ド阿呆なこと
それは、全てを吹き飛ばす文字通りの暴風。
そうなることは予測していた。
だが、ここまでのものとは予想できなかった。
念のため、周囲の結界を強めにしておいたが、それを揺るがすほどのものだった。
―――― わざわざ怒らせない方が良いですよ
困ったような顔をしながらも、そう口にしていた黒髪の従者の姿を思い出す。
忠告はされていた。
それでも、好奇心が勝ってしまったのだ。
―――― 責任は自分で取れよ
呆れたような顔をしながらも、そう口にした黒髪の友人の姿も思い出す。
警告はされた。
それでも、見てみたいと思ったのだ。
シルヴァーレン大陸の中心国であるセントポーリアの王族の血を引く娘が、あらゆることから解き放たれ、何の制御もしなくなった姿を。
言動の割に自分を押さえることに長けた娘。
小柄で可愛らしく、幼馴染たちも、友人も溺愛してしまうほど、人を引き付けるモノを持った存在。
だから、あえて、俺は誤解するような言葉を選んだ。
そうすれば、彼女は必ず、我が身に起きたこと以上に怒り狂うと知っていたから。
自分よりも友人の身を深く思うその性格と心根を理解していたつもりだったから。
だが、つもりだったらしい。
いや、少しばかり読み誤ったと言うべきか。
そして、あの護衛たちが何を気にしていたのかを否が応でも理解する。
これは、確かに王族以外に制御できないだろう。
「ヴィバルダスがしでかしたド阿呆なことについてだが……」
この言葉まではいつもと変わらない様子だった。
だから、そのまま言葉を続けたのだ。
「俺の部屋に忍び込んで、連れに手を出そうとしたらしい」
その言葉で文字通り、周囲のモノが全て吹っ飛んだ。
アーキスの「魔気の護り」も、俺の「魔気の護り」もほぼ同時に働いたのだと思う。
だが、それ以上の風の圧力が襲ったらしい。
俺もアーキスも壁に叩きつけられた。
アーキスの「魔気の護り」は攻撃型だが、それでも、彼女の体内魔気による風の暴圧に打ち勝つことはできなかったようだ。
そして、俺は自身の護りが強化されるもので、さらには、一応、カルセオラリアの王族でもあるのだが、シルヴァーレン大陸の王族とは比べるのも烏滸がましいものであることはよく理解した。
「もう一度、言っていただけますか?」
そして、その状態を作り上げた「大気の支配者」は、その光景すら意に介さずに言葉を続ける。
いつもよりも数段、低い声にもう一度、身体がふっ飛ばされた気がした。
いや、これは錯覚だ。
俺もアーキスも、既に壁に縫い留められ、動くことすら許されない状態である。
ここから、さらにふっ飛ばされることはない。
空気の圧力によって、圧し潰されてしまうことはあるかもしれないが。
仮にもカルセオラリアの王族の血を引く人間たちが、自分たちよりももっと小さな娘によって、場を支配されている。
俺はまだ身体を動かすことが許されているが、アーキスの方は辛そうだ。
これまで魔力で他者に負けたことなどなかっただろう。
魔力の圧力に対する耐性はあまりない。
だが、俺は違う。
魔法国家の王族たちという、魔法や魔力に特化した存在とその化け物染みた能力を、片手で足りるほどの幼い頃から、この身をもって、知っていた。
俺とアーキスの違いを語るなら、王族としての血の濃さと、その魔法耐性ぐらいである。
魔力的な差はそこまでない。
アーキスはこれまで自身の危難を魔力の暴走という手段で回避してきたと聞いていたが、この場で今、その能力が発揮されたところで、あっさりと制圧されることだろう。
恐らくは、アーキスの意識を奪う形で。
それだけ、圧倒的な差がここにあった。
「ヴィバルダスが、この部屋に、入り込んだ。そして、気配を頼りに、この隣室の、俺の連れが、眠っている部屋と、向かったのだ」
だから、途切れがちになりながらも俺は事実だけを口にする。
このまま、意識を奪われるわけにはいかない。
俺との会話が成り立たなくなった時点で、彼女がどうなってしまうのか予想もできなかった。
「それを易々、見逃した……、と?」
自分の部屋に入り込もうとした侵入者を、その隣室に潜んでいた護衛が見逃していた点には一切、口を挟まなかったのに、今回は聞き逃せなかったらしい。
「それが、連れの、望みだったからな」
壁に張りつけられた状態で、それでも平然とした態度を装う。
