理由が分からない
祝・五周年
今後ともよろしくお願いいたします。
「疲れていたんだと思うよ」
そんな風に力なく笑う主人の姿を見て……。
「大丈夫か?」
思わず、そう声をかけずにはいられなかった。
確かに肉体的な疲労も重なっているだろう。
だが、一番、疲弊の原因となっているのは精神的な部分だと思う。
これまでの環境とはあまりにも違い過ぎるのだ。
確かに、他国でこれまでの生活習慣とは異なるにしても、普通では考えられないような酷い事態が続いているため、気丈な彼女でも精神的な負担は大きいだろう。
先ほどから、その言動や体内魔気にも疲れが見え隠れしている。
まだこの家に来て、一日と経っていないのに、この有り様だった。
これがほんの一時のことだと分かっていても、主人に対するこれらの扱いは到底、許せるものではない。
だが、今のオレにできるのは、気遣う言葉を掛けるぐらいだ。
当然、替わってやることもできないし、こればかりは主人自身に乗り越えてもらうしかない。
「うん」
オレの言葉に対して、彼女は笑いながらそう答えた。
主人も分かっている。
これらが起こりえることを覚悟した上で、主人はここにいるのだから。
だから、気を許している護衛の前であっても、泣きごとなんて簡単に吐くわけがないのだ。
そして、そんな簡単に周囲に頼って甘えてくれるような女なら、オレたちの苦労はもっと少なかったことだろう。
オレたちが先に動いて対処するだけで良いのだから。
だが、残念ながら、オレたちの主人はそんな人間ではなかった。
嫌なことがあっても、我慢をする、耐える、隠してしまうような女だから、オレたちが注意深く見守る必要があるのだ。
「ご飯のことを除けば、これぐらいの嫌がらせならなんとかなると思っている」
彼女もこれらの扱いが、何者かによる嫌がらせだと理解しているようだ。
もしかしたら、オレが来る前にも既に、いくつか自力で対応していたものがあるのかもしれない。
そして、これは今日だけの話ではなく、今後もここにいる限り、こんな子供じみた嫌がらせが続くことも予想しているのだろう。
だが、ふざけるな。
オレたちはそれを許容できるほど、人間ができてはいない。
さらに言えば、こんなことをさせている人間を見逃すほど甘くもない。
どんなヤツが仕掛けてきたものかは分からんが、狙った相手が悪かったと言える。
数日と経たずにこの状況を改善してやろう。
その時に、後悔するなよ?
喧嘩を売って来た以上、応戦されることぐらい想定しているよな?
オレはまだ見ぬ相手に向かってそう思った。
「無理するなよ」
だが、それでも、情けないことに、今のオレが彼女に向かって掛けられる言葉はこれぐらいしかなかった。
まだ動くわけにはいかないし、伝えることができない部分も多い。
だから、あまり長い期間にはならないとは思うが、現時点では彼女に耐えてもらうしかないのだ。
「分かっているよ」
そんなオレに対して、主人は笑ってくれる。
いろいろな感情を内に押し隠して、オレに心配をかけまいとしてしまう。
その強さが眩しい。
そして、同時に安心する。
だが、その主人の強さに護衛であるオレが甘えてはいけない。
「本気でここにいるのが嫌になったら、早めに言えよ」
「ぬ?」
オレの言葉に主人は首を傾げる。
「オレが攫ってやる」
「ほぎぇっ!?」
そして、奇声とともに目を見開いた。
いや、ちょっと本音を口にし過ぎたか?
