悪趣味な部屋
「ここが俺に与えられた客室か。一応、従者が控える部屋も備え付けられているようだな」
トルクスタン王子はそう言いながら周りを見渡す。
客室ではあるが、高貴な人間用に作られているようで、確かに部屋数が多い。
従者は別室に回されると思っていたが、続きの部屋となっているようだ。
それだけ、トルクスタン王子は重要な客扱いということなのだろう。
あるいは、あまり邸内をうろつかれたくないのか。
「盗聴や監視魔法の気配もなく、その類の魔法具もないようです」
兄貴が部屋の確認をする。
オレも同意見だった。
妙な気配を放つ魔法や魔法具の気配もない。
ただ……。
「この壁に張り付いた鏡は、『マジックミラー』ですね」
ああ、やっぱりそうか。
ちょっと不自然な配置に鏡があるもんな。
人間界で「マジックミラー」と呼ばれる鏡は、その名称に「マジック」と付いているが、当然ながら魔法が付与されているものではない。
魔法のような効果を持つ鏡だから、和製英語で「マジックミラー」と呼ばれているだけだ。
鏡は本来、玻璃の裏側に銀メッキなどの加工処理をして、光を反射することで、物を映し出しているのが、一般的な構造だ。
たまに、表面加工をしているものもあるが、そちらの方は数が少ないので除外する。
表面加工の方が、鏡に映る物が二重に見えてしまう二重反射が起きないんだけどな。
だが、「マジックミラー」と呼ばれているものはそれらと構造が違う。
玻璃の表面に薄い反射膜を作ることによって、暗い方から明るい方を見ると、玻璃は光が透過するために、通常の玻璃と同じように透けて見え、逆に明るい方から暗い方を見ると光が反射するために普通の鏡のように見えるようになっている。
光と鏡の反射の特性を利用した面白い構造だと思う。
いや、普通の鏡の構造を初めて知った時も、びっくりしたけどな。
兄貴は手袋をして、その鏡に触れる。
兄貴の指先と鏡面に写ったその指先は、ほぼ引っ付いた。
本来の鏡ではありえないことである。
先に述べたように、鏡は裏面に反射のための加工を施しているために、反射に少しのずれがあるのだ。
だから、鏡に接触すると、その鏡の厚さ分、正しくは、加工部分までの距離分だけの差が出る。
分かりやすく言うと、鏡の厚さ分だけ、触れた指と鏡像が接触しないのだ。
それが、ほぼ接触して映し出されていた。
これがかなりの確率で、マジックミラーと呼ばれている物であることは疑いにくいことだろう。
但し、表面加工された鏡ならマジックミラーと同様の現象が起きるので、100パーセントではないことは言っておく。
まあ、表面加工は金属の特性上、耐久性も悪くなるし、手入れも大変だから家具として使用する時にはあまり使わないだろうけどな。
「その『マジックミラー』というのはなんだ?」
トルクスタン王子が首を捻る。
「特殊加工された鏡のことですね。こちらからは、普通の鏡ですが、この嵌め殺しとなっている鏡の向こうからはただの透明な玻璃として見える構造だと推測します」
「つまり?」
「この壁の向こうからは魔法を使わずに、この部屋の内部を覗き見ることが可能ということですね」
兄貴の答えにトルクスタン王子は顔を顰めた。
「悪趣味だな」
「同意します」
トルクスタン王子は溜息を吐く。
「対策は?」
「魔法付与もされていないただの玻璃なので、物理的に布などで覆えば、解決します。鏡に自分の姿が常時映るのは落ち着かないとでも理由を付ければ問題ないでしょう」
そう言いながら、兄貴は、その「一方通行な鏡」にそれっぽい藍色の布で覆った。
トルクスタン王子はそこまで見た目を気にする人間ではない。
鏡を覗き込む趣味がない人間からすれば、十分、納得できる理由ではある。
「ところで、ユーヤ」
「はい」
「口調はいつまでそのままだ?」
ずっと気になっていたであろう、兄貴の口調にトルクスタン王子が言及する。
ここは盗み聞きされる恐れがない部屋だと言うことは既に確認済みだ。
つまり、口調を変えておく必要はないのだが……。
「トルクスタン王子殿下の従者である限りですね」
兄貴は平然と答えた。
「気持ちが悪くて、鳥肌が立つんだが?」
「慣れてください」
「いや、無理だ。お前が変えろ」
トルクスタン王子は食い下がる。
本当に嫌なようだ。
「これについては、嫌がらせの一環なので諦めてください」
「嫌がらせだと素直に認めるなよ!?」
「根が素直な人間なので」
どうやら、嫌がらせだったらしい。
そして、兄貴が「素直な人間」と発言した時に水尾さんが眉を顰めた。
だが、案外、兄貴はある程度心を許している人間に対しては素直だと思う。
さらに言えば、隠し事、誤魔化しは多いけれど、嘘は言わない。
だから、それを知っている真央さんは何も反応していないし、トルクスタン王子も否定はしなかった。
「本来の主が蔑ろにされている状況で落ち着けるほど、お行儀の良い人間ではありません」
その点においては、オレも同感だ。
すぐに動くことができなくても、この現状は看過できない。
「シオリは、ロットベルク家に認められたのだが?」
「当主たちの指示が行き届いていないようですよ? 主人は今、この場所は恐らく、使っていない使用人たちの部屋に通されたようです」
「なんだと!?」
ああ、栞が今いるあの場所は、使用人たちの部屋なのか。
客室から離されたことは分かったが、当主たちの生活領域からもかなり外れているので不思議だった。
あまり集中しているつもりはないが、離れていても栞の状態が、いつも以上に分かるのは何故だろう?
