互いの事情
「つまり、お互いに数年、婚約期間が必要と言うことですね?」
黒髪の御仁がそう微かに笑ったのを見て、わたしはそこまで悪くない取引として認識されたと思った。
「その通りです」
だから、わたしも笑って答えた。
尤も、これはわたしの独断によるものである。
だから、今、背後にいる雄也さんがどう受け止めているかは知らないし、後でこれを知った九十九やトルクスタン王子がどう受け止めるかも分からない。
いや、始めはちゃんと婚約者候補として振舞うつもりだったんだよ?
でも、始めから「妻として愛することはできない」って言われたら、普通に婚約者候補になるのも難しくない?
それに、この様子だと、アーキスフィーロさまは「婚約者候補」すら、受け入れるつもりはなかったみたいだ。
体内魔気の確認のために魔法を使われた辺りから、そんな雰囲気がひしひしと伝わってきた。
だけど、考えて欲しい。
ここで、わたしを断ったとしても、第二、第三の刺客が次々と現れるだけである。
いや、高位の人なのだから、既にわたしの前に幾人もの刺客が放たれている可能性もある。
それなら、条件が良いと思わせておいて、わたしで妥協してもらった方が良い。
アーキスフィーロさまの誕生日について、日付は覚えていないけれど、確か、秋だったと記憶している。
人間界で生誕日を誤魔化していない限り、もうすぐ19歳だろう。
そうなると、婚約期間は六年ぐらいだろうか?
こちらとしても、今回の申し出は別に断ってもらっても構わなかったのだけど、わたしもできるならば条件が良い方が良いのだ。
こちらが我慢ばかり強いられるというのは流石に嫌だった。
その点、アーキスフィーロさまは、他国の王族からの要請も断れるほどの立場である。
それだけで、わたしとしては大助かりなのだが、それ以外にも良い点がつらつらと上げられる。
既に面識があるのは強い。
全く、相手のことを何も知らない状態から関係を一から構築するのって、大変だよね?
でも、この世界のことを何も知らなかった中学時代の、素のわたしを知っているのだ。
これだけで、無理がかなり減るだろう。
最低限の礼儀は必要だと思うけれどね。
そして、割と重要なのは、わたしと会話ができることだ。
ローダンセは男尊女卑の文化だと聞いていたのに、女であるわたしの意見を切って捨てない。
ちゃんと話を聞いて、思案してくれる。
これって、かなり大きい。
一番、心配していた女だと見下される様子は今のところ、皆無だ。
寧ろ、気遣われている感が強い。
表情は変わりにくいけど、想像していたよりもずっと言葉を口にしてくれる。
つまり、そこまで大きな欠点は今のところない。
勿論、長く付き合えば、お互いの欠点は見えてくるとは思う。
有能なのに、実は片付けが苦手とか、そんな小さなことも知る機会があるかもしれない。
それでも、わたし自身が完ぺきではないのだから、相手に我慢をさせてしまう方が格段に多いはずだ。
そして、何より大事なのは、お顔が良いことである。
どうせ、近くにいるなら観賞用として顔の良い人の方が好ましいと思うのだ。
暫くは緊張するかもしれないけれど、わたしの周囲にはもともと顔の整った人が多かった。
いつかは慣れるだろう。
アーキスフィーロさまの雰囲気に、嫌悪を抱くこともない。
結構、神官たちには多いのだ。
声を掛けられるだけで、いや、見られるだけでも、鳥肌が立つような殿方は決して少なくなかった。
あの元「青羽の神官」の時のような感覚があるような神官は流石にいなかったけれど、神官たちから触れられたことまではないから本当に違うかどうかは分からない。
「聖女の卵」の時は、神官たちが近付かないように、恭哉兄ちゃんたちが護ってくれていたからね。
因みに高田栞の時も、そんな雰囲気の神官たちを何度か目にしたけれど、気付けば大聖堂からいなくなっていた。
それに、アーキスフィーロさまがわたしを愛さないと言い切っている点も別に悪くない。
心を寄越さないくせに、身体だけは寄越せという人でなくて逆に良かったとすら思うほどである。
殿方には多いらしいからね。
互いに仮面夫婦……、違うな、仮面婚約者なら、表面だけ仲良くしてくれるならば、何も問題はない。
「俺にとっては良い部分しかない気がしますが、高田さんは本当にそれで問題ないのでしょうか?」
わたしを気遣うような言葉。
うん、この人は性格も悪くない。
「わたしも良いことしかないから問題はないですよ?」
だから、こう答える。
「尤も、細かいことについては、もう少しお話をしたいとは思います」
話し合い、考えの摺り合わせは大事だ。
お互いに譲れない線もあるだろう。
「それは当然ですね」
アーキスフィーロさまも納得してくれたようだ。
でも、まさか「当然」と言ってくれるとは思っていなかったな。
やはり、この人からは女性を見下す気配を感じない。
「でも、その前に……。アーキスフィーロさまは、わたしをあなたの婚約者候補として、認めてくださいますか?」
これはしっかり確認しておかなければ!
