困ったさん
アーキスフィーロさまの従者、セヴェロさんはわたしに礼をしながら……。
『改めまして、水鏡族の血を引くセヴェロです。今後ともよろしく』
笑顔でそんなとんでもないことを口にする。
わたしは、朝から、一体、どれだけ驚けば良いのだろうか?
セヴェロさんが精霊族だった。
しかも、「水鏡族」は、聞き覚えがある精霊族だ。
確か、昔、楓夜兄ちゃんが呼び出したセドルさまと同じ精霊族だったと記憶している。
あの時、セドルさまは水鏡族は精霊界の水に住んでいるって言っていた。
いやいや、セヴェロさんは「水鏡族」の血を引くと言っている。
もしかしたら、あの「音を聞く島」にいた「狭間族」と呼ばれる精霊族たちの混血児と同じ存在なのかもしれない。
「セヴェロ……」
眉を顰めるアーキスフィーロさま。
『アーキスフィーロ様。彼女はボクが思っていたよりもいろいろと知っているみたいだ。隠さない方が面白い』
セヴェロさんから完全に敬語が抜けてしまっている。
いや、中級の精霊族の血を引いているならそれもおかしくはない。
楓夜兄ちゃんからは、中級以上の精霊族は癖が強く、人間を驚かせたりするのが大好きだと聞いている。
セドルさまも、現れた時、散々、わたしたちを揶揄ってくれたしね。
そして、どこか掴みどころがなく、本当の部分を見せようとしない所もよく似ている。
まるで、水のようだ。
いくらでもその姿を変えることができるのに、本当の姿は容易に見せない。
初めて精霊族と会った時は何も知らなかったが、この世界に来て三年以上もの年月を過ごしたわたしは、昔よりもずっと知識が増えていた。
まあ、これは楓夜兄ちゃんと恭哉兄ちゃん、オーディナーシャさまのおかげでもあるのだろうけど。
「水鏡族の血を引く方が何故、アーキスフィーロさまの従者になったのですか?」
とりあえず、一番、気になることを尋ねてみた。
『その話はまた今度。今は、トルクスタン王子殿下にお会いする方が先だからね』
「セヴェロ、言葉」
『はいはい、申し訳ございません、アーキスフィーロ様。ですが、そろそろ、出掛けられた方がよろしいですよ。トルクスタン王子殿下をお待たせするのは、今の貴方の立場上、あまり良いことではないのでしょう?』
セヴェロさんは瞬時に、切り替える。
どうやら、ここでは詳しい話は聞けないらしい。
でも、確かにトルクスタン王子を待たせるのもあまり良くないだろう。
特に、このロットベルク家が何かやらかしてしまったのなら、尚のことだ。
それにしても、一晩で、他国の王族から直々に呼び出しを受けるほどのやらかしってなんだろう?
『さあさあ、シオリ様もアーキスフィーロ様の説得に協力してください。この方、本当に出不精ですから。昼間は絶対に外に出ようとしないんですよ?』
「余計なことを言うな」
『事実です』
ほんの僅かな時間で随分、二人の印象が変わってしまった。
いや、それは今、気にすることではない。
セヴェロさんの言うとおり、あまり、長く待たせるのは良くないだろう。
トルクスタン王子はアーキスフィーロさまの事情を知っているようだけど、その従者たちは護衛兄を除いて、恐らく何も知らされていない気がする。
「やはり、わたしだけで向かいましょうか?」
案内さえしてもらえれば、多分、方向音痴なわたしでも辿り着けると思う。
『シオリ嬢は、方向音痴なのですか?』
わたしの心を読んだセヴェロさんから確認される。
「恥ずかしながら……」
方向音痴は仕方ないにしても、それを読まれたことの方が恥ずかしかった。
でも、精霊族ってほとんど、そんな感じだもんね。
言葉を口に出さなくても届くのは楽だし、内緒の話もしやすいことを、わたしは知っている。
「何故か、道を一本、間違えることが多いのです」
『この屋敷で間違えるなら……、階層でしょうか。あまり複雑な場所はないと思います』
「扉も覚えられなくて……」
なんで、大きな家の扉って、似て見えるんだろうね?
