一瞬たりとも目が離せない
黒い髪と同じ黒い瞳を持つ、この場にいる誰よりも小柄な女性。
その女性は、どれだけ自分を驚かせるつもりなのだろうか?
そして、一瞬たりとも目が離せない存在。
そんなものがこの世界にどれだけいるのだろうか?
そして、その女性は今。
「ありゃ?」
これまでにない珍しい種類の声を出していた。
いや、素が出てしまったということだろうか。
「時間は?」
「5分と、かかっていない」
「実に見事だな」
そんな会話が自分の背後から聞こえてくる。
「これは、女性王族の警護に相応しい役目を……」
「アーキスフィーロの妻となる娘にそのような役目を背負わせるな、フェルガル。何より、我が一族と縁付く者をこの国の王族に貸してやる気などない。王族が無償でくれるなら貰うまでだがな」
祖父と祖母だった。
王族に身内を渡す気はないが、それでも、王族がこちらに下りてくるなら考えなくもないというのは、不遜な考え方ではあるだろう。
他が聞けば眉を顰めるような会話をしているが、それが許されるだけの力を祖母は今でも持っているから仕方ない部分はある。
城にある「転移門」は、国内では祖母以外の人間が整備することができないのだ。
その配偶者として選ばれた祖父は、隠居の身となった今でもその忠誠はローダンセ前国王陛下にある。
長き時において、共に国を護ってきたという自負があるからだろう。
対して、他国から嫁いできた祖母は、この国の王族たちに対して酷く冷めた目を向けていることは知っている。
だが、この国ではそんな目を向ける人間は珍しくなくなってしまった。
それほどまでに、この国の王族に対する敬意は地に落ちているのだ。
そのために、兄とトゥーベル王女殿下の婚約は結ばれた。
揺らいでいる国王陛下の権威を護るために、祖父母と共に存在感が今でも強いロットベルク家と縁を結ぼうとしたのだ。
そして、今でもローダンセの王族を支えたいと願う祖父。
魔力の強い人間であれば出自は問わないという祖母。
先代と比べて影が薄いと言われているために、この国で確かな存在を示したい父。
自身が認められるためには他を蹴落とすことも厭わない兄。
それぞれの思惑が合致した結果の兄と王族の縁組であった。
「お疲れ、シオリ嬢。最速退治じゃないか?」
「そうでもないですよ。相手の出方を待っていたせいで、少し時間がかかってしまいました。わたしの最速は、瞬殺です!」
黒髪の女性はその可愛いらしい顔に似合わず、なかなか不穏なことを口にする。
これが、祖父のような猛者ならともかく、その容姿で口にされても説得力はないはずなのだが、そこには微塵も嘘を感じない。
「まあ、シオリ嬢だからな」
恐らく、自分よりもずっと彼女をよく知るトルクスタン王子殿下は違和感なくその言葉を受け止めていた。
そして、それだけの実力をこの場にいた人間全てに見せつけた以上、誰も反対はできなくなった。
祖父は身分に関係なく実力のある人間を好む面があり、祖母はずっと乗り気だった上に、先ほどの光景だ。
珍しく嬉しさを隠さない表情をしている。
そんな二人を前に、相手が庶民であるため、この話にかなり難色を示していた父も認めざるを得なくなるだろう。
それだけの力量を示したのだから。
先ほど、祖母は「5分と、かかっていない」と口にしたが、実際はもっと短い。
「瞬殺」ではないが、「秒殺」と言っても差し支えがないほどに。
父の開始の合図とともに、予想通り、兄は恥も外聞もなく、「魔封石」を彼女に向かって投げつけた。
俺の話を聞いて、彼女を魔力が強いだけの女性と決めつけたらしい。
その考えは、思考が暴走しやすい兄にしては珍しく、そこまで的外れなものではなかっただろう。
事前に、それを予測して、彼女が物理的な護りを手にしていなければ、状況は大いに変わっていたと俺も思うほどだ。
だが、その運命は変えられた。
大半の人間は「魔封石」を使われると分かっていたら、回避行動に出る。
僅かに触れるだけでも人体に影響がある魔石だ。
できるだけ近付けたくないと思うのは本能だろう。
魔封石に触れると、体内魔気の流れが阻害され、一時的に魔法が使えなくなる。
それは体内魔気の護りがなくなると同義だ。
魔法を使うことが普通の、この世界人間にとってはかなりの恐怖である。
その間、物理攻撃にも魔法攻撃にも耐えられなくなるという、そんな不安とも戦う必要はあるのだ。
だが、彼女は違った。
文字通り、迎え打ったのだ。
それを見た誰もの時が止まるほど、見事だったと思う。
一番、時を止めたのは兄だったか。
それは自業自得だからどうでもいい。
兄が彼女に向かって投げた魔封石は、昔、俺も使われたことがあるものだった。
大きさはゴルフボールよりも小さく、質としてもあまり良くないのか、触れても完全に動けなくなるほどではないが、やはり一時的に魔法が使えなくなる上、身体がかなり重くなった覚えがある。
それを、彼女はトルクスタン王子殿下より預かった棍棒のような武器で見事に打ち返したのだ。