アーキスフィーロさまは、もともと気が進まない様子だったのだから、わたしの勢いに流されてしまっているだけかもしれない。
「婚約者……ではなく、候補のままでよろしいのですか?」
「はい。わたしは他国から来ているために、このロットベルク家に受け入れられるまでに時間が必要かと思われます。それならば、一年ほど猶予を置いて、アーキスフィーロさまの婚約者にしても問題がないと判断されてからでも遅くはないでしょう」
六年ほどすれば、解消する婚約ではあるが、その期間の内、始めの一年は様子見に使っても良いとは思う。
婚約を結んでしまえば、破棄にしても解消にしても、手続きが少し面倒になるだろう。
でも、候補なら、その手間がいらない。
口約束の婚約と変わらないのだ。
それならば、いつでも、解消できる。
「アーキスフィーロさまがわたしと一緒にいることが耐えられない! ロットベルク家としてこんな嫁、認められるか!! ……と、なった時のためですね。一年もあれば、ある程度、わたしという人間の評価はできると思うのです」
尤も、婚約してから分かることもあるだろうけど、何もない状態よりは判断材料ができると思うのだ。
一年も化けの皮を被り続けるって大変だしね。
少なくとも、わたしはできる気がしない。
「それに、アーキスフィーロさまは魅力的な男性なので、そう遠くない未来に、わたしよりももっと良い女性が現れるかもしれません」
わたしが気に食わなければ、当主と先代当主夫妻は、他の女性を探すと思う。
そして、ここまで話をした限りではあるが、アーキスフィーロさまは、悪くないお人柄である。
確かに国内で探すのは難しいかもしれないが、国外なら見つけることは可能だろう。
気にしている魔力については魔法国家の王女殿下たちに相談すれば良いし、魔眼が本当に精霊族由来のモノだとしたら、精霊族について詳しい人間に解決法を確認することだってできるのだ。
そうなると、選択肢は今よりも広がるだろう。
「ですから、一年の間は、『婚約者候補』として扱っていただければと思います」
「高田さんの意思は承知しました。では、暫くは『婚約者候補』として扱わせていただきましょう」
良かった。
ちょっと無理矢理感が強かったけれど、アーキスフィーロさまの方は、納得していくれたようだ。
「尤も、高田さんの出身国から要請が来た時は、すぐに、婚約を結ぶという形でよろしいでしょうか?」
「それは助かります」
寧ろ、望むところだ。
本当に有難い。
そして、再会して間もないというのに、護ってくれる気でいてくれたことを嬉しく思う。
「いえ、助けられたのは、俺の方ですから、これぐらいは容易いことです」
ぬ?
アーキスフィーロさまが何故か、わたしの前に跪いたよ?
「シオリ嬢。貴女のその慧眼と叡智に心惹かれました。六年間という短くない時間を婚約者候補としてこの俺に預けてください」
さらに、そんな求婚のようなお言葉まで頂戴してしまった。
いやいやいや、アーキスフィーロさまはちゃんと「婚約者候補」って言ってくれている。
だから、これは「求婚」とはちょっと違う!
わたしがワタワタしていると……。
『右手を差し出して』
背中から聞こえた小さな声。
それに従って、わたしは右手をアーキスフィーロさまの前に出す。
アーキスフィーロさまはその手を取って、わたしの指に軽く口付けた。
驚きから出そうになった悲鳴をなんとか呑み込む。
「これから、よろしくお願いいたします、婚約者候補殿」
「こ、こちらこそ不調法な身でご迷惑をおかけするかと存じますが、よろしくお願いいたします」
そんな言葉を何とか紡いで、わたしは、無事、アーキスフィーロさまの婚約者候補となったのだった。
この話で111章が終わります。
次話から第112章「婚約者候補」です。
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