反応は正常
「この場合、オレ、あまり悪くねえと思うんだが……」
「言葉! 余計!!」
「ああ、アレは口が滑った」
わたしたちは、今、寝台の端と端に腰掛けています。
目の前にもともとこの部屋に備え付けられた椅子と、九十九が出した折り畳み椅子があるのだから、そちらを使えば良いのだけど、なんとなく、二人して使わなかった。
ちょっとだけ、今は距離が欲しくて。
「大体、お前がオレの頭をいきなり抱き込むからだろ?」
「許可なくやったことは謝る。ごめんなさい」
「いや、それは良いんだが……」
九十九は少し下を見て……。
「この距離はちょっと傷付く」
ポツリとそう言った。
わたしたちの間に不自然なぐらいの距離があった。
寝台の端と端。
人の頭から足までの距離。
「九十九がアホなこと言うからじゃないか」
事もあろうに、わたしが九十九の頭を抱き締めた後、いろいろあって、そのままの体勢で寝台に倒れ込んで、彼を圧し潰してしまったのだ。
その時、わたしは慌てて、状態を確認すると、彼は一言、「柔らかい」とだけ口にした。
すぐにはその意味が分からなかったけれど、ややあって、わたしも理解したのだ。
九十九はわたしの上半身……、具体的には胸を柔らかいって言ったことに。
それに気付いた時のわたしの羞恥心は、察していただきたい。
そして、落ち着いた今、この距離となっている。
「もう少し、近付いて良いか?」
「九十九がえっちだから駄目」
「男の反応としては正常なんだが……」
「反応?」
なんとなく目線をずらす。
「待て! 今、どこを見た!?」
「いや、さっきまでそんな話をしていたからつい?」
うっかり、九十九の下半身に目が行ってしまったのだ。
「どっちがエッチだ!?」
そして、それがバレた。
それは女性として大変恥ずかしい話である。
九十九が赤くなるのも無理はない。
でも、状態変化しているようには見えなかった。
うぬう。
どうやら、わたしの魅力は足りないようだ。
「本当に信じられねえ女だ」
「ぐぬう……」
「そっちに行くぞ」
「ほへ?」
わたしの了承もなく、距離をずずいっと詰めた護衛。
「お前もエッチなんだから、近付いても問題ないよな?」
「問題しかないような気がします」
でも、凄く近いってわけでもない。
少しだけ空いた距離。
「話の続きをするなら、これぐらいの距離の方が良いだろ?」
「さっきみたいに向き合っての方が話しやすくない?」
横並びで座ることはたまにあるけれど、向かい合える机と椅子があるのだ。
そちらの方が話しやすいと思う。
表情も見やすくなるから、反応も分かるし。
「いや、さっきからお前の話は正面から受け止めるには辛すぎる」
「寝台で話すのは反対派じゃなかったっけ?」
「今でも気は進まないが、お前と話すのに、さっきから机が邪魔してんだよ」
はて?
さっきから何度も突っ伏しているけど、それが邪魔ってことなのかな?
まあ、何度か強打しているしね。
「とりあえず、オレは許されたってことで良いか?」
先ほどまでの神妙な雰囲気はどこに消えたのか?
いや、そっちの方が良いのだけど。
「うん。だから、もう気にしないで」
「お前がそれで良いのなら」
そう言って、九十九は笑った。
うん、彼はやっぱり笑っている方が良い。
まだいつものような笑顔ではないけれど、少しでも彼が笑うと、わたしも笑いたくなるのだ。
「どうした?」
「ぬ?」
「笑ってる」
そう言って、頬を摘ままれた。
軽く挟んだだけなので、痛くはないのだけど、なんだか微妙に違う感がある。
「ひほい」
とりあえず、抗議してみる。
「ああ、悪い。つい、美味そうに見えて」
そう言いながら、九十九はわたしの頬から指を外してくれた。
「美味そう?」
「餅みてえで」
まさかのお餅!?
いや、自分でも、もちもちほっぺだと思っているけど。
「自分を餅に例えられて嬉しい女性はいないと思うのです」
「そうか? オレ、人間界の餅、好きだったけど」
ふぎょ!?
さらにその発言。
え?
