識別魔法の業
「俺に『識別魔法』を使うことはできるかい?」
雄也さんからのそんな申し出があった。
個人的にはちょっと嫌だ。
確かに雄也さんが言うように、動物を識別して、それが成功すれば、動物図鑑のような表記になるとは思う。
だけど、人間の「識別」に関しては、それらとはちょっと違う気がしているのだ。
わたしは人間の一人一人に名前があり、それぞれの人生があることを知識としても、経験としても知っている。
そして、わたしの一言魔法は、基本的に思い込みによるところが大きい。
だから、識別魔法を使えば、動物図鑑よりも、漫画の登場人物紹介のような表記になる可能性が高いと思っていた。
それなら、その対象となる人の性格とか、趣味とか、下手すると弱点などを含めた隠したいことまで口にしてしまうこともあるだろう。
それを雄也さんに改めて伝えてみる。
「なるほど」
それを聞いて、少し考え込む。
「それはそれで興味深い話だね」
あうっ。
かえって、興味を引いてしまったらしい。
「誤解のないように言っておくけど、俺は、栞ちゃんの『識別魔法』の特性を知っておきたいんだよ」
「それは分かっています」
「だから、他者ではなく、栞ちゃん自身でもなく、俺を視て欲しいと願ったわけだ」
「ふぐっ!?」
思わぬ所で、痛恨の一撃!?
いや、美形の殿方に「俺を見て欲しい」というのは、結構な破壊力なのです。
特に深い意味はなくても!!
「それに栞ちゃんはその識別結果を忘れてしまうだろ? だから、俺のことを識別した後、覚えているのはそれを告げられた俺だけだ。本人が自分の個人情報を知るだけなら、何も問題はないと思わないかい?」
「うぐぐ……」
雄也さんはやんわりとわたしを説得してくる。
どれだけ、ソレを知りたいのでしょうか?
ソレだけですね。
「何も知らないのは怖いことだからね。その結果によっては、人間に対して識別を絶対にしないようにと注意することもできるだろう?」
「ううう……」
それはそれで、逆に好奇心を刺激されるかもしれない。
だけど、わたし自身を「識別」してくれと言われるよりは、マシであることは分かる。
そして、その結果をわたしは覚えていられないのだ。
妙案だと思うけれど、やはり、どこかで抵抗があった。
いや、正しくは、何かの警告みたいなのが、頭のどこかにあるのだ。
―――― 止めた方が良い
どこからか、そんな声が聞こえてくる気がする。
「ふむ……」
わたしが簡単に頷かないことを察したのか、雄也さんが少し考える。
「ただでさえ、俺は栞ちゃんに、いろいろな物を背負わせているとは思うが、もう一つ、背負って貰えないかな?」
暫く経って、雄也さんがようやく口を開いた。
さらにこうも続ける。
「俺は、自分のことをできるだけ知りたいだけなんだ」
そう弱弱しく微笑む雄也さんの表情に、わたしは陥落した。
****
結論から言うと、わたしはその後、雄也さんに向かってルーペを構え、「識別」と唱えたらしい。
わたしは雄也さんのあの顔が苦手なのだろう。
推量の表現なのは、例によって、わたしがその識別結果を覚えていないためだ。
雄也さんによると、やはり、わたしが本来知っているはずのないことを口にしたそうだ。
そして、わたしが考えた通り、動物としての分類よりも紹介文が近かったらしい。
だから、こうも言われた。
―――― 九十九のことは、絶対に「識別」しないでくれ
それだけの結果が出てしまったのだろう。
わたしに向かってそう告げる雄也さんの顔を見ていると、ああ、やはり、やらなければ良かったと、そう思うしかなかった。
自分の中にあった警告を無視した結果ではあるのだけど、それでも、やはりモヤっとする。
雄也さんは、わたしの口からどんな言葉を耳にしたのだろうか?
