間に合わないのは仕方ない
「はっ!?」
気付いたら、わたしは寝台の上に転がっていた。
窓がないから外の状態は分からないし、光が入らないために周囲は真っ暗だ。
だけど、何故かぼんやりと光っている時刻みはあるから、時間だけは分かる。
今の時間は、二十一刻らしい。
どうやら、わたしは寝ていたようだ。
我ながら図太いと思う。
どちらかというと敵陣に等しい場所で、たった一人だというのにぐっすりと眠りこけていたのだから。
化粧もしていたし、服もいつもよりはヒラヒラだった。
それなのに、このアホさ加減。
服はともかく、せめて、化粧ぐらいは落として倒れるべきだったと、今更、後悔してももう遅い。
護衛兄弟に知られたら、なんと言われることか。
特に弟の方。
でも、彼らはいない。
お小言を頂戴することもないが、そのことが酷く淋しかった。
部屋に入った時は明るかったのだから、照明となるものはあるはずだけど、こうも暗くてはそれを使用することもできない。
『光れ』
まずは、光源の確保をすることにした。
わたしの言葉に合わせて、右手の平に光の球が浮かび上がる。
ぼんやりと周囲が見えるようになった。
人が訪れたような跡はない。
万一のために、入ってすぐの床に、補修をしていない服を一着、置いておいたのだ。
誰かが来て動かしたり、踏んだりすれば、すぐに分かるように。
だが、置いたままの状態から動いていない。
移動魔法で直接、部屋に入ってくれば分からないだろうけど、仮にも貴族の家だ。
そんな温い警備体制ってことはないだろう。
言い換えれば、食事の支度もされることなく、客人を持て成す晩餐に呼ばれることもなかったらしい。
なるほど、異物混入ではなく、食事を与えない方向ってことか。
それはちょっと辛いかな。
そして、わたしの服に不自然な乱れもなく、寝た時と同じ状態だった。
誰かに何かされた様子はない。
何より、顔には化粧が張り付いたままである。
これについては、誰かになんとかしてほしかった。
でも、仕方ない。
寝てしまったわたしが悪いのだ。
「えっと……、洗面台は……ないのか」
どうやら、ここで寝泊まりする人間は、生活魔法を使えることが前提らしい。
もしくは、部屋から出て、水場を探せと言うことか。
『化粧落とし』
暫く考えて、護衛弟から怒られそうな手法を使うことにした。
彼が言うには肌のような、デリケートなものに対して、魔法でやろうとすると、微妙な力加減が難しいらしい。
それでも、これ以外の手法がないのだから仕方がなかったのだと言い訳をさせてもらおう。
ここの立派な鏡台には、化粧を落とすための薬液も見当たらないどころか、化粧瓶すらないのだ。
これは、自分で揃えろってことなんだろうね。
まあ、化粧品はちゃんと当人の肌にあわせたものの方が良いと護衛弟が言っていた覚えがある。
肌質に合わないと皮膚に赤みや痒みが出ることもあるそうな。
「ほへ~」
皮膚呼吸が開始された感覚がある。
痛み、痒みはないから、肌荒れは起こしていないだろう。
顔に触れてもガサガサ感もない。
赤みの方は分からないかな。
わたしは照明魔法を維持しながら、化粧を落とすなどと言う器用なことはできなかった。
そのため、再び、部屋は真っ暗である。
根本的な話として、光源になる道具を探すべきか。
せめて、部屋の使い方の説明ぐらいはして欲しかったな。
照明石の操作する機械の形状や使い方すら、国によって異なるのだ。
いや、国から出ることもない人たちは、その違いも全く知らないんだろうけどね。
「あ……」
発想を変えよう。
わたしの照明魔法は、ゲーム画面や、護衛兄弟が使っている魔法が参考となっている。
それ以外の魔法を考えてみるか。
『室内灯』
わたしがそう呟くと、天井そのものが光った。
考えていたものとはちょっと違ったが、明るさとしては丁度良かった。
これで、室内灯の問題は解決だ。
そして、この部屋の本来の光源は、カルセオラリアやセントポーリアのように分かりやすい照明石を使っているわけではないようだ。
それっぽい設備が天井に付いていない。
壁にもなかった。
入った時に、もっとちゃんと確認しておけばよかったな~。
「さて、と」
化粧は落とした。
服も……、準備されていた物を補修した。
サイズはちょっと大きめですね。
いや、わたしが平均女性より小さいのは分かっているのだけど、事実として、大きかったのだ。
具体的にはLLサイズよりも多分、大きい。
わたしよりも背の高い水尾先輩や真央先輩でも、幅が余るだろう。
その中でも、丈や袖が短めの、腰を絞れる服を選んだ。
魔法で調整することも考えたけど、これはわたしの服ではない。
ロットベルク家の物だ。