どういう意味に解釈すればよろしいのでしょうか?
教えて、偉い人!?
「モチ米の品種だけじゃなく、水の種類、水加減、蒸し時間、搗き方で変わるのも奥深いよな~」
違う!!
深い意味がないばかりか、明らかに料理青年視点になっている!!
「この世界に餅はないの?」
聞くべきところはそこではない。
だが、思わずそんなどうでもいいことを聞いてしまった。
「あんな料理法は無理だな。似た食感と風味のものは作れた。でも、あの世界で食った餅の美味さにはまだ届かん」
なんとなく自分の頬を摘まむ。
うん、確かに餅っぽい。
この頬は餅ほど伸びないけれど、搗きたてのお餅はこれぐらい柔らかく、そして、もっと熱かった覚えがある。
「ところで、お前の質問はまだあるんだろ?」
「ぬ?」
「もう少しだけ答えてやるよ」
九十九はまた笑った。
「但し、あの時の『発情期』絡みの疑問だけな。それ以上の性教育はしないぞ」
「『発情期』絡みで性教育……」
どうやら、話はあれで終わりにしなくても良いらしい。
でも、結構、いろいろ吹っ飛んじゃったんだよね。
「なんであんなにあちこち触ったの?」
胸とかはなんとなく分かるのだけど、髪とか、首とか、お腹とかを触る理由は分からなかった。
「なかなか直接的な表現だな。あの時は、いろいろ触りたくなったんだよ」
「舐めたのも?」
「味は気になるだろ?」
まさかの味見発言!?
そして、あれらの行為にそんな意味があるなんて、考えもしなかった。
「美味かったぞ」
さらに、この男はなんてことを言いやがりますの!?
「~~~~っ!? に、人間が!! 美味いはずないでしょう!?」
あの時はいろいろな意味で汗を掻いていた。
だから、腕とか足など、場所に限らず、汗でしょっぱかったはずだ。
そんな状態の人間が美味いはずがないと思う。
それでも、それを美味と感じてしまうなら、それは精神異常による人食いの素質があるとしか思えません!!
「人間界も含めて、いろんな食材を口にしたつもりだが、オレもまだ人を食ったことはねえからな~」
どうやら、揶揄われているらしい。
「今、その態度こそ、人を食っていると言っていいんじゃないかな?」
「栞は上手いことを言うな」
さっきから、話の主導権が持って行かれているのは分かった。
先ほどまでの机越しの九十九とは違う。
なるほど。
これは九十九の方が有利かもしれない。
敗因はこの距離。
彼の声がしっかり聞こえてしまうこの距離がよろしくない!!
何より、先ほどまで彼になかった余裕が見えている。
どこで切り替わった!?
そして、今はどの状態だ!?
「まあ、良い。他には?」
その余裕が見える男から、さらに続きを促される。
「始めはなんであんなに乱暴だったの?」
「その点については、『発情期』中だったから、としか言えねえな」
九十九は苦笑する。
「本当に目的のことしか考えられなくなるんだ。だから、気遣えなくて悪かったとは思っている」
「目的?」
「早く目の前の女とヤりたい」
「ふぐっ!?」
そういうものだと分かっていても、その当人からそんな言葉を口にされるといろいろ困ってしまう。
「本当にそんな考えだけに思考が塗りつぶされた感じ……だったか?」
首を捻りながらさらにそう言われた。
その時の思考は、既に思い出しにくいらしい。
でも、考えてみれば、九十九の意識はあってもそんな極端な考え方に塗りつぶされてしまうのだ。
それは洗脳に近いのだろう。
やはり、神さまのすることはおかしいと思うしかない。
だけど、それはそれとして、正気に返った時に「発情期」になった人はどう思うのだろうか?
自分の意識があるのに、別の思考に塗り固められるのだ。
それが暫くすれば、何事もなかったかのように普通の思考が再始動する。
その時の記憶をしっかり持ったまま。
それは、正常な思考に戻った時に恐怖が増すのではないだろうか?
そして、厄介なことに「発情期」は、異性を抱くまでずっと訪れるという。
―――― 何度も繰り返される悪夢
想像しかできないわたしは、そんな風に考えてしまうのだった。




