湧き出る疑問
本当に、分からない。
トルクスタン王子から呼び出されたので、まずは、一緒に呼び出されることとなったアーキスフィーロさまの元へと向かった。
そこで……。
「無事で良かった」
アーキスフィーロさまは昨日と違って完全に敬語が抜けていた。
そして、わたしを何故か抱き締めたのだ。
あれ?
何がどうしてこうなった?
彼は、こんな風にあっさりと女性を抱き締められるような人だったのだろうか?
いやいや、それ以前に、わたしのことを「妻として愛することはできない」って昨日、言ってたよね?
それに、「無事で良かった」ってどういうこと?
そんな疑問が次から次へと湧き出てくる。
だけど、そんな疑問以上に気になったのは……。
―――― 震えている?
力強く抱き締められているから、それが、はっきりと分かってしまう。
アーキスフィーロさまは、わたしをしっかりと両腕に納めながら、震えていたのだ。
まるで、何かを恐れているかのように。
そんな状態を見せられて、いきなり抱き締められたことに対して抗議するような余裕はなかった。
何より、一応、わたしたちは婚約者候補なのである。
だから、愛するかどうかはともかくとして、これぐらいのスキンシップでいちいち動揺してはいけないのだろう。
でも、心の中で驚くぐらいは許して欲しい。
わたしは、男女ともに他者からのスキンシップに慣れているわけではないのだ。
近年、護衛兄弟たちが少しずつ慣れさせてくれてはいたのだけど、それでも、再会して間もない同級生でもあるアーキスフィーロさまから抱き締められるのは訳が違う。
護衛兄弟のどちらとも違う腕とか、身体とか。
それらを意識し始めると、なんとも言えない気持ちになる。
嫌かどうかで言えば、嫌ではないのだろう。
嫌悪感はなかった。
だけど、不思議だ。
何故、彼が、こんな突発的な行動に出たのか?
こんな時、女として……、いや、婚約者候補としては、どうするのが正しい?
そんな風にわたしが、いろいろと混乱していると……。
「アーキスフィーロ様。トルクスタン王子殿下よりご勘気を蒙りますよ」
セヴェロさんから、そんな声がかかった。
同時に、わたしを拘束していた腕の力が緩む。
「失礼しました」
そう言って、アーキスフィーロさまの身体が離れた。
そして、再び、その黒い瞳がわたしを映す。
やはり、不安そうな顔は変わらないままに。
一晩で、一体、何があったのだろうか?
この人の精神を揺らすような何かがあったと考えるべきだろうけど、その何かがわたしには全く分からなかったのだ。
心当たりがあるとすれば、わたしの扱いについて……だろうか?
でも、あれぐらいのことで、「無事」って言葉を使うのは、ちょっと大げさな気がする。
「アーキスフィーロ様。恐らく、シオリ様は事情をご存じではないようです」
「……そうなのか?」
「この様子ではそうでしょう。トルクスタン王子殿下が知らせなかったと考えるべきです」
ぬ?
ここで、トルクスタン王子?
今回の呼び出しの件と関係があるのだろうか?
