互いの紹介
人間界でもそうだったけれど、この世界でも礼、お辞儀や挨拶の仕方は国によって異なる。
右手首に左手を添えて頭を下げるのが、ローダンセの敬意を込めた礼。
女性はさらに膝を折るというある意味、自身の体幹が試されるものだった。
因みに、その逆で左手首に右手を添えて頭を下げるというのは、相手を馬鹿にしている礼らしい。
ちゃんと頭を下げてやっているのだから、それで良いだろ? ……と、いう意味になるそうだ。
最初にこの屋敷の扉を開けた人は、応対時にそっちの礼を選んだ。
つまり、トルクスタン王子を馬鹿にしたということになる。
明らかに下の者からのその扱いは、どちらかというと温厚に位置するこの王子殿下でも怒るだろう。
この方は、薬を作ることが好きだが、その原料となる植物、鉱物その特徴を覚えるのが何故か苦手というある意味、致命的ともいえる弱点をお持ちである。
その結果、意図しない効果、効能を持つ新たな薬がこの世界に誕生するのだから、なんとも言えないらしいのだけど。
加えて、独特のリズム感と音感をお持ちであるため、音楽に関わることについては、真央先輩から「音痴れ人」と言われるほどである。
それでも、地頭が悪いわけではないし、王族としての教養は身に着けている。
つまり、他国の習慣、礼儀作法を知らないほど無知な人ではないのだ。
それはさておき、先に口を開くことを詫びながら、わたしは目の前にいる黒髪の青年に右手首に左手を添えて膝を折りながら頭を下げた。
「ご無沙汰しております、アーキスフィーロさま」
そう申し添えながら。
「シオリ嬢?」
トルクスタン王子が不思議そうな声を出す。
「貴女は、アーキスと面識があったのか?」
どうやら、雄也さんはそのことを伝えていなかったらしい。
「会うまでは自信がありませんでしたが……」
頭を下げた状態で答える。
だから、彼らが今、どんな顔をしているかは分からない。
うん。
ワカにこっち方面の体幹を鍛えられていて正解だったと思う。
こんな無理のある姿勢でも、わたしの身体は震えなくて済むから。
「アーキス! シオリ嬢の頭を上げさせろ。このままでは話にくい!!」
ようやく、そのことに気付いたトルクスタン王子が叫んだ。
「ああ、そうか」
少し、ぼんやりした返答の後……。
「高田さん、顔を上げて欲しい」
アーキスフィーロさまはそう言った。
どうやら、向こうもわたしが同級生だったと気付いてくれたらしい。
そして、目上の方から許可が出たなら、わたしは顔を上げることができる。
顔を上げると、またあの黒い瞳が目に入った。
口数が少なく、どこかぼんやりした口調ではあるのに、その瞳は得物を射抜くかのように強い輝きを持って見据えている。
―――― そういえば、弓道部だったっけ
わたしもぼんやりと思い出す。
中学で弓道部がある学校は少ないという。
でも、わたしたちの学校には当たり前のように弓道場があって、自然だった。
考えてみれば、ここは弓術国家ローダンセだ。
この世界にはない「弓術」があると知ったために、取り入れたくなったのだろう。
そうなると、あの部員たちは、ローダンセの人間であったのかもしれない。
尤も、わたしはこの世界の「弓術」を見たことはない。
精々、雄也さんが持っている「魔法弾きの矢」というのを見たぐらいだ。
だが、あれは、形状こそ矢ではあるけれど、その発射の仕方は、少年漫画で見たことがある対戦車型ロケット弾に近いと思う。
矢はともかく、弓、どこ行った!?
だから、あれは「弓術」とは認めない!!
