それぞれの事情
「今回のお膳立てはお前のはずだが、お前自身はそこまで乗り気ではないようだな」
兄貴がトルクスタン王子に向かってそう言った。
オレもそんな気がしていた。
栞に見合い相手を斡旋した割に、トルクスタン王子はそこまで話を進めたいようには見えないのだ。
普通なら、もっとこの縁談の利をアピールするはずだろう。
だが、出てくる言葉は意外と消極的だったり、否定的だったりする。
そこは不思議だった。
「これまでのことで、ローダンセにいろいろ不信感があるからな。そんな国に恩人を送り込んで良いものかと思うのは当然だろう」
「その事実にもっと早く気付くべきだったな」
兄貴は肩を竦めながらそう言った。
「お前のことだから、俺以上にいろいろ知っていることだろう。だが、何故、そうと分かっている国へと主人を送り出そうとしているんだ?」
「これは異なことを言う。ローダンセの国の事情と今回の話は全く別物だろう?」
オレもそう思っている。
確かにローダンセという国も揺らいでいるようだが、それと今回の話は関係がない。
オレたちは、栞に害がなければそれで良いのだ。
「ロットベルク家はローダンセの重臣だぞ?」
「ただの一貴族だ」
兄貴の言葉にトルクスタン王子は分かりやすく眉を顰める。
「王族ほどの権限もないし、王族ほどの無理もできない。どの国にもある王位継承権の問題も、ローダンセほど候補が溢れていればロットベルク家まで下りてくることはない。万一、王家に何かが起きても、その責を負うほどのこともない。何の問題がある?」
「不信がある国に対して、そこの貴族へ嫁ぐ話だという言うのに、本当に何も問題がないと言い切るのはお前ぐらいだ」
「国が王位継承問題で荒れていたとしても、下の人間には関係がないからな」
どうやら、ローダンセが揺らいでいる理由というのは、王位継承問題のことらしい。
まあ、王族の数が多すぎるから当然と言えば、当然の話だ。
寧ろ、率先して問題を引き起こそうとしているようにしか思えなかったが、やはり、面倒なことになっているようだ。
「租税が高額になるのは問題だが、それを支払えないほど甲斐性がない主人でもない。五年ほど貴族籍に身を置ければ、後で市井に下っても、十分、やっていける」
栞は案外、逞しい。
少し環境を整える手助けをするだけで、すぐにその場所に順応する能力は、一種の才能だと思っている。
勿論、すぐに市井に下りて何かができるわけではないが、もともと人間界にいたために、庶民的な仕事だって苦も無くこなすことだろう。
何より、あまり金を使わないために、贈与された個人資産が有り余っている。
それも、セントポーリアだけではなく、ストレリチアからも贈与されているのだ。
慎ましやかな生活を好んでいるために、当人が知らないだけで、実はかなりの金銭を持っている。
だが、この時点で、兄貴は栞の婚儀に反対するわけではないが、長く縁を持たせる気もないことがよく分かった。
そして、市井に下りた後も、支えるつもりがあるということも。
「五年? ああ、ダルエスの事情か」
「セントポーリアの王子殿下は御年20歳になられた。セントポーリア国王陛下はすぐに譲位することを仄めかしているために、それまでに配偶者となる方を見つける必要がある」
セントポーリアの国王の座に就くためには、譲位する前に、婚儀を行う必要がある。
そして、その譲位は最短ならば、王位継承権を持っている人間が25歳になること。
後は、国王が譲位するその相手を任命するだけで良い。
つまり、現状では、あのクソ王子が25歳になれば話は進むということだ。
「それまでにシオリを護りきれば、お前たちの勝利というわけか」
「俺たちの勝利ではない。主人の勝利だ」
それは同感だ。
幼い時から命を狙われ、別世界で育った15歳以降は、命ではないものを狙われて生きてきた。
異世界とも言える場所で慣れない生活に弱音を吐くことなく、あの細く小柄な身体に溢れんばかりの魔力を蓄え、日々を懸命に生きている。
「しかし、貴族籍から抜けることを前提の話なのか?」
「ロットベルク家は既に火の車だと言っただろう? 主人のお相手が当主になることがあれば、その才覚次第でやりようはあるが、下手な期待はすまい。何より、当主になるとしてもまだ先の話だ。ならば、潰れる前に、主人を逃がす方が確実だろう?」
それは、遠回しにロットベルク家ってところは近い将来、確実に潰れると断言しているよな?