主人の可愛い目が、驚きのあまり丸くなっている。
「違った。オレたちが攫ってやる……、だった。多分、兄貴も反対はしない。それがお前の意思ならば、叶えるのがオレたちの仕事だ」
そのことは未来永劫変わることはない。
少なくとも、オレにとってはそうだった。
兄貴ははっきりと口にしない。
だが、オレがそうすると決めたら、余程、無謀なことではない限り、兄貴も反対はしないだろう。
主人はその言葉を本気で受け止めてくれたかは分からない。
それでも、嫌がる様子はなかった。
それだけで十分だ。
世界を敵に回しても、オレはこの主人を護り抜く。
だけど、まだ、その時ではない。
今は、我慢の時だ。
動き出すのは、全てが整ってからでも十分間に合う。
「さて、用は済んだ。これ以上の長居は禁物だ。トルクスタン王子が煩い」
眠っている時に、少し部屋を整える程度だと伝えているから、まだそんなに慌てて戻る必要はないのだが、これ以上、傍にいるのはオレが耐えられない。
勿論、ちょっかいを出すなとは言われている。
あの王子殿下は言動の割に意外とお堅い。
そして、懐に入れた身内を護ろうとする気質も強い。
だからこそ、兄貴も信用しているのだろう。
あの王子殿下は決して、自分を裏切ることはない、と。
「ありがとね、気に掛けてくれて」
主人は微かに笑った。
「お前はオレの主人だからな。常に気にするのは、当然だ」
オレがそう口にすると……。
「もう、そこまで気に掛けてくれなくても大丈夫だから」
寂しそうに、そう言って目を伏せる。
「そろそろ、わたしを独りで立たせて?」
十分過ぎるほど頑張っている女はそんなことをさらに口にする。
「あなたたちは、十分、護ってくれたから」
そんな別れの言葉に似たような台詞を。
彼女は、「十分、護ってくれた」と言った。
だが、まだ足りない。
オレが、幼馴染から、友人から、主人から与えられてきたものは、こんなものじゃ全く足りないんだ。
「お前の意思は分かった」
それでも、主人はオレたちを突き放そうとするだろう。
本来はもっと護られても、甘やかされてもおかしくはない立場なのに、それでも、独りで立とうとする気高い女。
それでも、放っておけない。
誰かから護られることも、誰かに甘えることも苦手な少女だとオレは知っているから。
「だから、オレもオレの意思を貫く」
そのまま、返事も待たずに、移動魔法を使う。
あの場にいたところで、続けられるのは不毛な会話だろう。
オレも彼女も、お互いに退く気など全くないのだから。
「それにしても……」
思っていた以上に、主人の待遇が悪かった。
部屋は狭い。
設備も最低限。
そして、食事を与えない。
これらだけでも、明らかに歓迎されていないと分かる境遇だろう。
確かに、主人はこの家の二男の婚約者候補となったが、同時に、まだ客人の身でもあるのだ。
それも、他国の王族からの紹介で来たほどの立場である。
そんな相手を虐げようとする理由が分からない。
これは、単純に使用人の質が悪いというだけでは済まされない話だろう。
そして、嫌がらせの一環だとしても、生命に直結することになる食事を与えないのは明らかにやり過ぎだった。
それが、たった一食分だったとしてもかなり悪質だと思う。
これらの所業が積み重ねなった末に、今回の話が破談となったとしたら、この家での婚約者に対する扱いが周囲に伝わるとは考えないのだろうか?
そうなったら、もうあの男の婚約者となる人間は候補としても現れなくなるだろう。
誰が、虐げられると分かっている家に自分の娘を差し出すものか。
これが、財産がある家なら、それを狙って生贄として娘や養女を差し出す家も出てくるかもしれないが、兄貴の話ではその可能性は低いらしい。
金もない。
配偶者になる人間への扱いも悪い。
だが、気位だけは高い。
この三つだけ並べても、真っ当な神経を持っている家ならば、自薦も他薦もしたくなくなる。
もしかしたら、主人への嫌がらせを主導している人間にとってはそれが狙いかもしれない。
あの男は一度、婚約破棄をされている身だ。
そして、再び纏まりかけた縁談が壊れれば、男であっても傷物となる。
今後、良縁は望めなくなるだろう。
そうなると、あの男から、婚約者になりたがる人間を排除したいと考える人間がいるってことだな。
それが恨みか、それ以外の感情からくるものなのかは分からない。
だが、それに巻き込まれることを考えれば、悠長に考える暇もないだろう。
オレはもう何度目になるか分からない溜息を吐く。
どんな道を選んでも、オレの主人は、当人が望む平穏とは無縁の生活を送ることになるらしい。
それを分かっているから、オレは気合を入れ直す。
少しでも、彼女の力になりたいから。
だから、そのためには、この国にいる間は、どんな恥辱にも耐えてやると、改めて決意するのだった。
とうとう、毎日投稿六年目に入ります。
毎年、ストックが割とギリギリとなっており、毎日投稿がかなり大変となりつつありますが、今年もなんとか頑張ろうと思います。
ここまでずっとお読みいただき、ありがとうございました。