『ああ、それなら、不出来な主人に変わって、僕がご案内しましょう』
「待て、セヴェロ」
そこまで話して、ようやく、アーキスフィーロさまの声が聞けた。
いや、先ほどから何度も話しかけようとしては、セヴェロさんに阻まれていたのだ。
この時点で、この主従の力関係が見えるような気がした。
尤も、セヴェロさんが本当に精霊族の血を引いているなら、普通の主従関係とも違うとは思う。
精霊族は、人間から縛られるのを嫌う。
精霊遣いと呼ばれるには、それなりに理由があるのだ。
楓夜兄ちゃんはジギタリスの王族自体が、ヴァーフと呼ばれる昔、シルヴァーレン大陸にいた精霊族の末裔だと言う。
そのために、普通の人間よりは精霊族に好かれやすい体質らしい。
わたしの友人であるオーディナーシャさまも、多分、人間界での血筋が影響しているのではないかと言っていた。
その辺りはオーディナーシャさまもよく分からないらしいけど、彼女が言うには、この世界に来た早々、上位の精霊族たちに絡まれたらしいから、わたしの知らない何かの縁があったのだろう。
「トルクスタン王子殿下は、俺を指名している。お前では駄目だ」
『当然です。ロットベルク家の不始末をロットベルク家の人間が行わないわけにはいかないでしょう。僕は、ただの雇われ兵ですので、大人しくここで、お帰りをお持ちしますよ』
雇われ兵?
ただの従僕ではないってことか。
わざわざ「兵」という言葉を使ったなら、そこに何らかの意味があるはずだ。
例えば……、アーキスフィーロさまに何かあった時の護衛?
いや、それなら「護衛」と言えば良いだけだ。
「兵」……、戦闘に従事する人。
つまり……?
「シオリ嬢」
思考の渦に呑まれつつあったわたしを、引き戻す声。
「手を……」
そして、差し出された左手。
アーキスフィーロさまは、ここから出る決心をしてくれたらしい。
この部屋が、普通の部屋よりもいろいろ整っているのは当然なのか。
この部屋で生活できれば、出る必要なんてないもんね。
この方が、どれだけ長い時間、この部屋に留まっているかなんて分からない。
わたしは、昨日の話を聞いてからも、少なくとも必要な時はこの部屋から出てはいたと思っていたのだ。
だけど、先ほどのセヴェロさんとの会話から、もしかしたら、魔力暴走を引き起こし、この部屋に閉じこもってからは、ほぼ部屋から出ていないのかもしれないと気付いた。
この方の魔力暴走は、人間界から戻ってきてからだったと聞いている。
わたしたちは高校の入学試験合格発表の日に会っているから、少なくとも、この世界に還ってきたのは、三年と数カ月ぐらいだろう。
それから……、ずっと?
わたしが、この世界に来て周りから護られて生きてきた間に、この人は、護られるどころか、突き放され、ずっとこの部屋に閉じ込められて生きてきた?
それはちょっと酷い話だと思うが、それを当人も望んでいるなら、そこで要らないお節介を焼くのもどうかと思う。
本当に外出が苦手というインドアな人もいるからね。
この人が、体質的な問題で外に出たくないのか。
それとも、ずっとお出かけをせずに室内で行動する方が好きなのか。
まずは、そこを見極めるべきだろう。
幸い、時間もありそうだ。
気長に行こう。
そう思って、差し出された左手に自分の右手を載せた。
「案内をよろしくお願いいたします、アーキスフィーロさま」
わたしがそう口にすると、アーキスフィーロさまはまた困ったような顔をする。
いや、これはわたしがそう思っているだけで、実は、別の表情なのかもしれない。
そんなに困らせているつもりはないのだから。
でも、わたしの護衛も思わぬ所で、困ったような表情をすることはあったな。
もしかして、自覚がないだけで、わたしはかなりの「困ったさん」なのだろうか?
そう思いつつも、わたしはアーキスフィーロさまに連れられて、「封印の間」と呼ばれるこの部屋から出たのだった。
この話で112章が終わります。
次話から第113章「ドキドキの新生活」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




