正しいダンスの距離
「思ったよりもくっつかなくても踊れるもんなんだね」
正直、ワルツってもっとピッタリ、ベッタリと張り付くものだと思っていた。
でも、九十九と身長差があるためか、意外と密着というほどではない。
腰の一部はくっ付いているし、手も握り合っているし、背中をしっかり支えられてもいるけど、互いの身体は少しだけゆとりがある。
握っている手も、移動魔法を使う時のようにがっしり握られてはいない。
「もともとホールドは、男女の立ち位置が少しずれているからな。完全にくっつかなくても踊ることはできる。だが、互いの動きに自信があるなら、くっついた方が一体感は出るとは思うぞ」
確かに完全に張り付いていたら動けないだろう。
それでなくても、相手の足の位置が気になるのだ。
「あと、王族で流行るようなダンスって、メヌエットみたいな宮廷舞踊かと思っていたけど、違うんだね」
メヌエットもワルツと同じ4分の3拍子だったと記憶している。
でも、ローダンセで流行っているのは、ワルツの方らしい。
「それについては、人間界からの輸入品だからじゃねえのか? 近年の社交ダンスは、スタンダードとモダンに分けられているが、その中にバロックダンスは入っていなかったと思う。使われている曲も人間界のクラシックや映画音楽だ」
時々、九十九が口にする「ボールルームダンス」とは、社交ダンスのことらしい。
わたしはずっと、社交ダンスだと思っていた。
「まあ、確かにメヌエットは、17世紀頃のフランス、太陽王時代のものだからね」
世界史は得意じゃないけれど、ルイ14世は、最初にメヌエットを踊ったという話があったと記憶している。
しかも、その時、太陽神に扮装したという話だったはずだ。
音楽の授業でそれは聞いた覚えがある。
でも、今にして思えば、太陽神にコスプレしてダンスをしたから、後世まで「太陽王」という名前で呼ばれるとか、当人は複雑な話なのではないだろうか?
「でも、なんでそんなものを取り入れようと思ったんだろうね?」
確かに剣と魔法の世界で舞踏はそこまで異質な話ではない。
だけど、これまでの国では聞いたこともなかった。
その一因として、この世界では楽器を演奏できる人間が少ないことが上げられていたはずだ。
「見た目が派手だし、社交しやすいからじゃねえのか?」
「踊れる人はそうかもしれないけれど……」
踊れない人もいると思うんだよ?
それに社交なんて、会話するだけで十分だと思うのだ。
「あ~、お前にも分かりやすく言えば、合コンがしやすいからだろ」
「合コン。えっと、合同コンパニオンの略だっけ?」
接待とかそういう意味だった気がする。
「惜しい。合同交際の略だな」
カンパニーって株式会社じゃなかったっけ?
歴史漫画で読んだ気がする。
そして、九十九の発音が良すぎて、「コンパニー」とは聞こえなかった。
しかし、「合コン」なんて、漫画の世界だけだと思っていたけど、違うようだ。
「つまりは男女の交流会がしやすいってことだよね?」
人間界で言う「合コン」は確か、男女の親睦会だったはずだ。
お酒の席で騒ぐイメージもあるけれど、出会いを求める話が多かった気がする。
「これだけ密着しているからな」
言われてみれば、九十九はそこまでひっついてはこないけれど、やりようによっては、ベッタリくっつくことも可能な距離だ。
そんなことを、わたしは足を動かしながら考える。
「実際、ダンス講師の野郎の方は、お前にくっつこうとしやがっただろ?」
「ぬ?」
確かに、あの男性講師に最初、教えてもらう時に、引き寄せられた覚えがある。
それを、雄也さんが止めたのだ。
わたしは、アレが普通の「ワルツ」の距離だと思っていたから、引き寄せられたことに対して何も思わなかったけれど、雄也さんの話では違うらしい。
接触は一部。
全体でべったりくっ付く必要はないそうだ。
少なくとも、人間界では距離を計ることができていない下手なホールドで、慣れない初心者相手では、身体が接触しすぎて思うように動けないはずだとも言っていた。
雄也さんの話に、ダンス講師たちもいろいろと思うところがあったらしく、始めはどちらが指導者か分からないような話をしていたのだ。
そして、雄也さんが言う正しい距離とやらで、なんとか教えてもらいながらも踊ることができた。
「一昔前にあったディスコのチークダンスじゃねえんだから、あんなにひっつく必要はねえんだよ」
「ああ、『チークタイム』ってやつだね。伯父さんが持っていた古い少年漫画で見たことがあるよ」
あれは薄暗くなった空間で男女が凄くべったり引っ付くものだったはずだ。
そのドキドキ感がその漫画でも描かれていた。
確かにほっぺたがひっつくような、内緒話ができそうな距離では、足運びの忙しいこのワルツは上手く踊れない気がする。
「あの基本姿勢が主流なら、合コンの目的……、男女の仲を深めることは可能だろ?」
「おおう」
なるほど。
さっき言っていたチークタイムみたいなものか。
男女が仲良くするための、社交ダンス。
いや、それって社交って言うよりも、お見合いダンスなのではなかろうか?