緊張しているからかもしれんな。
しかし、いつ、兄貴はその場所を調べたのだ?
兄貴もオレほどではないが、栞の位置を把握している。
あの「音を聞く島」での「嘗血」行為は、今でもその影響があるらしい。
たった一度だけの、それも滲む程度の血を舐めただけでもそれほどなのだ。
乳兄妹であるオレと栞の関係はどれほど深く、そして、長く続くんだろうな?
「すぐに、掛け合ってくる」
そう言って、トルクスタン王子は部屋から出て行った。
「最後まで確かめるのが、アイツの役目だろうに。いつまで、この家を信じているんだか」
その姿が見えなくなると同時に、兄貴が口調を戻す。
「血が繋がっている親族のことを信じたくなるのは仕方ないよ、ユーヤ」
真央さんが笑いながら、そう言った。
その辺りの感覚はオレたち兄弟にはないものだ。
血の繋がった人間は既に兄貴にとってはオレだけで、オレにとっては兄貴だけだ。
そして、信用できるかと言われたら、微妙な判定である。
仕事ぶりは信頼がおけるとは思うが、だからと言って無条件に信用できるかと問われたら、オレは首を横に振るし、兄貴も同様だろう。
兄弟でも気を許さない、寧ろ、油断ならない相手として認識している。
「先輩がトルクに八つ当たりするほどイラつくのも新鮮だが、その逆で弟の方は落ち着いてるな」
「ああ、それは私も意外だった」
この二人はオレをどういう目で見ているんだ?
未熟ってことか?
「栞が落ち着いているから、特に何も思いませんでしたよ」
使用人の部屋を宛がわれたと知る前も、知った後も、そこまで思うものはなかった。
それぐらいの嫌がらせはあるだろうと思っていたし、どちらかと言えば、ロットベルク家の当主が認めたことの方が意外だった。
それに第一令息が栞に懸想するのは完全に考えてもいなかったことだ。
「ああ、護衛弟の基準は高田の感情なのか」
「そうですね」
当人が気にしていないなら、気にならない。
もし、栞が激しく感情を揺らしていたなら、オレもこんなに落ち着いてはいられなかったことだろう。
だが、この家に来る前も来てからも、栞はずっと落ち着いている。
それならば、オレはそれに従うのみだ。
「逆に、ユーヤは、高田の待遇が気に食わないわけだね」
「当然だろう。乞われて赴けば、数々の準備不足の露呈。これで貴族を名乗れるのが不思議だ」
「先輩の場合、高田を気にしているというよりも、この家の対応の悪さを気にしている気もするんだが……」
それもあるだろう。
主人を軽んじられていることや、主人に仕えている人間の対応の杜撰さ、さらに、主人の統率力の無さが綯い交ぜになっているようだ。
「付け入るなら理想的だが、この家に主人を任せることを思えば、多少の悪感情はあって然るべきではないか?」
前半がおかしい。
いや、正直すぎるだろう。
「まあ、この状況で高田が一人なのは心配だよな」
水尾さんも溜息を吐いた。
そこで気付く。
「とりあえず、メシにしますか」
この部屋に盗聴も覗きの心配もないのなら、これぐらいは許されるだろう。
何せ、朝に食べたきりだ。
気分が落ち着かなくなるのも当然だと思う。
そして、同時に、栞は何か食わせてもらっているのだろうか?
彼女の気配が落ち着きすぎていたので、これまで気にしていなかったが、そんなことが気にかかったのだった。
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