素人診断
シオンくんを九十九に診てもらって安心したアックォリィエさまは、そのまま、部屋を退出してくれた。
一刻も早く、熱を出した息子を休ませたいそうだ。
当然だろう。
そして、わたしたちは、いつものメンバーになったわけだが……。
「まずは、お疲れさま、栞ちゃん」
「いいえ、雄也こそ、お疲れさまでした」
お互いに労い合う。
わたしたちは互いに再会の挨拶もできていない状態だったのだ。
九十九がわたしを眠らせ、大聖堂の聖運門を使って、リプテラの聖堂に戻って来た後、暫く、そこで起きるまで待っていたらしい。
九十九は「覚醒魔法」が使えるらしいけど、わたしを起こすのに使うことはない。
だが、目が覚めた時に、いきなり聖運門の前で膝枕してくれている状態とかは勘弁してください!!
そう声を大にして言いたい。
そして、誰かに見られていないことを祈る。
その後、待ち合わせをしていた広場で待っている時に、水尾先輩と真央先輩を伴ったアックォリィエさまに、この部屋まで連行されたのだ。
その理由が、熱を出した息子のためだとそう言われたら、わたしも九十九も断ることはできない。
実際、高熱を出していたシオンくんは呼吸音が少し「ゼェゼェ」と変化しており、その様子を見た九十九の顔色が少し変わった。
薬師志望の青年は、目の前の病人を捨て置けない。
そして、わたしも愛らしい赤ちゃんの苦しそうな顔は見ていられなかった。
この部屋で九十九が診察することになったのは当然の流れだろう。
その間に雄也さんが、トルクスタン王子を「音を聞く島」まで迎えに行き、ここで合流することになったそうだ。
わたしたちが戻るまで、待機させていたらしい。
えっと、王子さまですよね?
待たせても良いのでしょうか?
「九十九くんも一か月半ぶりだね。元気してた?」
「はい。水尾さんも、真央さんもお変わりなく」
「いやいや、水尾がさ~、九十九くんの料理恋しさに泣くから困っちゃって……」
「泣いてない!!」
わたしたちの傍で、九十九も水尾先輩や真央先輩と言葉を交わし合っている。
あれ?
何か忘れているような?
「お前たち!! 俺も帰ってきたんだぞ!? もっとこう、何かあるだろう!?」
わたしが雄也さんと会話をして、九十九と水尾先輩と真央先輩の二人と会話。
その結果、完全孤立状態となってしまっていたトルクスタン王子としては、いろいろ言いたいことがあるらしい。
「お前の扱いなどもともとそんなものだ」
「酷い!!」
うん。
確かに酷いです、雄也さん。
「九十九くんには帰ってきて早々、仕事を押し付けちゃったから、労うのは当然じゃないかな?」
真央先輩は、シオンくんの病状診察のことを言っているらしい。
「そうだな。私がうっかり九十九に薬学の心得があると言ってしまったばかりに、アッコがまさか、あんな行動に出るとは思わなかった」
「心得はないですよ。オレの薬の知識は趣味の範囲です。だから、あまり相手に誤解を与えるようなことを言わないでくださいね」
困ったような顔をしながら、九十九はそう答えた。
どうやら、水尾先輩が事の発端のようだ。
「薬なら、俺だって……」
「「一緒にするな」」
同じ顔と声の二重唱。
確かにトルクスタン王子は薬の開発が好きらしいが、明らかにその方向性は違うとわたしでも思う。
「でも、今回は分かりやすい症状だったから良かったものの、病気について本格的な勉強をしていないのだから、オレが診断を誤る可能性の方が高いんです」
「その時は、その時だ」
水尾先輩はけろりと言った。
「もともとこの世界に医者は存在しない。誰もが素人診断をするしかないんだ。それなら、少しでも確率が高い人間に頼りたくなるのは当然だろ?」
そう言いたくなる気持ちも分かる。
この世界には神はいるのに、医師はいない。
人間界のように、専門的な医療知識を身に着けている人間が身近にいないのだ。
「それでも、オレに他者の命を背負わせないでください」
そう言う九十九の気持ちも分かる。
どんなに素人診断だと分かっていても、口にした以上、責任が生じることになる。
そして、彼はそこまで器用な人間でもないし、割り切れる人間でもない。
万一の時、確実に九十九の心に影を落としてしまうかもしれないのだ。
「それは、悪かった」
水尾先輩が少し目を伏せた。