まあ、交流と言えば、交流なんだろうけどさ。
ちょっと社交ダンスの目的からずれている気はする。
「そうなると、目的が目的だから、そこまで本格的な踊りでもなさそうだな。こうやって、話しながらでもお前は踊れているから、大丈夫そうだ」
「いや、結構、必死だよ?」
漫画でよくある足を踏むことが避けられているのは、九十九の回避能力のおかげだと思う。
わたしは時々、ステップを踏み間違えるのだ。
まだ覚えていない証拠である。
「少なくとも、トルクほど足を踏まねえし、水尾さんと真央さんほど下も向いてねえ」
「それは九十九のおかげだね」
ワルツは意外とお互いの顔を見ないらしい。
正しくは、女性が男性を見ない。
基本、右か左に顔を向けている。
男性は女性に顔を向けているのに不思議だ。
そして、漫画で見るような宮廷ダンスとはこの辺りが違う気がする。
「ただあの講師たちの踊り方を見ていると、人間界のスローワルツとも少し違うな。もっと互いの顔を見ているし、動きも大人しい」
「それは雄也さんがやっていたのが、本格的すぎるんじゃないかな?」
「……と、言うよりも、この世界にソレを持ち込んだ人間が、そこまで本格的にやっていなかったか。あるいは、自分が踊りやすいように改造したか……だな」
それはあるかもしれない。
もしくは、自分にとって都合が良いように踊り方を変えているとかだね。
「まあ、どちらも踊れるに越したことはない。どうせ、お前が踊る時に、オレや兄貴は傍にいねえんだ。今のうちしっかり叩き込んでおけ」
「ほ?」
今、なんと?
「ローダンセに行けば、身分の問題から、オレや兄貴が公式の場でお前と踊れるはずがねえだろ?」
「わたしも公式的な身分はないのだけど」
「お前は貴族の婚約者候補だろ? ローダンセに行けば、オレたちはお前に張り付けなくなる」
それは雄也さんからも聞かされている。
でも、そうか。
こんな風に踊れなくなっちゃうのか。
そして、別の人と踊る?
さっきのダンス講師の人みたいに引き寄せられて、べったりな距離で?
それも、九十九や雄也さん以外の男性と?
「フォークダンスみたいに、次々とパートナーチェンジとかはあるのかな?」
「交流が目的なら、あると思うぞ。フォークダンスほど頻繁ではないだろうけどな」
そこで、九十九は少し考えて……。
「だが、その辺の作法とかは事前に知っておいた方が良いかもしれん。もしかしたら、婚約者とか特定の相手がいる時は、他の人間と踊ることができないという決まりがあった時が困る」
そう言った。
うぬう。
他国の文化に触れる時はいつも戸惑うけれど、今回の戸惑いや不安はこれまでにないほどだと思う。
九十九と雄也さんが傍にいない。
雄也さんは陰ながら護ってくれるとは言ってくれたけど、それって、今みたいに目に見える場所にはいてくれないってことだ。
本当に、わたしはそれに耐えることができるのだろうか?
社交ダンスはボディコンタクトはとても大事なことです。
そのために、踊っている間だけ、お互いを恋人のように思い込むこともある、とも聞いております。
日本人にはハードルが高いですよね。
そして、お気付きの通り、当作品では護衛兄弟は主人公と他の異性を必要以上にくっつけないためにくっ付きすぎるなと言っている部分もあります。
密着の仕方が悪いと踊りにくいのも事実ですけどね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