虫食いを直すなどの補修はともかく、サイズ調整はあまり良くないだろう。
「それでも、どうにもならないのがこの空腹感」
ぐぐ~っとお腹が鳴った。
こんなことなら、護衛たちに保存食をこっそり分けてもらっておくべきだったと今更ながら思う。
彼らがいなくてもなんとかなると楽観視していたのが、わたしの敗因だろう。
人外魔境ではなく、人が住むところに行くのである。
だから、大丈夫だと思い込んでいたのだ。
何のことはない。
この世界に来て、三年以上も経っているというのに、わたしは一人では何もできないままだった。
いや、彼らに甘えていた分、前よりももっと何もできなくなっている気さえしてきた。
これは良くない。
このままでは、すぐに婚約候補の契約を破棄されてしまう。
「お腹、すいた」
最後に食べたのは、このロットベルク家に来る前の朝食だった。
そこから、昼、夕と過ぎて、気付けば夜である。
人間は水さえあれば数日は生きられると聞いたことがあるけれど、今のわたしには無理だ。
お腹がすいた。
今はそれしか考えられない。
魔法と頭を使ったせいだろう。
とにかく、いろいろな場所が栄養を求めている気がした。
「九十九……」
思わず、その名前を呟いてしまう。
呼んだところで、応えてくれる声はもうないのに。
だけど――――。
「呼んだか?」
「ほげっ!?」
背後から耳に届いた聞き覚えのある声に、思わず叫んだ。
でも、それはここにいてはいけない人の声。
「相変わらず、珍妙な声だな」
いやいやいや!
そりゃ、そんな声にもなるよ!!
「なんで、ここにいるの?」
「主人が、オレの名を呼んだから」
呼んだけど!!
確かに呼んだけどね!?
ああ、この通信珠だ。
あんな小さな声まで拾ってくれちゃったのか!!
「だが、今日だけだ」
「ぬ?」
「明日からはお前の世話をするヤツらが来るらしい。だから、ここでオレが世話するのは今日だけだよ」
今日だけなのか。
……そうなのか。
「いや、そこじゃなくて、誰かに見つかったりしたら……」
流石に不味いことはわたしにも分かる。
勿論、わたしも何らかの処罰はあるだろう。
でも、侵入したこの青年だって何らかの処罰を受けてしまう可能性もある。
「オレがそんなヘマをやらかす男に見えるか?」
見えない。
改めて口にされたら、素直にそう思えた。
わたしは自分の護衛の有能さを知っているし、信じてもいるのだ。
でも、この場合、問題はそれだけじゃない。
彼が誰にも見つかることなく、この場所に入ってきたとしても、わたしは、このロットベルク家の二男の婚約者候補として、ここにいるのだ。
だから、護衛とは言え、異性を部屋に入れるのはアウトだろう。
誰にも見つからなかったとしても、婚約者候補に対して、一種の裏切り行為だと思う。
だから、それは嫌だった。
バレなければ良いという話でもないのだ。
あの人が、わたしに誠意を持って接してくれる以上、それに応えなければならない。
それで、目の前にいる護衛の姿を見ることができなくなっても。
「メシは?」
「え? あ、食べてない」
いつものように聞かれたので、反射的に答えてしまった。
そして、わたしの答えを聞いた護衛は、分かりやすく険しい顔をする。
そのことは嬉しいのに……。
嬉しいはずなのに、どこか寂しく思えるのは何故だろうか?
「ああ、言っておくけど、オレがここに来たのはトルクスタン王子からの命令だからな。兄貴からも許可を取ってる」
「へ?」
「流石に独断じゃ、呼ばれても来ねえよ」
護衛弟が苦笑する。
「お前の世話する人間がまだいないと知って、トルクスタン王子がブチ切れそうになった」
「まあ、アーキスフィーロさまは断るつもりだったようだし、当主さまもわたしが庶民だから追い返すつもりだったみたいだからね。準備が間に合わないのは仕方ないよ」
わたしがそう答えると、護衛弟は大きく息を吐いて、何かを言いかけたがそこで止める。
「だから、お前の荷物を運び入れるという体で来たんだよ」
わたしが召喚魔法を使えないことはトルクスタン王子も知っている。
そして、わたしの私物を護衛弟が管理していることも。
だから、許されたのだろう。
身一つで来いと言われても、この世界には収納魔法やそれを召喚する術を持つ人だっている。
まさか、ロットベルク家の人たちも思わなかったことだろう。
魔力が強いのに、貴族じゃなくても使える一般的な魔法である召喚魔法が苦手なんて。
早急に、これをなんとかしないと、もしかして、生活そのものが難しいかもしれない、と今更ながらわたしは思ったのだった。
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