正しい距離
祝・2200話!
「まさか、メシもねえとはな」
黒髪の護衛は溜息を吐いた。
「うっかり、寝ちゃったからね」
彼から渡された保存食をほおばりながら、わたしは答えた。
うん、朝とは違うこの保存食も美味しい。
「お前、この状況でも寝たのかよ」
呆れたように言われても仕方ない。
自分自身も目が覚めた時に、呆れたぐらいだったから。
「疲れていたんだと思うよ」
今日一日で、思った以上に長い距離を歩いたし、待たされたし、魔法を試されたし、頭を酷使するほどの話もしたし、何故か模擬戦闘もしたし、この部屋の掃除まですることになった。
それらの肉体的な疲労に加えて、緊張という精神的な疲労もあったのだ。
今日の話は、どれもこれも、綱渡りのような交渉ばかりだった。
自分の居場所を確立するためとはいえ、いつものような手厚いサポートもない状況でもあった。
そんな場面が何度もあって、緊張しない方がおかしい。
わたしは小さい頃から貴族として教育されているわけでもないのだ。
だから、疲労から眠ってしまうこと自体は自然だろう。
寧ろ、この部屋の掃除まで一人で頑張ったことを褒めても良いと思う。
偉い、わたし。
それでも、わたしが眠ってしまった後に、この部屋まで誰かが来た様子はなかった。
つまり、もともと食事を与える予定などなかったと思っている。
一度、内に入れると決定したロットベルク家が、他国の王族がまだいる状況でそんな愚を冒すとは思えないので、恐らく、使用人の判断だろう。
普通に考えれば、その判断もどうかと思うが、この家、いや、この国以外を知らなければ、そんな行動も分からなくはない。
他国の人間を巻き込んだ時点で、自国だけの問題ではなくなることを理解できていないのだから。
単純に排除目的か、それとも、嫌悪から来る嫌がらせなのかはまだ分からない。
少なくとも、歓迎はされていないとは思った。
「大丈夫か?」
「うん」
もともと覚悟の上だ。
何も持たない身で、貴族に嫁ぐ話が出れば、同じような立場や、やや上の人からのやっかみは確実にあるだろう。
誰も好き好んでそんな茨の道を選びたくはない。
だが、わたしの身は貴族以上でなければ守ることができないとも思っている。
このまま、ずっと護衛たちに護られて人知れず生きていくことは不可能ではないと思うけれど、彼らの能力的にも、年齢的にも、それは勿体ない。
彼らはもっと評価されて良いと思っている。
だから、わたしの傍にいる状態はいろいろな損失だ。
尤も、それでも彼らは付き従ってくれる気満々なのはよく分かった。
でも、選択肢を与えた上で、彼ら自身が選んだ果ての行動ならそれは良い。
彼らの可能性を圧し潰していたことが問題なのだから。
「ご飯のことを除けば、これぐらいの嫌がらせならなんとかなると思っている」
ご飯だけはちょっと問題だけど、それ以外のことなら、わたしは跳ね除けるほどのことができるようになっている。
そして、そのご飯対策として、彼は保存食を渡してくれたのだ。
これで、後、数カ月は戦える!!
「無理するなよ」
「分かっているよ」
明日からわたしに侍女が付けられるという話だったけど、その人が味方である保証は全くないのだ。
寧ろ、この状況から、敵である可能性の方が高いだろう。
「本気でここにいるのが嫌になったら、早めに言えよ」
「ぬ?」
「オレが攫ってやる」
「ほぎぇっ!?」
そんなとんでもないことを真顔で言われて、わたしはこれまでにないほど珍妙な声を上げてしまった。
いやいやいや、流石に冗談だよね?