どんな情報網だ?
セントポーリアはかなりの事情がない限り離婚ができない国なのだが、ローダンセは違う。
女から申し出た離婚の例はないらしいが、男からの申し出なら、割と軽い理由でも離婚が認められていると聞く。
そうなると、離婚をさせたければ、相手の男をどうにかすれば良い話と言うことになる。
相手が金を持たなければ、金でなんとかできる可能性が高いのだ。
「お前、潰す気か?」
「あの状況なら早めることも可能だな。散財する人間が内々にいれば当然の話だ。そう難しいことでもない」
トルクスタン王子は大きな息を吐いた。
「そうまでして、ローダンセに行く理由はなんだ?」
だが、それを咎める気もないらしい。
「主人が言った。『借りは返すものだ』と」
兄貴が首を振った。
?
何の話だ?
「どこまで、彼女が知っているかは分からんが、確かにローダンセには借りがいくつかあるようだ。彼女だけではなく、俺たち兄弟も、お前の幼馴染たちも」
「なんだと?」
トルクスタン王子の言葉は、そのまま、オレの疑問でもあった。
そして、心当たりはない。
「その借りを多少なりとも返す必要はあると判断した」
「その借りは、恩か? 恥辱か?」
恥辱……。
そっちの可能性もあるのか。
そして、兄貴の性格を考えると、そっちならやり返す方が、イメージが強いのも確かだ。
「どちらもだ。ローダンセはセントポーリアに喧嘩を売った。今も尚、売り続けている。その報いは受けてもらいたい。そして、もう一つの方は、過去の話だ。かの国の方針によって、俺たちの生活が護られた部分は否定しない」
「どちらもなら、先にそっちを言うなよ。何故、否定的な方から入るのだ?」
いや、兄貴らしいとは思う。
だが、オレたちの生活が護られた?
そちらの心当たりは全くない。
「何、それについてはお前も似たようなものだろう? ロットベルク家に借りはあるが、ローダンセという国については、先ほどから疎ましく思うような感情しか見えない」
「分かるか?」
「そこまで露骨なら、鈍い人間でも理解はできる」
言ったのは兄貴だが、トルクスタン王子は何故か、オレを見た。
ちょっと待て?
オレが鈍いと言いたいのか?
「ローダンセはあの会合以降、カルセオラリアに面倒な話を持ち掛けることが多くなった。『既に中心国ではないのだから』という言葉を必ず頭に持ってきて、中心国であるローダンセに卸す魔法道具をもっと安くしろはまだマシな方で、タダで寄越せなどと言うのだ」
「まあ、弱みを見せている国に対して、明らかに暴利と思える取引を持ち掛けるのは一般的な動きだな」
まず、分かりやすく無理な要請をした後で、じわじわと条件を緩和して自分たちの要求を呑ませようとするのは、交渉の基本だ。
それでも「タダで寄越せ」はないだろう。
厚顔無恥な申し出にも程がある。
それは「対価」という単語や「取引という行為を軽く見ている人間の言葉だろう。
そして、一般論を口にしているが、兄貴の内心はあまり穏やかではないはずだ。
兄貴は正当な評価、報酬を渡さない人間を軽蔑する傾向にある。
だからこそ、今回の話の「借り」というやつも、考慮しているのだろう。
ローダンセに栞やオレたちにどんな借りがあるかは分からないが、返しておいた方が良いものだと判断している。
オレはその詳細が分からんままだけどな。
「それ以外なら、『転移門』を内密に城以外の所へ作れという要請は一般的か?」
「阿呆だな」
「だよな?」
隠すこともしなかった兄貴の本音に、トルクスタン王子も困ったように笑うのだった。
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