だけど、それは教えてもらえなかった。
だから、わたしが知るのは、告げた後の雄也さんの顔色の悪さだけだ。
酷い話。
わたしが言ったことだというのに、それを何一つとして教えてもらえないなんて。
それでも、九十九が戻ってくる頃にはすっかり落ち着いていて見えたのは、やはり流石とも思えたのだけど。
****
「識別」
そんな声が耳に届く。
自分の体内魔気には何も影響がないところを見ると、肉体に魔力を通されているわけではないようだ。
だが、周囲の大気魔気が微かに変化した。
そして、拡大鏡を覗き込んでいる主人の桜色の唇から、意味のある言葉が告げられる。
「脊椎動物門、哺乳類霊長目、ヒト科ヒト属、現生人類種」
この辺りは概ね予想通りだ。
尤も、この時点で、まだ「神」などの言葉が入っていないことは意外だとは思う。
神官たちによると、人類は、神の劣化複製品とされているのだ。
だが、ここまでそんな単語は一切ない。
ここから先は分からないけれど。
そして、続く魔名。
これも予想通りだ。
驚くほどのことは何もない。
あの命名の儀の最中に、既に、眠らされていた愚弟と違って、俺は直前までミヤドリードと言い争った記憶すら残っている。
結局、最終的には、抵抗空しく眠らされたわけだが。
齢五年の、まだまともに魔法に抵抗できなかった幼児が、他国の王族の血を引く成人女性に魔法で敵うはずがない。
それを口にしていた主人は納得したかのように頷いていた。
さらに続く年齢、性別、生年月日。
これらにも記憶の齟齬はなかった。
少し前なら生年月日については、自信がなかったのだが、それについてはストレリチアにいた頃に、間違いなかったと確信できている。
だが、血液型まで言われたのは少しばかり意外だった。
この世界に輸血というものがないため、赤血球による分類方法はない。
それでも、人間界で血液検査をしていたため、俺も九十九も、それに当てはまる型式であることは知っていた。
俺も九十九もA型でD抗原陽性である。
それをそのまま告げられた。
現在の身長、体重、服のサイズ、足のサイズ。
その単位は人間界のものだった。
だが、俺に余裕があったのはそこまでだ。
さらに、母親の名前、父親の名前、現在の家族構成、出身大陸、血族属性、主属性、祖神名称など次々と告げられていく。
逃げ場のない檻の中、少しずつだけど、確実に自分が丸裸にされていくような感覚。
そして、想像以上に情け容赦なく詳細な情報だ。
尤も、それらは、自分にとって知っている事実の確認でしかない。
その内容については、意外性もなかった。
確かに主人が懸念した通り、漫画や小説の登場人物紹介のようだとは思う。
だが、それだけだ。
俺はそれを全て知っている。
知った上で、頼んだのだから。
尤も、それを口にする主人はずっと涙目になっている。
どうやら、記憶していないだけで自我はあるらしい。
そこにあるのは、自身を責める気持ちと、純粋な疑問だろう。
それでも、拡大鏡から目を逸らさず、彼女にしか視えない言葉を止めることもしなかった。
―――― 酷なことをさせた
そう思いはしたものの、俺も止める気はなかった。
主観だけでなく、客観的に自分を知りたかった。
両親の名を淀みなく告げられるとは思わなかったが、それも自分は知っていたことだ。
そして、いずれ露見するならば、ソレを最初に知るのはあの時と同じように、彼女以外は考えられなかったのだ。
「――――以上です」
全てが終わった時、主人はそのまま、膝を付きかけたので、両腕を伸ばしてその身体を支える。
報告にあったように、魔法力の消費はほとんど感じられない。
それでも、俺の個人情報を見て、さらにそれらを一気に口にしたために、精神的な疲労は隠せなかった。
「雄也は知っていたのですか?」
俺の胸元に寄りかかりながらも、気丈な彼女はそう口にする。
今、主人が問いかけたいのはたった一つの事実だろう。
「うん。これらについても、予想通りだったよ」
ソレに対して、今更、何の話だと惚ける気などなかった。
知った上で、俺は彼女に「識別」して欲しいと願ったのだから。
だが、何も知らなければ耐えられるとは思っていなかったことでもある。
「なんで!?」
そして、根が善人である主人はそれを受け止めることができなかったらしい。
顔を上げずに、俺の胸に強く問いかける。
「俺は全て承知のことだから」
そう答えると、彼女の身体が大きく揺れる。
「それでも、こんな……」
主人は決定的なことは言わない。
それを口にしてしまうと忘れない可能性があるから。
先ほど口にしたのは「識別」魔法の結果でしかない。
拡大鏡を通して知った事実は、何故か、彼女自身は記憶しておくことができないと聞いている。
一度は口にした言葉だというのに。
そして、最初の話通り、それを忘れる努力をしてくれるらしい。
確かに覚えていても、彼女にとって益はないことだ。
「だから忘れて、栞ちゃん」
この話は、それが前提である。
彼女が忘れることを承知で、俺は、「識別」を願った。
それを忘れてしまうと分かっていても、弟よりも先に知って欲しかったのだ。
俺の全てを知るのは、主人が最初であって欲しかった。
尤も、どこかにそれは残っている。
ふとしたきっかけで思い出す可能性はあるだろう。
それでも、彼女なら悪いようにはしない。
弟の感情だけでなく、俺の気持ちと状況まで考えてくれる女性だから。
「俺はそれを望んでいる」
そう口にすると、小柄な主人は少し迷いながらも大きく頷いてくれたのだった。
主人公が何を視たのか?
それはいずれ、明かされます。
今は、まだ彼が秘密を抱えて生きていることだけを知っていただければ、と思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




