阿呆なこと
わたしが眠っている時に、部屋に侵入しようとした人たちがいたらしい。
それを知っていたトルクスタン王子にいろいろ話を聞いたところ、ある可能性がわたしの頭に浮上する。
「その人たちの目的は、わたしに性的な暴行を加えることだったということでしょうか?」
ただ殺害だけなら護衛たちは口止めしないと思う。
自慢じゃないが、命を狙われたことは既にあるのだ。
そして、単純に怪我を負わせることが目的なら傷害というよりも、脅しの方になるだろう。
これ以上、痛い思いをしたくなければ、このロットベルク家から手を引けとか言われていたのだと思う。
この世界には治癒魔法という怪我を治す魔法はあるけれど、その時に受けた痛みは記憶される。
その暴行を受けた時の恐怖も。
だから、脅しとするなら適切だろうが、脅迫行為のために侵入しようとしたわけではないらしい。
そして、わたしがショックを受けそうなことと言えば、コレなのではないだろうか?
女性の心と身体を同時に蹂躙する行為。
身体の傷は治癒魔法で治る。
だけど、その時にされた行為は、普通の暴力行為以上に、ずっと心の傷になって残り続けるだろう。
わたしは、性的な暴行を受けたことはないが、「発情期」になった人からされた行為は、数カ月経った今も、記憶にしっかりと焼き付いている。
それが「傷」として残っているのか、それ以外の記憶として残っているかは微妙な所ではあるが、それでも物覚えの悪いこの頭に、しっかりと刻まれていることは確かだ。
それなのに、見知らぬ相手から、それ以上のことをされたら、確実に、フカイ傷になることは分かり切ったことだろう。
「なんだ、予想はしていたのか」
それが答えだった。
どうやら、わたしの考えは当たってしまったらしい。
「わざわざ当事者に侵入目的を伏せる理由は、そう多くはないでしょう?」
「それもそうだな」
トルクスタン王子も、さして気にした様子もなく、そのまま、会話を続ける。
「まあ、わたしは被害者というよりも、加害者になってしまったらしいですが」
その人たちが、わたしの寝ていた部屋に侵入する前に出てしまった「魔気の護り」。
それは、わたしにまだ危害を加える前の話なのだ。
正当防衛が成立するかが怪しい。
「『魔気の護り』が出た時点で、シオリ嬢に非はない。しかも、一度も、目覚めなかったらしいからな。無意識なら加害にならない」
トルクスタン王子はそう言ってくれるが……。
「それって、単純に寝ぼけただけだと判定されませんか?」
わたしはその可能性を指摘する。
「寝ぼけて魔法を撃てる人間はそう多くないな」
魔法は、想像力と創造力を必要とするものだ。
寝ぼけた状態で明確な魔法を形にすることは相当難しいらしい。
尤も、呼吸をするように魔法を作り出す魔法国家の第三王女のような例もあるので、絶対にないとは言い切れないのも事実だ。
ただ「魔気の護り」は、身の護りである。
だから、害意、敵意を受けない限り、普通は反応しないそうだ。
「何より、侵入者たちがその目的を既に吐いている。この時点でシオリ嬢が傷害罪を問われることはないし、何より、隠し戸を使った現場は押さえていた。意識があってもなくても、ふっ飛ばすには十分な理由だな」
そっか、不法侵入された時点で、十分、撃退理由にはなるのか。
それなら、わたしがうっかり寝ている間にふっ飛ばしてしまったことも問題にはならないだろう。
「シオリ嬢」
「はい?」
わたしの前にいたアーキスフィーロさまが、こちらを見ている。
「貴女は怒らないのですか?」
「怒る? 何故でしょうか?」
「話を聞いた限りでは、貴女は十年も掃除していないような部屋に押し込まれた上で、その身を狙われたのです。本来ならば、無体な扱いをした我がロットベルク家に対して、憤りを覚えるべきでしょう?」
わたしに向けられたその瞳は真剣で、どこかの誰かに似ている気がした。
「実際、害があったわけではないので、怒る必要性を感じません」
何年も掃除していない部屋に放り込まれたのは、ある意味、想定していたことだ。
他国の人間、しかも庶民が自国の貴族の婚約者候補になる。
それに対して、嫌がらせをして追い出そうとか考える人は一人、二人ぐらいはいるだろうと思っていた。
「まあ、食事を用意されていなかったのは流石に困りましたが……」
それでも、怒るという感情には繋がらなかった。
その日のうちに、護衛が保存食の差し入れをしてくれたこともあるだろう。
「そんなことまで……。それでも、怒らないなんて、貴女は本当に人が好過ぎる」
「多分、怒るポイントが他者とはズレているんでしょうね」
今回のことは、怒るよりも呆れる方が強かったのだと思う。
ただこれが、わたし以外の人間に向けられたことだったら、ちょっと怒りたくなるかもしれない。
尤も、このロットベルク家にいるわたしの知り合いたちは、そんな嫌がらせに屈することはないだろうし、何より、確実に報復をできる人たちだ。
実際、既に暗躍中らしいからね。
「大したことはされていません。確かに、寝ている間の侵入者は恐ろしいことですが、対面すらしていないので、その恐怖も感じませんでした」
起きている時に、突然、洋服ダンスの中から人が飛び出して来たら、流石に恐怖だっただろう。
でも、その時は、思わず、「魔気の護り乱れ撃ち」を放ってしまう気がする。
咄嗟の時にアレを出したくなるのは、初めて自分の意思で体内魔気を操ることができたからだろう。
水尾先輩からは、アレは魔法じゃないと言われているが、わたしにとっては立派な魔法なのだから。
「十年も掃除していない部屋に押し込められるのも、食事を抜かれるのも、寝ている時間帯に家人の手引きによって侵入者が現れるのも、普通は大したことだと思うぞ」
呆れたようにトルクスタン王子はそう言った。
確かに並べられたら、結構な害に思えてくる。
それでも、怒りが湧かないのは、結局、わたしにとって、実害らしい実害がなかったからだろう。
部屋はすぐに片付いたし、話には出ていないけれど虫食いの服の修繕もできた。
さらに、食事は護衛がなんとかしてくれたし、侵入者とは顔を合わせてもいない。
「やはり、侵入者は家の人が案内したってことですね?」
「その部屋のクローゼットにそんな仕掛けがあることを知っているのは、この家で働く人間ぐらいだ。さらに言えば、無関係のならず者が複数名この家に入ってきていること自体が、貴族の家ではありえない」
「まあ、警備の是非を問われますからね」
ならず者ってことは家の人たちではないと思っていたけれど、まあ、話を総合すればそうなっちゃうのか。
確かに外から来た人が、忍者屋敷にあるような仕掛けを知っているはずがない。
でも、その引き入れた家の人は、どれだけ、わたしをこの家に置いておきたくないのだろうか?
