少年の戸惑い
「護衛としては当然の反応だが、実の兄の心配はしないのか?」
黒髪の女性は呆れたようにオレに向かってそう言った。
「そ、そうだ! 一緒にいたはずの兄貴は!?」
「……本気で忘れてたのか。意外と薄情な弟だな、先輩」
「男兄弟の情なんてそんなもんだよ。逆なら俺も忘れる」
そんな声が近くで燃え盛っている炎から聞こえた。
先程のオレの乱発した魔法でも消えることがなかった魔法。
そこから見知った姿が現れる。
「……なんすか? これ?」
オレは呆然とするしかなかった。
予想通り、兄は炎の中にいたのだ。
だが、火傷どころか服や髪すら変化がなかった。
そういえば、人間界での温泉でも似たような光景を見た覚えがある。
あの時は、そこにいたのは兄ではなく、若宮だったが。
「詳しく話せば長くなるけど、少年が来る前に起こったことは大まかにまとめて2つ。高田がこっちに倒れている男をぶっ飛ばした。で、私が先輩を炎に包んだ。以上!」
「い、いや……、それだけじゃさっぱり……」
治癒魔法を自分に使いながらそう返答する。
こんな説明では何も分からない。
これって、オレの理解力がないせいじゃないよな?
「もう一つ、重大なことが抜けています。貴女の身分が栞ちゃんに伝わった。これは、今後のためにもこの馬鹿も知っておくべき事実でしょう」
「……身分?」
手足が大分楽になったせいか、思考がようやく正常に動き出した。
「ああ、そこは私にとって重要じゃないから。単に私がアリッサムの第三王女だったってだけだからな」
「は?」
働き出した思考が再び停止。
混乱していたのか聞き間違えたとしか思えない言葉が聞こえた気がする。
「私が、アリッサムの、第三王女」
言葉の意味は分かるが、納得しかねて思わず兄貴を見る。
「何を金魚のように口を開けている。そして、別に予想外の話でもないだろう。逆に気付かない方が不思議だが」
「はあ~~~~っ!?」
マジか?
マジで王女殿下!?
え?
なんで?
「い、いつから?」
「いつからって……、生まれた時からだから16年ぐらい前から?」
「……マジですか?」
「マジですよ? まさか、そんなに驚かれるとは思わなかったけどな」
アリッサムの王女殿下を名乗った人は苦笑いをする。
「え? 高田は知って?」
「先程、知ったよ。……ってか、そこに倒れているお喋りな男が勝手に言ったんだけど」
お喋りな男とやらは、物が言えぬ状態に見えるけど……、生きてはいるようだ。
「それで、ショックを受けて暴走したんですか?」
「いやその事自体はあまりショックを受けてなかった気がする」
高田は時々、大物だと思う。
オレは結構、ショックだったぞ?
「古典的な反応だったしね。……暴走したのはお前の方だろ」
「あ、あの反応ってやっぱり暴走だったんだな。でも、なんとなく、私の声って聞こえてた気がするんだけどその辺りどう?」
「あ、聞こえてました」
それもムカつくぐらいに。
「いつも、こいつの暴走は完全に意識が吹っ飛ぶではなく、自分で魔力の制御ができなくなっているような感じだ」
「そか。見た目に反して少年は理性的なんだな」
「は?」
りせ~てき?
そんなこと、言われたこともなくて、脳が理解しようとしなかった。
「完全に意識が持っていかれることの危険性が分かっていて、どこかにちゃんと自分を残してるってことだ。なかなかできることじゃない」
そんな風に褒められたこともなかった。
少しだけ、照れくさく思えてしまう。
「理性的って初めて言われたな」
「お前から縁遠い言葉だからな」
「兄貴に言われたくはない。……で、高田はなんで倒れてるんですか? やはり暴走?」
彼女に対しても念の為、治癒魔法を使ったが、外傷があるわけではないのであまり効果がなかった。
そうなると、疲労からくるものだと思うが、疲労回復系の魔法は残念ながらオレが使えない。
「暴走って言うより自動防御……。敵意に対して魔力の塊をぶつけただけだしな。さっき私がした魔気での防御が攻撃になった感じだった」
「敵意?」
「まあ、一応、こんなでも私は第三王女だからな。素性の知れない輩と接するのが嫌だってヤツがいても不思議じゃない。逆に高田が笹ヶ谷兄弟が見知らぬ人間と親しげに話していたら警戒するだろ?」
「確かに……」
よく分からん人間なら警戒はすると思う。
特に高田は無防備、無警戒すぎるから。
「でも、高田に王族の血が流れているなら私が惹かれたのも分かる気がする。それでも、本来なら会うこともなかったんだろうけど」
「へ?」
水尾さんの言葉に思わず兄貴を見ると、すっげ~変な顔をされた。
彼女にいつの間にバレたのだろう。
「うん、少年の反応は分かりやすいな。本人の意思ではない自動防御が魔気を取り繕うことなんてできるはずがないだろ。先輩がはっきり言わなくても、高田自身からはっきり出てちゃ、誤魔化しなんてできないよ」
ああ、そういうことか。
高田の魔力から判断。
それぐらいはできるだろう、魔法国家の王女なら。
「で、悪いけど、そいつも治してもらえるか? そんなヤツでも、一応は我が国の人間で、私が護らなければいけない対象なんだ」
高田に敵意を抱いたヤツ相手に……と、いろいろ思うところはあるが、正当防衛というより過剰防衛の現状。
仕方がない。
「それで、兄貴はなんで炎に包まれていたんですか?」
「俺も分からん。熱くはなかったが、精神的に居心地は悪かった」
「ああ、あれは『裁きの火』って言って、審判魔法の一つ」
「審判魔法?」
なんだそりゃ?