まるで、野球と呼ばれる球技のように……と言いたいところだが、人間界という世界にいた頃の記憶を掘り起こせば、あれはソフトボールという球技の方なのだろう。
しかも、普通に振ったのではなく、両腕で強く押し返した。
動きはバントと呼ばれるものだったと記憶しているが、強く押し返されたためか、その打球、いや、打石? ……の勢いは強くなり、見事に兄の右足首に命中する。
魔石を投げた直後の姿勢だったためと、まさかそんなもので跳ね返されるとも思っていなかったために、兄はそれを避けることもできずに当たり、そのまま倒れた。
いや、服越しでも魔封石の効果が全くないわけではないために、影響を受けた可能性もあるか。
そして……。
「おやすみなさい、ヴィバルダスさま」
彼女は、倒れた兄に対しても、容赦なく、油断なく、追い打ちを放ったらしい。
兄は一言も発することが許されず、そのまま、意識を深く沈めることになったのだった。
恐らくは、無詠唱で「誘眠魔法」を使ったのだろう。
足首に当たった「魔封石」によって自身の「魔気の護り」が落ちていた兄にとっては多少威力が弱まっていた無詠唱魔法であっても、それに抗うこともできなかったはずだ。
彼女は兄が倒れる前には、その場所にいた。
移動魔法を使ったような気配はなかったから、素早く移動したのだと思う。
推測なのは、彼女が移動する姿よりも、魔封石の方に目が集中してしまったからだ。
大半の人間は、あれから目を逸らせない。
魔封石は、いつ、自分に向かうか分からない物であるためだ。
そして、触れると確実に、自分に影響を与える。
そのために、魔力を持ち、あの効果を体感したことがある人間ほど、アレからは目を離せなくなってしまうのだ。
それなのに、臆することなく前へ踏み込んだ。
勿論、その効果を体感したこともないというのもあるのだろうけど、その効果そのものは知っていた。
自分の身を護るものが一切なくなる恐怖を知っても尚、彼女は足を踏み出したのだ。
それを即座にやってのけた胆力。
そして、そこで終わらず、そのまま、きっちりと兄の意識を落とすほどの行動力と判断能力。
それも僅か十二刻以内に終わらせたのだ。
それらを見て、何も感じ入らない人間はこの場にいなかった。
同時に思う。
彼女を敵に回せば、恐ろしいことになる、とも。
その背後にはトルクスタン王子殿下。
恐らく、今回の話は単独判断ではないだろう。
つまりは、カルセオラリア王家の総意だと判断すべきだ。
トルクスタン王子殿下が連れていた者たちも普通ではない気配がしていた。
それが何かがはっきりとは分からないが、何らかの魔法具で感覚を誤魔化されている気がした以上、一般的な物差しを使わない方が良いだろう。
そして、明らかにトルクスタン王子殿下よりも彼女を気にかけていた。
元は、彼女の従者たちであった可能性が高い。
この家に来る際に、彼女は身一つで来いと言われていたはずだ。
それは私物だけでなく、身の周りの世話をする侍女を含めた従者も連れてくるなと言うことである。
この家に入るつもりならば、彼女自身の味方を引き入れさせないというのは、あまりにも酷い条件だったから。
だが、一番分からないのは彼女自身だった。
抑えられていても漂ってくる心地よい風属性の体内魔気から、シルヴァーレン大陸出身者であることは間違いない。
抑制石をいくつも身に着けていても漏れ出してしまうほどの体内魔気の強さ。
この時点で、セントポーリア、ユーチャリス、ジギタリスの王族に血縁があると考えるべきだろう。
そして、ユーチャリスもジギタリスもそこまで魔力が強い国ではないと記憶している。
だから、セントポーリア出身というのも信憑性は高い。
さらにセントポーリア第一王子殿下より身を隠す必要がある立場。
セントポーリアとはそこまで深く親交があるわけではないが、純血主義、血統主義という声は聞こえてくる。
セントポーリア国王陛下の早逝した兄君の娘だとしても、計算が合わないため、可能性が高いのは、セントポーリア王妃殿下の血筋だろう。
親子ほど年の離れた弟妹も、この世界では珍しくはない。
魔力の強さからセントポーリア国王陛下の娘である可能性も考えたが、そうなると、実の兄妹、あるいは、異母兄妹になってしまうために、世界中に手配する理由にはならない。
だが、現段階ではまだ教えてもらえる気はしなかった。
そこまでの信用を得ているとも思えない。
何より、俺は彼女を愛するつもりはないのだ。
そんな人間が彼女のことを深く知る必要はないだろう。
彼女が望むように。
できる限り、このまま心も身体も綺麗なままでいられるように、大切に護らせてもらいたいと思う。
他者に興味を持ってはいけない身でありながら、そんなことを考えている時点で、既に、惹かれ始めていることに気付いてはいるのだけど、それは厳重に封をすることにしたのだった。
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