「シオリ嬢。先ほどは女性に対して、大変なご無礼をいたしました。お許しください」
アーキスフィーロさまはわたしに向かって頭を下げる。
「いえ、驚きましたが、大丈夫です」
少なくとも、嫌な気配も感情もなかった。
「信じていただけないかもしれませんが、決して、不埒な気持ちからの行動ではありません」
「それも存じております」
アーキスフィーロさまはただ抱き締めただけだった。
そこに邪な気配は感じなかったのだ。
何より……。
「わたしに害意があれば、恐らく、体内魔気の護りが攻撃をしかけることでしょう」
「魔気の護りが?」
「はい。わたしの『魔気の護り』は、自分の身を護るために外敵排除をするタイプらしいのです」
聞くところによると、自分の身に危険が起こりそうな時に発生する「魔気の護り」は、文字通り、結界強化、防御強化、攻撃反射などで脅威を弾いたり、跳ね返すなどの「護る」タイプと、その原因を取り除いたり、迎え撃ったりするなどの「攻撃」タイプがあるらしい。
王族など、魔力が強い人間ほど「攻撃」タイプに変わるそうな。
そのために、わたしが知る人間のほとんどの「魔気の護り」は「攻撃」型であった。
「わたしに対して、害意を持つ人間が手を出す前に、攻撃をすることが多いと身近にいた幼馴染が言っていた覚えがあります」
「幼馴染……」
アーキスフィーロさまが呟いた。
この場合の「幼馴染」とは、言わずと知れた護衛のことである。
彼が言うには、わたしの「魔気の護り」は、寝ている時が一番、凶悪だそうな。
恐らく、眠りの邪魔をされたくないのだろう。
どこまでも自分本位である。
「眠っている時に襲撃されたことがあるらしいのですが、その『魔気の護り』で返り討ちにしたこともあるとも聞いています」
そんな話を「ゆめの郷」で言われた覚えがある。
それだけ危険な目に遭っているのもどうかという話だが、それが事実なのだから仕方ない。
それに、「魔気の護り」よりも、「音を聞く島」で「祖神変化」を起こした時は、相手にかなり酷い怪我を負わせていた事実もあった。
今のところ、死人は出していないという彼らの言葉を信じるしかない。
「眠っている時に……。それで……」
アーキスフィーロさまではなく、セヴェロさんが何故か、そう口にする。
「わたしが眠っている間に、何かあったのでしょうか?」
基本的に、わたしは一度寝たら、なかなか起きない。
それは護衛から、何度も、呆れられてしまうほどである。
でも、この様子だと、わたしが寝ている間に何かあったようだ。
「本当に、ご存じないのですね?」
「はい」
セヴェロさんから尋ねられたので、素直に頷く。
「それならば、トルクスタン王子殿下から伺いましょう。こちらもまだ端的に話を聞いただけで、要領を得ない部分が多すぎるのです。アーキスフィーロ様もそれでよろしいですね?」
「ああ」
どうやら、話が纏まったようだ。
「それと、状況が状況です。昼間からこの『封印の間』から出ることになりますが、その覚悟はできていますか?」
「今回は止むを得ない。非はロットベルク家にある」
……本当に、何があったんだろう?
でも、同時に理解する。
だから、アーキスフィーロさまはずっと不安そうな顔をしていたのか。
それだけ、この部屋から出たくないのかもしれない。
だが、今回は、トルクスタン王子から呼び出されてしまった。
しかも、話を聞く限り、この家が何か問題を引き起こしてしまったらしい。
それならば、この部屋から出ないわけにはいかないだろう。
「わたしだけでトルクスタン王子にお会いしましょうか?」
一応、アーキスフィーロさまの婚約者候補となった身だ。
代役? 名代? ……みたいなことは可能だと思う。
「シオリ様、それは駄目です」
「シオリ嬢、それでは意味がありません」
セヴェロさんとアーキスフィーロさまがほぼ同時に答えた。
わたしでは名代は務まらないらしい。
まあ、駄目元の提案なので、拒否されたなら、仕方がないのだけど。
「アーキスフィーロさまのお顔の色が優れないようなので、提案させていただきました。差し出口を申し訳ありません」
そうお詫びする。
「……だ、そうですよ、アーキスフィーロ様。まさか、女性に庇われて、部屋からお出にならないとか、そんな恥知らずなことはなさらないですよね?」
セヴェロさんの言葉には遠慮がなかった。
そして、昨日とは随分、性格が違う気もする。
昨日はもっと、ドジっ子というか、子供らしかったのに、今はどこに出しても恥ずかしくないほどの従者だ。
見た目で年下と判断していたけれど、もしかして……違う?
それとも、単純に大人びているだけ?
わたしがそう考えていると……、セヴェロさんと目が合って……、何故か、ニヤリと笑われた。
―――― 精霊族!?
なんとなく、そんな気がした。
いや、この気配、感覚。
何よりも心を読まれているようなタイミングでの笑み。
「驚いた」
「何がだ?」
「シオリ嬢にボクの正体を気付かれました」
ふわっ!?
あれ?
気付いたって、本当に!?
『でも、気付かれたなら、仕方ない。改めまして、水鏡族の血を引くセヴェロです。今後ともよろしく』
セヴェロさんはそう言いながら、恭しく、わたしに一礼したのだった。
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