと?
「誰もが、体内魔気だけで人物の特定できると思ってはいけない。加えて、突き抜けて鈍い人間は、本当に感覚が鈍いのだ」
「はあ……」
そうなのか。
どうやら、わたしの周囲は鋭い人しかいなかったらしい。
まあ、考えてみれば、王族に連なる人しかいないのだから、当然といえば、当然なのかもしれない。
でも、まあ、ヴィバルダスさまが、近くにいても、わたしと雄也さんの気配の区別も付かないほど鈍いということは理解できた。
突き抜けて鈍いは言い過ぎだとも思うけれど。
「ヴィバルダスのヤツが何か企んでいるのはすぐに分かったからな。マオとミオを今日だけは、城下の宿で宿泊させたのだ。万一の事故も避けたいのは当然だろう?」
考えてみれば、水尾先輩と真央先輩のことに関しては、わたしの護衛たち以上に過保護な面があるトルクスタン王子だ。
冷静になった頭で考えれば、確かに過剰なまでに彼女たちを護ろうとしているこの王子さまが、あの二人を僅かでも危険に晒す真似を許すはずがないだろう。
「あの二人だけで城下に宿泊させたのですか?」
それはそれで心配になる。
水尾先輩も真央先輩も町で宿泊することは慣れてきただろうけど、それは九十九や雄也さんの補助があるからだ。
あの二人の基本は王女さまなのである。
だから、二人だけでは不慣れな面もあるだろう。
「シオリ嬢。俺の従者は他にもいるからな? そいつらを陰に付けた」
トルクスタン王子はカルセオラリアの王族だ。
そして、実質、カルセオラリア国王陛下の跡継ぎでもある。
いくら、見聞を広めるためとは言っても、護衛もなしに何が起こるか分からないような旅など許可が下りないだろう。
普通の王族や貴族などの高貴な立場にある人たちが自分の家の外で行動するのに、護衛が全くいない状況なんてありえない話らしい。
本来、水尾先輩と真央先輩も護衛が付くはずだけど、二人には既に国がなく、仕える人たちも傍にいないために、仕方がない面はある。
だから、トルクスタン王子はこっそりと付けているようだ。
もしかしたら、トルクスタン王子が離れていたリプテラの町でも、雄也さんや九十九以外の護衛たちがいたのかもしれない。
「マオは、他者の気配に敏感だから、陰が付いていることに気付いているかもしれないが、黙っているだろう。そして、ミオの方は、魔力の大きな人間にしか興味を持たないから気付かないと思っている」
確かにあの二人にはそんなところがある。
なるほど。
だから、ある程度、自由にさせているわけだ。
でも、そっか~。
自分の信用のおける家臣を陰に付けるとか……、漫画や小説の世界のようだ。
いや、日本の忍びかな?
戦国時代の情報のやりとりは、全て人を使うしかない。
今のように電話もメールも、無線通信もない時代だ。
人間が早馬で運ぶ手紙や、直接、当人にお届けするしかなかったと聞いている。
鎌倉時代には飛脚が既にあったらしいけど、わたしたちがイメージする飛脚は江戸時代のものだ。
とある宅配業者の飛脚マークの一部に触れると、幸運になれるとかいう変な噂が小学校時代に流れていたと、今となってはどうでもよいことを思い出す。
尤も、この世界には魔法があるから、戦国時代の忍びたちよりは楽できるだろうけどね。
しかし、陰か~。
実は、この部屋の隣室にも二人ばかり潜んでいますね?