「裁きを与える魔法だな。有罪か無罪かで魔法の質が変わるんだ。俺も聞いたことはあったが、実際に見たのも体感したのも初めてだ」
「そんなものもあるのか」
「魔法は想像と創造さえあれば無限にできるよ。まあ、私のは有罪か無罪の裁きを与えるようなものじゃない。見た目は熱そうな炎だけど結局、幻影魔法だからね。できるのも言葉に混ざる真偽の判断くらいかな」
無限にできる……か。
魔法国家の王女殿下はいとも簡単に言ってくれる。
「なんで、そんなことを?」
「ん~、色々と気になることがあって。でも、分かったから良いや」
「あの質問だけで十分だったかい?」
「十分とは言い難いけど……、確認したその意味はあったと思う」
「言葉の確認って……、随分、信用がないんだな、兄貴」
「そう思わせた心当たりもあるから仕方ない」
兄貴は肩を竦めた。
本当に、一体、何をしでかしたんだ?
「……心当たり……ねぇ」
しかし、水尾さんはどこかぼんやりと納得していないような不思議な表情をしている。
もしかしたら、思っていた結果とは違ったのかもしれない。
「ま、いっか。それよりこの場をなんとかしよう。さっきも言ったが、少年、この男を回復できるか?」
そう言われて、先程から倒れている名前も知らない男を見る。
ピクリとも動かないが、やはり、生きてはいるようだ。
そして、怪我は一つも見当たらなかった。
通常、激しい風に吹き飛ばされた場合、魔法攻撃ではなくても地面に接触する時はそれなりの衝撃を受けるはずだ。
しかも、ここは柔らかい地面ではなく小石がゴロゴロしていており、草木も生えている整備されてはいない村外れ。
いくら頑丈な魔界人でもかすり傷一つないのは不自然ではある。
実際、あの温泉で紅い髪の男は、高田からの攻撃を受けた際に、それなりの傷を負っていたようだったし。
そこで、一つ思い当たったことがあった。
記憶が封印されていても魔法の使い方……、魔気の操り方が変わっていないなら、その部分が昔のままでもおかしくはないのだ。
相手に対する攻撃ではなく自動防御なら尚のことかもしれない。
でも、それを現時点で水尾さんに伝えて良いかは判断に迷うところだ。
彼女は確かに知識があるが、それが必ずこちらの助けになると決まっているわけではない。
それに現時点で高田に魔法の記憶がない以上、あの頃と同じような魔法を使っているとは判断できない。
偶然か特性かがはっきり分からない以上、「この現象はこれで間違いない」と断言されても自分自身が混乱するだけのような気がする。
ここは誤魔化そう。
怪我はなくても、治癒魔法自体は可能だし。
「傷は治っても意識が回復するのは遅いかもしれんな。彼女の魔気に当てらている可能性もある」
オレの考えを読んだのか、兄貴がそんなことを言った。
魔法の形を作らなくても、他人の魔気は合う、合わないはある。
空気の種類が違うとでも言うのだろうか。
極端な話、同じ魔気でも人によっては居心地よく感じたり、毒ガスのような症状が出たりと本当に多種多様反応に分かれるらしい。
そして、魔力が強いほど魔気の濃度も変わる。
つまり、気体の種類が濃密になる。
実際、この男が倒れているのもそれが原因だろう。
「それはそうだ。油断していたとはいえ王族の魔気の塊を直接食らってるんだ。大きな外傷がないだけでも奇跡だろう。王族の魔気の塊ってのは圧縮されすぎて空気の大砲のようなものにもなるからな」
水尾さんは納得してくれた。
基本的にこの人は素直なんだと思う。
「じゃあ、これ以上ここにいてもどうしようもないか」
そんな言葉を言って、オレたちは戻ることにした。
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