「違った。オレたちが攫ってやる……、だった。多分、兄貴も反対はしない。それがお前の意思ならば、叶えるのがオレたちの仕事だ」
ああ、そうだった。
どこまでも見事な護衛魂。
ここまで来ると、仕事熱心すぎて、誤解の入る隙間もないほどだと思う。
でもね。
わたしだって、彼らを護りたいのだ。
ずっと護ってくれた。
ずっと最優先にしてくれていた。
だから、これ以上、そんな甘い言葉に流されるわけにはいかない。
そして、それを彼自身も知っている。
だから、逃げ場を作ってくれた上で、後悔しない道を選べと言ってくれるのだ。
どこまでも、甘い、わたしの護衛。
「さて、用は済んだ。これ以上の長居は禁物だ。トルクスタン王子が煩い」
わたしが食べ終わったのを見て、彼も再び動き出す。
そっか。
戻るのか。
戻っちゃうのか。
当たり前のことだね。
「ありがとね、気に掛けてくれて」
「お前はオレの主人だからな。常に気にするのは、当然だ」
黒髪の護衛はいつものようにそう言ってくれる。
でも……。
「もう、そこまで気に掛けてくれなくても大丈夫だから」
いつまでも甘えていてはいけない。
それを彼らが許してくれても。
それを彼らが望んでくれても。
わたし自身がそれを許せないのだ。
「そろそろ、わたしを独りで立たせて?」
この世界では15歳が成人だ。
そして、わたしはもう18歳。
そろそろ、自分の足で立たなければならない年頃である。
「あなたたちは、十分、護ってくれたから」
この世界での生き方を教えてくれた。
ずっと護られてきた。
だから、ここで手を離さないと、離せなくなってしまう。
「お前の意思は分かった」
彼はそれだけ言って……。
「だから、オレもオレの意思を貫く」
そんな答えにもなっていない言葉を口にした後、そのまま、この部屋から消えた。
それこそ、幻か何かのように見事に。
その気配は既に、ここから遠く離れた場所に在った。
それが、移動魔法によるものだと分かっていても、やはり、混乱はしてしまう。
これは、これまで意識していなかったけれど、わたしが彼の気配を正確に掴んでしまう弊害なのかもしれない。
そして、この場に残されたのはわたしだけとなった。
これからは今、現在のこの距離が正しいものとなる。
この状態に慣れなければいけないのだ。
今は、この部屋に一人だけど、侍女と呼ばれる人たちが出入りするようになれば、こんなに考える時間もなくなるだろう。
今日だけだ、考えることができるのは。
「油断なく、部屋のチェックもしてくれてたな」
わたしが食べている間も確認してくれていた。
人が隠れることができそうなほど大きい洋服ダンスとかも、わたしから許可を取ってから開けて、じっくりと中身を見ていた。
これは、自分の肌着とかがまだ入っていないからできることである。
服はともかく、用意されていた肌着を使う予定はない。
彼が出してくれた色とりどりの大量の袋が床に転がっている。
こうしてみると、自分の私物も結構、増えたことを実感する。
わたしが三年以上も、この世界で生きてきた証でもあるのかな。
明日は、これらを入れ替えよう。
もともとあった物は全部出して、纏めておけば問題ないだろう。
しかし、服よりも小物よりも、書物がとにかく多い。
だが、それ以上に多いのが、自分で描いた絵だ。
ご丁寧にこれらも全て、置いていってくれた。
もう、二度と会わないかのように。
「全てを収納するのは無理かな」
与えられた部屋は、大聖堂の「迷える子羊」の部屋よりはずっと広いけれど、収納できそうな場所があまりない。
家具はどこまで許されるだろうか?
自分で収納しろって言われるかな?
でも、できないからこれは仕方ないね。
侍女さんが信用できそうな人なら任せたいけど、わたしは真偽を見極める眼なんて持っていないから、難しいかな。
「でも、まさか、初日から手を掛けさせてしまうとは……」
思わず零れてしまった名前。
そして、それに即、応えてくれたことは嬉しい。
でも、それでは何も変わらない。
わたしも成長しなければならないのだ。
もう昨日までのわたしではない。
今のわたしは、正式にロットベルク家第二令息アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルクさまの婚約者候補になったのだから。
毎日投稿を続けた結果、とうとう2200話です。
ここまで、長く続けられているのは、ブックマーク登録、評価、感想、誤字報告、最近ではいいねをくださる方々と、何より、これだけの長い話をお読みくださっている方々のおかげです。
まだまだこの話は続きます。
頑張らせていただきますので、最後までお付き合いいただければと思います。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!