「なるほど……。お前もシオリ嬢を『タカダ』呼びする仲なのか」
水尾先輩と真央先輩は、わたしのことを「高田」と呼んでいる。
今でこそ九十九は「栞」と呼ぶようになったが、トルクスタン王子と会った頃はわたしのことを「高田」と呼んでいた。
いや、トルクスタン王子のいるカルセオラリアにいた同級生たちもわたしのことを「高田さん」と呼んでいたか。
つまり、わたしに対して使う言葉として、初めて聞く単語ではないために、トルクスタン王子も察したらしい。
「面識があるなら、話が早い」
トルクスタン王子がわたしの背を押す。
「このシオリ嬢が、俺が知る限り、自信を持っておすすめできる最高の女性だ」
いや?
もっと良い女性は山といると思いますよ?
でも、見合い相手としてお勧めする以上、ある程度のリップサービス……、違うな、謳い文句? ……は、必要だろう。
ちょっと過剰な気もするけど。
そう思って、反論は抑えた。
「そして、シオリ嬢。この不愛想で可愛げのない男が、アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルクだ。俺から見ると従甥に当たる」
トルクスタン王子?
アーキスフィーロさまの紹介の方も、もう少し頑張ってくださっても良いのですよ?
どうも、トルクスタン王子もそこまでこの話を纏めたいと思っていない気がするのは気のせいか?
さて、この二人。
カルセオラリア国王陛下の妹……、王妹殿下に当たる人が、アーキスフィーロさまの祖母という関係だったはずだ。
だから、従兄妹の子ってことだよね?
その逆で、アーキスフィーロさまから見たトルクスタン王子は従伯父になるんだっけ?
トルクスタン王子のこれまでの発言から、ローダンセやロットベルク家にいろいろと物申したいことがあるのは分かっている。
でも、アーキスフィーロさまのことはどちらかというと可愛がっている親戚ポジションのように見えた。
いや、実際、親戚なんだけどね。
そのアーキスフィーロさまはわたしをじっと見つめている。
トルクスタン王子の言葉にもこれといった反応はなかった。
だから、わたしも見つめ返す。
まるで睨めっこのようだと笑いたくなるが、我慢した。
睨めっこなら、笑ったら負けだからね。
「アーキス、お前からも何か言え」
沈黙を破ったのは、トルクスタン王子だった。
わたしはアーキスフィーロさまより身分が低いため、こちらから口を開くのはあまり好ましくない。
それでも、先にお声掛けしたのは、顔がよく似た別人ではなく、間違いなく人間界では同級生だったことを伝えたかっただけだ。
そうしないと困惑しちゃうだろうからね。
そして、トルクスタン王子の従者となっている、九十九や雄也さん、水尾先輩と真央先輩に関しては口を一切、開かない。
目立つことを避けるため……らしい。
でも、トルクスタン王子の立場上、従者がいないわけにもいかないので、無口な仕事人たちという状態になっている。
いや、先ほどから、水尾先輩辺りから何度か、不穏な熱気はあったのだけど、それは親しいから気付く程度の変化だった。
いつもなら容赦なく突っ込んでいるはずのトルクスタン王子の言動にも、彼女たちはよく耐えていると思う。
そんな理由から、アーキスフィーロさまから話しかけていただかなければ、わたしも会話のしようがないのである。
だが、実は、予想通りのことではあった。
アーキスフィーロさまが本当にわたしの知っている同級生なら、必要以上に話すことはしないだろう。
だから、無言の時間は多くなるだろう、と。
共通の話題はあっても、向こうからその会話を膨らまそうとはしないとも思っている。
始めから、予想していたことなのだから、わたしは別に問題なかった。
トルクスタン王子から促された後も、暫く、アーキスフィーロさまはわたしを黙って見つめていたが、一瞬だけ下を向き、再び、顔をこちらに向けた。
「高田さん」
「はい」
「ここに来た以上、トルクスタン王子殿下からもいろいろ吹き込まれていると思いますが……」
そこで、少しだけ、言葉を止めて……。
「私は、貴女を妻として愛することはできませんが、それを承知していただけますか?」
そんなことを口にしたのだった。
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