アウト宣告
若い男性から振り上げられた手は、下ろされることがなかった。
「何のつもりだ? ヴィバルダス」
トルクスタン王子がその若い男性の腕を止めてくれたからだ。
同時に、アーキスフィーロさまによって、腕を引かれ、わたしの身体は後ろに下げられていた。
その弾みで体勢が完全に崩れてしまっている。
やはり、体幹の鍛え方が足りない。
法力国家の王女殿下曰く、どんな局面であっても、一度作った体勢は簡単に崩すなとのこと。
どうやら、「魔気の護り」の発動を我慢しつつ、体勢を崩さないように練習しなければならないようだ。
今後もこんな場面ってありそうだからね。
そして、やはりこの若い男性がアーキスフィーロさまのお兄さんだったらしい。
「王子こそ、何のつもりだ? この女は挨拶すらしなかった。高貴なる俺を無視したのだ。この国では、そんな女には折檻をしても良いと決まっている。邪魔をするな」
折檻……、激しい体罰のことだね。
躾という言葉ですらなかったことはよく分かった。
この国の女性はこんな扱いを受けているのか。
「このシオリ嬢は、まだこの国の人間ではない。そして、お前の考えはこの国の法ですらない」
トルクスタン王子の冷えた声。
アーキスフィーロさまの扱いや言動から多少、荒れることは考えていたけれど、まさか、始めの挨拶段階でこんなことになるのは、ちょっと予想外過ぎた。
この話は、なかったことになりそうな予感すらある。
それはちょっと困るな~。
せっかく、事前にいろいろと、アーキスフィーロさまと話をしておいたのに、無駄になってしまうではないか。
「この国に来た以上、この国のやり方に従うのが道理だ。甘っちょろい王子は黙っていろ」
前半は納得できる。
その国に入った時点で、ある程度はその国の規則に従うことは必要だと思う。
だからこそ、わたしも法律と規則、習慣を覚えてきたわけだし。
まあ、やってはいけないことを中心に覚えたから不足はあると思うけど。
でも、後半は無理だな。
トルクスタン王子は、目の前で女性に対して振るわれる暴力を許すような人間ではない。
だからこそ、「ゆめの郷」や「音を聞く島」での行動に繋がっているのだと思っている。
「そろそろ止めよ、ヴィバルダス」
どこか呆れたような当主さまの声。
でも、制止するなら、もっと早めにするべきではないだろうか?
お宅のお子さま、他国の王族に対して、かなり非礼な態度ですよ?
これってトルクスタン王子が温厚でなければ外交問題になりかねないほどのことだと思う。
「しかし、父上!! このままでは当家が侮られてしまいます!!」
いや、それ以前の問題じゃないかな?
その原因を作り出している当事者が言って良い台詞ではないだろう。
「それ以上、お前が率先して、醜態を晒すな」
ああ、当主さまは先ほどまでの行動が「醜態」であることを認めているのですね。
その点は救いがある気がする。
「醜態? 俺のどこが醜態だと言うのですか!?」
全てかな?
「他国の王族より先に口を開くな。せめて、この娘のように許可を取れ」
1、2死の二重殺。
主審の言葉は絶対である。
「王子? カルセオラリアが中心国だったのは昔の話です」
「カルセオラリアは今も国家として独立している。そして、トルクスタン王子殿下はそこの王族である。お前などよりはずっと高貴だ」
3死宣告。
本来なら、一回表終了である。
できれば、選手交代をして、そのまま引っ込んで欲しい。
カルセオラリアは五年間、中心国保留状態で、確かにその間、代行している国があるけれど、国自体は健在だ。
だから、トルクスタン王子は「王子」のままである。
ヴィバルダスさまも口にしていたのに、気付けば「殿下」という単語が付かなくなっている。
ここまで分かりやすい侮りならば、トルクスタン王子の方はやりやすいだろう。
見えている悪意よりも隠された害意の方がその対応は難しいから。
そして、思ったより、当主さまはちゃんとした方っぽい?