自分がよく知るはっきりとした気配と、薄っすらとした気配の二つが、探知に集中すると分かる。
かなり集中しないと、一つは全く分からない。
見事なまでの気配の消しっぷりである。
尤も、はっきり分かってしまう気配の方は、気配が消しきれていないのではなく、わたしの特性のようなものだから仕方ない。
でも、本来は、同じぐらいの気配の消し方だとは思っている。
他人の体内魔気の気配に敏感な魔法国家の第二王女殿下が、「完全に気配を消した時の彼らは、同じぐらい分かりにくい」と、そう言っていたことがあるから。
そして、ここにいることを知っているトルクスタン王子はともかく、アーキスフィーロさまは気付けないだろう。
魔力の大きさと、元々、備わっている探知能力や感知能力は別物らしいから。
因みに、わたしは、魔法国家の王族基準で、感知能力は鋭くないらしいけど、探知能力はそこそこらしい。
その場にいる気配は気付けないこともあるけれど、隠れているものを探そうとするとする能力の方が優れているというのは、どうなのだろう?
性格が悪い?
尤も、これらは感知魔法、探知魔法を使うことで、ちゃんと補うことができるわけだけどね。
ただ魔法を使う気配は相手にも伝わるから、難しいところではある。
「トルクスタン王子殿下」
アーキスフィーロさまの声が聞こえた。
「シオリ嬢もそろそろ落ち着かれた様子です。もう、よろしいのではないでしょうか?」
ぬ?
何の話?
「なんだ、アーキス。『愛することができない』と言いながら、実は悋気か?」
「一般論を口にしているだけですが、おかしいですか?」
トルクスタン王子の軽口にも、アーキスフィーロさまは動じた様子もなく答えている。
しかし、「悋気」?
焼餅とか、嫉妬とか、そんな感情を抱く人には思えない。
「そうだな。確かに、仮にも、婚約者候補の前で、その相手となる未婚の女性に触れているのは、外聞も悪いか」
トルクスタン王子がそう言うと、ゆっくりと、わたしの視界が明るくなる。
ひょえっ!?
もしかしなくても、わたしは、トルクスタン王子から抱き締められていたらしい。
え?
いつから?
「シオリ嬢、此度の無礼を許せ。貴女の魔力暴走を抑え込むためだったのだ」
トルクスタン王子はこのロットベルク家に来てから、少しだけ、口調が変わっている気がする。
時々、いつものような軽口は叩くけれど、その言動は王族のそれだった。
「許すも何も……。自分の感情を自制できないわたしが、未熟なだけですから」
どうやら、トルクスタン王子は、わたしが魔力暴走を起こしかかったのを止めてくれたらしい。
この方が、その対象を抱き締めることで、相手の魔力を押さえつける姿は見たことがある。
普通の結界で押さえるのが難しい、魔法国家の王女殿下の「魔気の護り」が勝手に発動しないようにしていたのだ。
トルクスタン王子の結界魔法は、触れることで強化されるらしい。
しかし、アレが魔力暴走の前兆のような状態だったのか。
「魔気の護り」が身体から出るのとはまた違った魔力の動きだった。
自分の思考が支配されるのともちょっと違って、なんだろう?
変な感覚だった。
あまりよく覚えていないけれど、「音を聞く島」で「祖神変化」を起こす直前は、暗闇の中で、自分に迫る重圧と、これから起こることに対する恐怖、そして緊張の余り、意識そのものが完全に吹っ飛んだ時のような、感覚的には気絶に近いものだったと思う。
でも、先ほどの現象はそれよりも、もっと、感情や思考、そして、体内にある魔力が掻き混ぜられ、捏ねられ、その全てが一つの塊となった後、外に押し出そうとしていた気がする。
あのまま放っておかれたら、文字通り、全身全霊で、自分の全てを放出していた可能性が高い。
この場で、その行いがどういうことを意味するか。
このお屋敷を、結界ごと破壊する光景を幻視する。
そうなれば、流石にアーキスフィーロさまの婚約者候補ではいられなかっただろう。
危ない所だった。
「トルクスタン王子殿下。咄嗟の英断、ありがとうございます」
それを救ってくれたのはこの方だ。
わたしはトルクスタン王子に向かって、感謝の気持ちを込めて、カルセオラリアの最敬礼を行うのだった。
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