「ん~? でも、救えなかったかもしれない命を救える確率はちょっとばかり上がる気がするけどね~」
真央先輩はマイナスよりプラスを考えるらしい。
でも、わたしもそんな気がする。
素人診断と当人は言った。
確かに医療知識については独学であり、人間界の医師たちには遠く及ばないだろう。
だが、この世界の人間ほど無知でもない。
それに、彼がシオンくんを診ている時は、凄く真剣だった。
何度も何度も繰り返して確認していたのをわたしは横目で見ていたのだ。
そんな真摯に患者と向き合う姿を見て、万一、シオンくんに何かあった時、アックォリィエさまは九十九のせいにはしないとは思う。
自分では、できないことを代わりにやってくれているわけだし。
でも、関係のない他者の命の重さを乗せられるのも辛いだろうし、悩ましい限りだ。
「それに、キミは病人や怪我人を見捨てられない人間でしょう? 今回はアッコが部屋に待機していたから、そんな風に言ってるけどさ。真っ赤な顔した乳飲み子を、青い顔した母親が抱いているのを見たら、結局、世話を焼いちゃうんじゃないかな?」
真央先輩はそう言いながら、意味深に雄也さんを見た。
「この部屋の近くに乳飲み子を抱えて無言で待機するように勧めたのが、ユーヤ。部屋で子を寝かせた状態で、九十九くんに直接交渉を勧めたのがミオ。素人に任せず、父親である旦那に相談するように勧めたのが私」
「うわあ」
思わず声が出てしまった。
自分が動かず相手を動かそうとする受動案。
自分が動いて相手を動かす能動案。
本来のこの世界の人間としてよくある昔ながらの保守案。
その中なら、わたしは水尾先輩の案を推す。
「それで、アッコが選んだのが、ミオが言ったようにキミを口説き落とすことだったと」
「マオ、言い方が悪い」
「おっと。でも、間違ってはないでしょう?」
確かに「口説く」は相手を説得するという意味だから間違ってはないのだけど、真央先輩の言い方だと、水尾先輩が不機嫌になるのも分かる気はする。
「それに、アッコが選んだのは私の案と言うよりも、高田が九十九を信頼しているからだと言っていたぞ」
「ふへ?」
「は?」
なんか、意外なことを聞いた気がする。
「『シオちゃん先輩に張り付いている護衛の方ですよね? それなら、万が一対処法を間違えれば、シオちゃん先輩が責任を感じて、いろいろお願いを聞いてくれるかも!!』と、言っていた」
それは酷い!!
アックォリィエさまは息子すら利用するってこと?
「あの女、それを本気で言ってましたか?」
「まさか。昔からアッコは素直で分かりやすいけど、高田に関してはかなり捻じ曲がっているからな。その高田の前で九十九に向かって『息子を助けろ』とは素直に言えなかったと思うぞ」
水尾先輩がククッと笑った。
「まあ、確かにあんな表情で『頼むから息子を診てくれ』と言われたら、オレも断りにくいですけどね」
九十九は肩を竦めて困ったように笑う。
「それに、先に兄貴が診て、軽症だと判断したから、オレが帰ってくるまで待たせたんだろ?」
「そうだな。俺もRSウイルスだとは思った。ただ時期と気候的に人間界とは少々異なるために、お前のように確信をもって診断はしていない」
九十九の視線と言葉を受け、雄也さんもそう答えた。
「症状を見ろよ。RSウイルスは人間界でも、世界中で乳幼児が感染しやすい病気とされていた。だから、時期、気候は参考程度にしかならねえ。それでも流行りやすい時期があるみたいだから、気温と湿気が無関係とはオレも思っていないけどな」
さらに九十九はそう続ける。
やっぱり、医療関係になると彼は強い。
そして、雄也さんも診断したが、その確信は持てなくて九十九の診断を待ったことはよく分かった。
素人診断とは言っても、別々に診た二人が共通の見解を持ち、同じ結論を出したなら、これがファイナルアンサーってことで、良いのではないだろうか?
そう思ったわたしの傍で……。
「感動の再会の予定が病気の赤ん坊の存在に負けた」
そんな声が聞こえた気がしたが、それに反応するような人間はこの場にはいないのだった。
前回も後書きに書きましたが、素人診断は危険ですので、不調がある時は、迷わず、医師の診断を受けてください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