これでも、カルセオラリアの王族だ。
気圧されるわけにはいかない。
既に、空気の圧力によって動けなくなっているところは、その実力差故、仕方ないが、精神的な部分で無様を晒すわけにはいかないのだ。
「部屋に入り込まれることについては、予想していたのですね」
「あの時の、ヴィバルダスの様子からな。私怨に駆られ、何かやるとは思っていたので、網を張っていた」
淡々と続く会話。
そこに温度はない。
いや、ここには、いつも見ていたはずの心癒される温かな空気や、可憐な笑みもなかった。
「その網に、真央先輩と水尾先輩を利用した……、と?」
さらに自分の身体を押さえつける空気が増した。
これについては、驚く他ない。
これまでの話を聞いた限り、囮として利用されることをそこまで重く捉えていないと思っていた。
いや、実際、自分が危険な目に遭う分には気にしないのだろう。
それは絶対的な護衛たちへの信頼。
だが、自分の友人が同じように利用されるのは腹立たしく思うらしい。
「シオリ嬢。俺の連れが、あの程度の男に不覚を取るとでも思っているのか?」
「わたしが気にしているのは、そこではありません」
さらに圧力が強まった。
ああ、分かっている。
誰よりも友人を大事にする貴女だから。
「あんな誰でも良いと思うような殿方の前に、囮とはいえ、女性の身を僅かでも危険に晒そうとした点が嫌なのです」
日頃、自分が同じようなことをされても、平然と笑うような娘は、そんなことを口にする。
しかも、自分が寝ている間に、同じようなことがあったと先に聞かされているのに。
「ヴィバルダスは別に誰でも良いと思っていたわけではないと思うぞ?」
「でも、実際、この部屋に忍んだのでしょう? わたしを側妻にすると望みつつ、トルクスタン王子殿下のお連れさまにまでその手にかけようとか、誰でも良いとしか思えません!!」
やはり、彼女は気付いていないらしい。
「ヴィバルダスの狙いは終始、シオリ嬢のみだ。俺の連れに微塵も興味はない」
俺の連れに興味を持った時点で、俺がヤツを仕留めている。
「え……?」
「ヤツは先に意識を落としていたからな。シオリ嬢も、ロットベルク家から与えられた部屋ではなく、俺の連れとして、この客室にいると思い込んだようだ」
本当に分かりやすかった。
血筋というのは、趣味まで似るのだろうか?
女の趣味は悪くないと思うが、相手が悪いと言わざるを得ない。
ヴィバルダスは分かりやすく、シオリ嬢に懸想した。
だからこそ、それはもう清々しくも馬鹿馬鹿しいと思うほどあからさまに行動に出たのだ。
姑息な手を使ってでも、勝てないような高みにある存在も、寝ていれば容易に扱えると思ったのだろう。
だが、どうして、成功すると思えたのか?
少なくとも、カルセオラリアの王族という俺が隣室にいることは分かっているのに。
「それって、わたしのせい……、ですか?」
先ほどまで、感情が読みにくかった顔が、分かりやすく困惑の色に変わる。
同時に、俺とアーキスの身体を押さえつけていた空気の圧力が一気に弱まり、ようやく、壁から解放されることとなる。
「いや、どこをどう切り取っても、ヴィバルダスのせいでしかないだろう」
誰が見ても、愚を冒したのは、俺にとって、年上の従甥だ。
だから、彼女が自分を責める必要はない。
「ですが……」
ああ、これはマズい。
この空気の変わりようは、すぐ傍の男でよく知っている。
暴走の前触れだ。
だが、それをさせるわけにはいかない。
ただの感情の変化だけで、あの様だったのだ。
この上、暴走までされたら、それを抑え込める気はしなかった。
何より、俺の連れたちが、確実に敵に回る。
それぞれ、切れ味が良すぎる言葉を口にしながら。
それだけは避けたかった。
だから、ここらでネタ晴らしをしよう。
自分が纏う「魔気の護り」を大幅に強化する。
そして、自我があるかどうか分からなくなっている娘には、俺が持つ中でも最大の結界で保護した。
「シオリ嬢。何やら、誤解があるようだが……」
勿論、誤解させるような言い回しをわざと選んで思考を誘導したのは俺だが、そこは敢えて触れない。
「この隣室にいたのは、ユーヤだけだ」
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