先ほどから「家人」って言葉を使っているってことは、ロットベルク家の当主さまたちでもないということだろう。
それなら、はっきりとそう言ってくれるはずだ。
「でも、その家人さんは何故そんなことをなさったのでしょうか? そんなことをしたら、働いている場所の評判が下がってしまうと思うのですが?」
「シオリ嬢の心と身体を傷つけた上で、口止めをすれば、どうとでもなると思っていたようだ」
「あらあら、そんな泣き寝入りするようなか弱い女性に見えたのですね」
そんなことをされて、普通は、黙っていられるとは思えないのだけど。
ああ、でも、この国の考え方ならそうなるのか。
「見た目だけなら、可愛らしい娘だからな、シオリ嬢は」
「まあ、小柄ですからね」
それだけ弱く見えてしまうのは仕方ない。
小さいって本当に損だ。
それだけで、侮られてしまう。
トルクスタン王子の長身を分けて欲しい。
「いや、小柄でなくとも、シオリ嬢は十分、愛らしいぞ?」
「ありがとうございます」
トルクスタン王子はそう言ってくれるけれど、わたしがもう少し背が高かったなら、「可愛い」と言ってくれるような人は格段に減るとは思っている。
「信じていないな、シオリ嬢」
そう言いながら、トルクスタン王子はわたしの右手を取って……。
「トルクスタン王子殿下」
何故か、アーキスフィーロさまがわたしの右手を掴んでいた。
「お?」
「え?」
トルクスタン王子とわたしの声が重なる。
「先ほどの話の続きをお願いします」
アーキスフィーロさまは特に抑揚のない声でそう言った。
あの、手……。
そう言いたかったけれど、上手く言葉にならない。
「ああ、そうだな」
トルクスタン王子が、アーキスフィーロさまの言葉に答える。
わたしの前で、似たような顔立ちの殿方が向き合っているが、その表情は随分違うものだった。
アーキスフィーロさまは無表情だったが、トルクスタン王子は酷く楽しそうだ。
「ああ、失礼しました」
わたしがじっと自分の手を見ていたことに気付いたアーキスフィーロさまが、慌てたように手を離した。
まあ、一応、わたしはこの方の婚約者候補だ。
そうなると、身内や友人であっても、他の殿方に触れられることは良くないことなのだろう。
友人であっても、異性からのスキンシップとなれば、判断に難しい部分は確かにある。
それを、やんわりと窘められた気がした。
「話の続きだったな。シオリ嬢の部屋の無断訪問者たちは、シオリ嬢によってふっ飛ばされた後、俺の手の者たちが対処したから問題はない。命令した人間も分かっている。後は、もう少し泳がせた上で、仕置きするつもりだ」
その発想は護衛たちかな?
すぐに仕置きをしない辺り、何か狙いがあるのだろう。
「すぐに処罰をしないのですか?」
アーキスフィーロさまが形の良い眉を顰めながら確認する。
「侵入者たちをここで処罰したところで、トカゲの尻尾切りになるだけだ。雇い主の方をしっかり、追い込んでから、ゆっくり料理する方が後腐れも少ないだろう」
なんとなく、不敵に笑う黒髪の御仁の姿を幻視する。
その提案を受けた時のトルクスタン王子の心境は複雑だったことだろう。
基本的にトルクスタン王子は真っすぐな人であるため、相手を自由に泳がせつつ、追い込み漁のような対応するということはあまりしない気がするから。
「悪いが、今回の件はこちらで預からせてもらうぞ。俺の友人相手に対して非道なことを企む相手に容赦をするつもりはない」
「承知しました」
トルクスタン王子の言葉に、アーキスフィーロさまも承諾する。
本来、家人の不始末に対して処罰をするなら、雇い主であるロットベルク家がすべきことだろう。
だが、それをトルクスタン王子はさせないと言った。
この家をそれだけ信用していないってことになる。
「あと、もう一つ。ヴィバルダスがしでかしたド阿呆なことについてだが……」
ああ、そう言えば、それもあったね。
わたしの部屋へ入ってこようとした人たちの諸々の印象が強すぎて、すっかり忘れていた。
そんな呑気に構えていたのだが……。
「俺の部屋に忍び込んで、連れに手を出そうとしたらしい」
その一言で、わたしの中のいろいろなものが吹っ飛んでしまったのだった。
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