これまでの話を聞いた限りでは、ヴィバルダスさまと似たような感じだと思っていた。
……違うな。
ヴィバルダスさまが思っていた以上に酷かったから、相対効果でマシに見えているだけかもしれない。
結論を急ぐ必要はないのだ。
もう少し、見ていよう。
わたしに人を見る目が足りないのは分かっていることだから。
尤も、ちょっと人を観察したぐらいで簡単に身に付けることができるのなら、苦労はないだろうけどね。
「連れてきたトルクスタン王子殿下やアーキスフィーロが紹介するよりも先に娘に声をかけるな。いくらなんでもがっつきすぎだ」
さらに、1死追加されました。
そして、個人的には当主さまの言い方もどうかと思う。
先ほどの発言は、がっつくとか、そんな問題じゃないよね?
これは、アレかな?
この国の人と、わたしの感性が違い過ぎる!!
そして、わたしとのお見合い相手が、アーキスフィーロさまだったことはかなりの幸運だったのかもしれないとも素直に思える。
少なくとも、極端な感覚の違いは今のところ感じていないから。
話が通じるって、本当に大事なんだね。
「アーキスフィーロの婚約者になってくれるような娘に対して、品のない言葉を使うな」
この点に関しては、どちらにも1死を宣告したい。
当主さまはアーキスフィーロさまを下に見すぎているし、ヴィバルダスさまの言葉はこの国の殿方視点でもやはり品がない種類のものだったらしい。
「何より、トルクスタン王子殿下はその娘に手を付けていないと言っている。だから、娼婦ではない」
……その発言も多分、品がない言葉だと思うのですよ?
ああ、うん。
当主さまもかなり良くない方だった。
せめて、もう少し、取り繕って欲しいと思ってしまうほどには。
トルクスタン王子もわたしも他国の人間である。
父子揃って、外部の人間に、恥を晒している自覚はないのだろうか?
なんとなく、座っている前当主夫妻を見ると、前当主さまは表情が読みにくい顔をしていた。
そして、その横にいる前当主夫人は扇を口元に当てながら目を細めているため、微笑んでいるようにも見えるが、実際は笑っていないのだろう。
それを見て、なんとなくワカを思い出した。
貴族の女性に扇は必須のようである。
「この娘は、トルクスタン王子殿下が一年以上も婚約者を見つけられない愚かなアーキスフィーロへお情けとして探してくださったのだ。そこは感謝すべきだろう」
見下すってレベルじゃなかった。
一応、アーキスフィーロさまの父親なんだよね?
そのアーキスフィーロさまはわたしに背を向けているため、その表情が見えない。
この人は、この家で、ずっとこんな風に言われてきたのだろうか?
そう思うと、胸が痛くなる。
「父上。やはり婚約者など、アーキスフィーロには不要だということではありませんか?」
「このロットベルク家にそんな恥が許されると思うのか?」
そこで怒るの?
なんかいろいろおかしいよね?
だが、これがローダンセの感覚なのか。
ロットベルク家独自のものなのかが分からない。
だが、前当主夫人の表情を見る限り、この二人の会話が一般的とも思えない。
尤も、前当主夫人はカルセオラリア出身だから、この国の人間の感覚とも違う気はするのだけど。
「他国の王子のお下がりを引き受けることが正しいとは思いません。娼婦ではない? トルクスタン王子殿下はスカルウォーク大陸の『ゆめの郷』に出入りするような人間ですよ? それなのにこの娘に手を付けていないなど、信じられますか?」
トルクスタン王子が「ゆめの郷」に出入りしていたことは事実だ。
だが、その行為自体は咎められることではないし、ここでそれを口にする必要などないだろう。
そして、その発言はわたしを貶めているように見せて、トルクスタン王子も貶めている。
それを何故、この場にいる誰も止めようとしないのだろうか?
この部屋に入って、ほんの僅かな時間だというのに、ロットベルク家はかなり問題のある家だと言うことはよく分かった。
少なくとも、自分の倫理……道徳? とはちょっと違うものをお持ちのようだ。
さて、わたしはこれからどうすれば良いのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




